経済的に余裕がない人ほど 「思考」「思索」を武器とするべきだ 1円も要らず、 時も場所も選ばず、 誰にも迷惑をかけず、 自分の好きなように考えられる お金がない人が 知恵さえも持たなければ どうやって世の中を生き抜いていくというのだ 「貧すれば鈍する」にだけは陥ってはならぬ
よく「日本の全国民から1円ずつ貰うことができたら1億円貰えるじゃん」みたいな妄言があるけど、 社会を良くするためには それに似たマインドが必要なのかも ほんの少しのリソースを広く集めれば、 社会を大きく変える力は確保できる 国がそれを「税」として募ると 猛反対を喰らうのだけど
今日思ったこと。人間一人一人の記憶量には限度があり、寿命が来たら失われる。だから、体の外に知識や知恵や経験を保存する必要が出てきた。それが書物であり、図書館。つまり、図書館は体外記憶装置。人間が築き上げた、多様で全体的な叡知をいつでも取り出して活用できるように発明された。
モンテーニュは38歳の時に引退して「モンテーニュの塔」に隠棲して読書と思索に耽りながら〚エセ―』を書き続けた。現代では、誰もがそうした塔を持てるわけではない。だとしたら、市民にとっての「モンテーニュの塔」が、図書館や自然のある公園だ。そうした静寂の空間で私たちはリトリートできる。