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【相手が困った時に手を差しのべたくなる人こそが仲間】

挑戦には、「敵か味方か」の判断がつきものだけれど、「敵でも味方でもない人」だって、必ずいるわけで

敵か味方かをたとえ判別できなくとも、「自分が困った時に手を差しのべてくれる人」ではなく、

『相手が困った時に手を差しのべたくなる人こそが仲間』だということは、忘れたくない

自分が困っていた時、助けに来なかったとしても、相手の方も困っていたのかもしれないし、余力がなかったのかもしれない

そもそも、声が届いていないのかもしれない

だからこそ、「敵か味方か」「善か悪か」という二項対立の是非は、なるべく思い留めたい

そして、またいつか手を差しのべられるよう、困った時は周りを頼りながら、己の力を蓄えたい

「いま、何に困っているのか?」を、ちゃんと伝えたい

『仲間に頼ること』は迷惑じゃないし、「ここが不足しているから、あれをしてほしい!私の凹を君に埋めてほしい!」という具合に

『日頃の関係性』と『頼り方』が大事

「何とかして!」じゃ、伝わらない

より大きな救いを求めて、多くの人に声を拡散する時期はあるかもしれないけれど、日々のベースは、信じて頼るサシの関係性

救ってほしい時にいつでも救急車を呼べる、安全安心な社会は有り難いけれど、「今しんどいから、ちょっと肩かして」という間柄の重要度は、日々増すばかり

システムではなく、人を頼ることができるかどうか

…説法したいわけでもなく、僕自身が人を頼ることを忘れがちだから、いつかの自分に向けて言葉を残してます

防衛なり報復なり、敵に対して「戦いを挑む」のなら味方が必要だけれど、『あと一歩立ち上がる』には、側で支えてくれる人だけでなく、遠くから見守ってくれる人や、何も言わず信じて待ってくれる人も必要

敵も味方もないし、戦う相手が過去の自分なら、敵は己自身

そもそも、「自分が何に困っているのか?」を明らかにしないと、さすがの仲間だって、手を差しのべにくい

『頼り方』は、やってみて失敗してを繰り返さないと、身に付かない

頼り方を磨けば、断り方もついてくる

助けが必要なのに頼らないことや、力がないのに無理することが、『私たちのため』になりはしない

僕が僕であるために、過去の自分からは卒業したいぜ…

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