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本との出逢い

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のんびり読書記録🌿
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Jアラート

Jアラート

5/27(月)夜。
私はいつも楽しみにしているEテレ「100分de名著」『魔の山』最終回の終盤を視聴していた。その前にはオンライン読書会にも参加していて、あとはこれを見て寝るだけ…と心地よい時間を過ごしていた。

22時46分
突然、画面が切り替わった。
スマホからの、心臓に悪い音。

「ミサイル」「飛翔体」
「TVは緊急速報ばかり」
いびつなニュースの実態と、
報道の「横並び」に辟易し、
分析・

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「推」さないです。
私がその人やその作品を好きなだけ。
ただそれだけ。
私がそれを慈しんでいる様子が
あなたにとって不愉快でなければ
それで充分だと思うのです。

(「推し」という言い回しがずっとしっくりこないのです)

〜ひとり〜『藍色の福音』

〜ひとり〜『藍色の福音』

導かれるように若松英輔さんの本を読む。
昨年 秋から少しずつ手にとり読んでいた
『藍色の福音』。

若松さんの文章を読む時は急ぎたくない。
そうしようと心がけているのではなく、自然とそうなっている。
若松さんの綴る本は決して難解でなく、むしろ私のような者にとって、とても読みやすい文章だ。だからこそ、一行一行を、そしてその行間を、大切にしたい。

いつの間にか、読むペースは一章ずつ。
詩も一編ずつ。

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2024 謹賀新年

2024 謹賀新年

《ご挨拶》

旧年中は本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

年明け元日から大変な災害が起こってしまいました。ただでさえ戦争の恐ろしさに苦しい気持ちで過ごしていたところ、あらたまの時に…。

これはやはり「常に考え続けよ」と諭されているような気がしています。

もちろん無理をし過ぎることなく。「ケア」と「対話」を大切に。皆で労いあって。

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柔らかな サンクチュアリなる茶室にて 真実という お茶を差し出す

🌿若松英輔さん
『ひとりだと感じたとき
あなたは 探していた
言葉に出会う』(亜紀書房)
を少しずつ読んでいます。
🌿〜p.81「心の水」。
一言一句、自分のことを言い当てられているようで震えています…

https://note.com/imogine_note/n/n1b1a2dd30731
↑先日つぷやいたことは日頃考えていることなのだけれど、自分のやってきたsmileへの姿勢はこの本の言わんとしている《ケアの倫理》だったのだな…と涙してしまった…(小川公代さん『世界文学をケアで読み解く』。特に「あとがきにかえて」の所)

先日「負の連鎖を自分の所で止めてる人は、そのぶん見えない内側が蝕まれ続けている」と呟いた。その「止めてる人」は、なかなか人に悩みを打ち明けられない。そんな人の想いのはけ口は何だろう?そう考えていて…それは“文学”なのでは?と思った。読(詠)んだり綴ったり。…なんと切ない事だろう…

一条ゆかり先生の、そして当時、少女まんがを描いていた女性達の大変さが「やっと」詳らかになり、私は溜飲が下がる思い。
いま放映されている「100分de名著」林芙美子さんについて知る度に、私は一条先生のエッセイ漫画を思い出していた。とても似ているのだ。他の先生方も本当に大変だった。。

宮沢賢治が
『春と修羅』
という言葉を遺してくれたから
私は「此処にいてもいいんだ」
「生きてていいのだ」
と思える。葛藤したまま生きる。

さみしいなあ。私は少ない。持ってるものが。/いや充分ではないか。何を贅沢なことを。/(沢山持ってると管理しきれなくて不安になる、だから制限してるのに)/(でも少ないものに頼り切ってるのがわかるから)/おちついて/力いっぱいな蝉の静けさに身を委ねよう/好きな本の中に入ろう寂しさは友

ひとり妄想読書会

ひとり妄想読書会

大好きな宮沢賢治。法華経との関係を見つめる本を読んでいます。今までそのことを「ふんわり」としかわかっていなかった自分。基礎的なことさえ理解していませんでした。

法華経は「妙法蓮華経」の略称で、原語のサンスクリット語では「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」と言うそうです。詳しくは省きますが「プンダリーカ」は“白い”蓮の花。「泥の中から咲く真っ白な蓮のような、妙なる真実の教え」という意味だったので

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芋煮読書会「女を書けない文豪たち」を振り返る

芋煮読書会「女を書けない文豪たち」を振り返る

2023年は ゆっくりしたいな…と思い、自分主催の予定は作らず、いろいろ整理したつもりでした。
でもどうしても気になる本が。しかもこれは1人でなく誰かとじっくり読み進めたい。。
その本とは…イタリア出身の日本文学研究者、我らが「イザベラさん」こと
イザベラ・ディオニシオ著

年明けの1月からtwitterスペースにて、毎週土曜日の午後2時〜、1章ずつ感想を述べ合うオンライン読書会を開きました。

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私の読書はまだこれから。。本当に始まったばかりです。たぶん一生、追いつけないままでしょう。だからといって沢山は読めない。再び読めなくなる時が来るかもしれない。だから1冊ずつ、ゆっくりゆっくり沈み込んで、味わって、私の細胞に落とし込むしかないのだろう…。「今を読む」。祈りとして。