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20241003 イラストエッセイ「私家版パンセ」0055 マイスター制度 働くことは人間の尊厳である

 ドイツにはマイスター制度という制度があります。現在は手工業の減少やロボットなどの導入によって転機にあると言われていますが、人間の能力は様々であって、大学で高度な知識を身につけるだけでなく、手先が起用だったり、歌がうまい人にも社会的地位を与えようという制度の背景には、深い人間理解があると思います。

 人間は社会的な動物ですから、承認欲求から完全に自由になることはできません。(もちろん、承認欲求の奴隷になってはいけませんけれど)さまざまなタイプの人に社会にちゃんとした地位と居場所があることが必要だと思います。
 例えば江戸時代ですと、反社会的で無鉄砲な性格の人には、火消しという仕事があって、それなりに社会的地位があったと言われています。
 もし科学技術の知識、ITリテラシーとコミュニケーション能力、そして学力だけが社会において評価されるのだとすると、その社会はとても偏っています。

 働くということは、自分と社会のつながりです。
 どれほど遊んでいても楽しくないのは、遊びだけでは自分が社会の中で役に立つ存在であると思えないからです。
 ですから働くことは尊いことなのです。そして楽しく、誇らしいものでなければなりません。同時に、人間は自分が何かの技に秀でてゆくことに喜びを覚える生き物です。仕事は人間の内面的成長をもたらします。
 人間が多様なのですから、労働も多様でなければなりません。その労働の多様性をちゃんと評価しよう。
 マイスター制度の背後に、そのような人間理解があるとぼくは思います。

 現代はそういう人間理解とは逆の方向に進んでいるようですね。そこには労働から解放されれば幸せになれるという奇妙な価値観があります。
 けれども、今述べたような観点から見ると、それは少し考えが浅いようです。
 例えばアマゾンはとても便利です。でも、町から花屋が消え、書店が消え、雑貨店が消え、八百屋が消え、ついにはスーパーマーケットも消え、世の中から仕事がなくなったとしたらどうでしょう。世界の億万長者たちは、ベイシックインカムを提唱していますよね。仕事がなくなった人はベイシックインカムをもらって、その金でアマゾンから買い物をし、ネットフリックスを見て時間をつぶしていれば良いのだと。
 でもそこでは、社会とのつながりも、自己肯定感も生まれません。

 ⅮIYという言葉があります。
 ぼくの友達に、大学を卒業後、新聞社に就職しましたが、すぐに退職して家具職人になった人がいます。
 彼はDIYの意味を、「どうしても(D)、自分で(JI)、やりたい(Y)ねん」と言いました。笑
 ロボットが作ったものを使って、自分は寝て暮らす。そんなことは彼には考えられないことでしょう。
 どうしてもじぶんでやりたいねん。
 労働のない世界は豊かでも幸福でもない。人間は限られた人生の中で自分なりに一生懸命社会とかかわり、成長したいと願う生き物です。ロボットやAIが人間の仕事を奪うのは、単に仕事がなくなって食えなくなる、という問題ではなくて人間の尊厳が奪われるという問題なのです。そういう価値観もあることを忘れずにいたいと思います。

16世紀のマイスター・ジンガー ハンスザックス



 

 

 

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