「皆それぞれ人によるんだから、皆同じでいいじゃん!」という過ち
ひとりじゃないと解っているからこその孤独感みたいなものを、度々感じている
哀しさとはちと違う、侘しさや寂しさとおぼしき感覚
昔から何度も味わっているような気もするけれど、繰り返す毎に、より強く、太く、鋭くもなっている
特別になりたいとは思わないし、なるべく普通を目指すのだけれど、『皆と同じ普通』になるのは嫌なの
「括られること」や「囲い込まれること」が、窮屈だから無理なの
例えば、「それもB型っぽいね〜」って、『それ』を見てるだけで『わたし』を見ようとしてないのが、寒いの
解った気になって、驕られることが嫌なの
誤解されたとしても、叶わぬ理解に向かいたいの
過去の統計データや、現在の思考だけじゃなくて、未来への直感も大切にしたいの
「人それぞれだから」とか「人による」に慮りすぎて、「皆それぞれ人によるんだから、皆が同じでいいじゃん!それが平等じゃん!!」になる罠ね
「わたしはわたし。あなたはあなた。だけど、ここは"私たち"として一体になれるよね」っていう感じが、本来の平等だと思う…などした
同一じゃなくて一体
「人それぞれだよね!あなたもそう思うよね?」って共感を求めだしたら、誤解がゴールになる
理解の穴は、誤解を紐解くことでしか埋まらないのにね
「わかる!」も大事だけど、たまには「わかんない!」から始めてみようぜって
子どもの頃は、ちゃんとやってたじゃん
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