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『二百円』


『二百円』


眉毛サロンで毛抜きを使い、眉毛を抜かれているときは悶絶するほどの拷問に近い。
まるで目玉の裏側を細い針でつつかれているような痛みをいちいち感じ、死ぬ三時間前みたいなうめき声を漏らしそうになるのだが、何とかたえていた。
それでも容赦なく、すいとんのような顔をしたサロンの女性は、毛抜きで、わたしの毛量の多い剛毛な眉毛を一本ずつ懇切丁寧に抜いてくる。
だから、わたしは膝かけの下に隠れている右手と左手を交互にわなわなとふるえさせながら、いっそのことわたしを殺してくれないかなとか思っていた。
すると、すいとんは、

ワックスやっていきまーす。

と妙に明るい感じで言って、溶けた蝋みたいに温かなものを眉毛の周りに塗りたくり、その上から薄い布みたいな感触のシートを貼りつけて、指先でぐりぐりと押しつけると、一気にベリっと剥がした。
わたしは顔の上半分の皮膚を丸ごと剥がされたのではないのかと疑うほどの烈しい痛みを感じたので、ヨダレを垂らしながらアヘ顔になっていると、すいとんは色白の顔を桃色に染めて笑いながら、

こんな感じでやっていきまーす。

と鷹揚に言うので閉口した。何も言えない。
わたしはそのワックスを何度もやられた後、ふたたび毛抜きが登場したので狼狽し、前歯で舌を噛んで潔く死にましょう、などと覚悟を決めていると、
すいとんが、何だか楽しそうに、

毛の長さを整えていきまーす。

と言って、新幹線の高架下の雑草のように伸び放題になっているわたしの眉毛の先を、ハサミでチョキチョキと切り始めた。目を閉じていると、植木屋が庭木の剪定をしているみたいな音がする。さすがにこれでもう終わりかなとわたしは高を括っていたのだが、すいとんはあっけらかんとして、

微調整していきまーす。

と悪びれずに言ので、わたしは些か苛々した。
再三、あの毛抜きでわたしの剛毛な眉毛を遠慮なく、プチプチプチプチッと手荒に抜いていく。
皮膚に埋まっている眉毛の毛根たちの、うぎゃああーという叫喚が今にも聞こえてきそうである。
わたしは執拗な痛みで目玉が飛び出しそうだった。背もたれを倒したイスから立ち上がり、目の前の乳白色の半遮光カーテンを勝手に開いて、ベランダからダイブして竹やぶのなかへ落ちてやろうか。


微調整だと言ったはずの毛抜き作業はなかなか終わらなかった。わたしは朦朧とした意識のなか、賽の河原で石を積み上げていた。目の前の三途の川では、病的に太った人間と骨と皮ばかりに痩せた野良犬が苦しそうに溺れながらわたしを見ている。

ああ、わたしもついにこのクソくだらない人生を経て、ようやくここへ辿りつけたのですね…
今の貨幣価値でいうと百九十五円だとかいう六文銭を鬼の老婆か案内人に渡さないといけないや。
電子マネー派だから、財布に二百円しか入っていないけど、お釣りはくれるのかしら。

と目に涙を浮かべながら感慨にふけっていると、
突然、まぶたが冷たくなったので、はっとした。

冷やすので、このままでお待ちくださーい。

わたしの眉毛の上には冷たいタオルがのせてあった。その後、すいとんはどこかへいってしまった。


ここは古びたマンションの一室である。眉毛サロンのスタッフは、すいとん以外には誰もいない。
終始、室内で流れているザ・チェインスモーカーズのエレクトロニックな楽曲がわたしの脳を刺激してくる。そのうち、わたしは便意を催してきて、尻がムズムズしてきた。わたしはすいとんが早く戻ってきてくれないかと思っていたが、すいとんはどこへいってしまったのか、戻ってくる気配がない。
そういう風には見えないが、案外、すいとんは外の非常階段で不機嫌な顔をして電子タバコを吸っているのかもしれないし、隣の部屋で畳に立て膝をついてカップラーメンをすすっているのかもしれない。


わたしは、「このサロンの近くだと、あそこの新しくできたオフィスビルかあそこの百貨店のトイレを使おうかな。あ、でもどっちもフタのないトイレだから、やっぱり、あそこのコンサートホールのビルの地下にあるトイレを使おうかな…」などと思案しながら気をまぎらわせていると、イスの横の台の上に置いてあるシルバーのハンドミラーが目に入った。それを手に取り、自分の顔を見た。すると、確かに眉毛はきれいに整えられているのだが、わたしの黒目の瞳孔が完全に開きっぱなしになっていた。


          〜了〜



愚かな駄文を最後まで読んでいただき、
ありがとうございます。
大変感謝申し上げます。

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