記事一覧
長岡花火は『大切な人を想う花火』
※2023年8月1日編集・追記
新潟県の魅力を伝えて参ります。
今回は、毎年8月2日3日に行われる地元の【長岡花火】について!
今年(2023年)も無事、開催されます(*^^*)
8/2はNHK BSプレミアムで生中継
⇒YouTubeでライブ配信も!
https://www.youtube.com/live/rwhU7AEFk4w?feature=share
長岡花火は日本三大花火大会
「皆それぞれ人によるんだから、皆同じでいいじゃん!」という過ち
ひとりじゃないと解っているからこその孤独感みたいなものを、度々感じている
哀しさとはちと違う、侘しさや寂しさとおぼしき感覚
昔から何度も味わっているような気もするけれど、繰り返す毎に、より強く、太く、鋭くもなっている
特別になりたいとは思わないし、なるべく普通を目指すのだけれど、『皆と同じ普通』になるのは嫌なの
「括られること」や「囲い込まれること」が、窮屈だから無理なの
例えば、「それ
【相手が困った時に手を差しのべたくなる人こそが仲間】
挑戦には、「敵か味方か」の判断がつきものだけれど、「敵でも味方でもない人」だって、必ずいるわけで
敵か味方かをたとえ判別できなくとも、「自分が困った時に手を差しのべてくれる人」ではなく、
『相手が困った時に手を差しのべたくなる人こそが仲間』だということは、忘れたくない
自分が困っていた時、助けに来なかったとしても、相手の方も困っていたのかもしれないし、余力がなかったのかもしれない
そもそも
「俺の好み」は俺のモンで間違いない、けど…
UVERworldのライブDVDにBE:FIRSTのSHUNTOが出てて、姉と母がファンだから連絡したら喜んでた
「俺の好み」は俺のモンで間違いないけど、絶対的に、身近な人からの影響を受けたモンでもあるんだよな
小学校6年間ピアノとエレクトーンを習ってたけど、全然やる気なくてサボってばっかで、今は「猫ふんじゃった」しか弾けない
だけどリズム感はあるし、一定のペースでノリ続けるのも気持ちいいし
『ここではないどこか』を夢見てる
どこで暮らしていても、『ここではないどこか』を思い描かずにはいられない性分なのだけれど、決して「今が満たされていない」わけでもない
今の自分なら「もっと高く飛べる」ような気がするから、上を上を向いていたいんよな
満たされなくて、足りないものを埋め合わせたくて、『ここではないどこか』へ逃げ出したかったあの頃とは、違う
周りを見渡せば、翼を授けてくれる人もいれば、見たことのない場所へ連れていって
「振り向けば君がいた」という間柄
人間関係に『スレ違い』が生じた時、「こういうことにしようか」と合意を得ようとする道もあれば、振り返らずに立ち去る道もある
その一方で、「振り向けばあの人がいたなぁ…」と記憶を辿る道や、「ちょ待てよ」と手を取りプレイバックする道もある
ことビジネスにおいては、合意形成を図る道が、合理的で正しいのだろうけれど…
より親密な関係において、人の心は曖昧で、移ろいやすく、言葉にならない機微があるわけで
世界に1つだけの花を工場で大量生産してきた先に
「人それぞれだもんね」
「みんな一緒だよ」
この2つのフレーズの中には、同じモノが詰まっているなぁと感じることが多々ある
「人それぞれ、みんな辛いことがあるのは一緒なんだからさ…」
こういった具合に、1人1人の中身と触れ合うことをせず、全体として囲い込んでしまうような、そんな感じがする
社会人をしていると、「世界に1つだけの花を、工場で大量生産したらこうなった」みたいなコミュニケーションに
【クィア・アイ】独創性を持って愛を伝えるということ
Netflixのクィア・アイ
シーズン7
『仕事人間ダンを理想の男に』
感動した!
人間関係の改善には、努力が必要だと気づく機会がいる
自分が人を傷つけていたなんて、思いたくない
けど、向き合って変わる努力が必要だ
傷つけるつもりなんてないことを、相手は解ってくれているから
「パートナーの思い描く理想通りの人物像を目指す」というより、パートナーは自分のことを好いて一緒になってくれたのだ
「自分を大切にする」とは、自分より大切に想える存在と、関与し続けること。
【浪漫のある解釈】
「自分を大切にする」とは、自分より大切に想える存在と、関与し続けること。
誰かのことを真剣に想っている時は、自分のことなんて、スッカリ忘れてる。
我を忘れている。
それが「自分を大切にする」ということ�。
誰かを(何かを)一途に想っている時の自分は、とても自分らしいから。
…だけど、例えば「社会をよくしたい」とか「子どもたちの幸せのために」とか、大きくて広い存在をフ
「特別だ」という存在証明が欲しかった
【アートに触れて感傷的になったので、過去の痛みと向き合ってみる】1歳の頃、熱湯を浴びて死にかけた。
小さかったから、痛かった記憶もない。
火傷自体に、痛みもない。
生きててよかった。
ただ、傷跡は一生残る。
周りからの視線に怯え、心は痛かった。
10代〜20代半ばまで、ずっと悩んでいた。
…その頃、自分のことを『特別』だと思わずにいられなかった。
裸になれば、周りと明らかに見た目が違っ
外遊びってホンマ貴重な体験
夕暮れ時にサッカーボールを蹴ってきた。
ただのランニングは嫌いだけど、ボールを追いかけるのは全く苦痛じゃないのが面白い。
バスケ少年たちが「こんにちはー!」って挨拶してくれて、気持ちよかった。
運動の〆は縄跳び。
相変わらず、跳ぶ度にお腹が躍動してた汗
帰り際もチャリに乗った小中高生2人が挨拶してくれて、なんかよかったなぁ。
いい汗かいた後は、ニャーと戯れて帰宅。
程よい疲労感がgood