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チラ裏と日記帳。新社畜人生活と生き苦しい日本社会と海外旅行の思い出と女尊男卑社会など語…

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チラ裏と日記帳。新社畜人生活と生き苦しい日本社会と海外旅行の思い出と女尊男卑社会など語ります。しばらくというかずっと無料。会社、組織、慣習、国境、年齢に縛られない新しい生き方を常に模索中。note初心者。日本社会でギリ健に踏み止まる全ての弱者男性の味方。INTJ。

最近の記事

新書『弱者男性1500万人時代』の感想文と考察ー女叩きの有無を中心にー

俺は弱者男性じゃない、いわば”仮性”弱者男性だった。なぜなら女叩きしているから。しかし強者男性でもアルファオスでもインフルエンサーでもモテてもいない件。 一読した感想としては、そもそも定義が困難を極める、「弱者男性」と言う用語に対する、様々な複雑性や多様性を包括的によく解説されていると思う。弱者男性はモテない・金がない・職がないなど、様々な要素が重なって成立するのであり、個々の欠落は、それぞれの定義となるようなイメージであろう。そこは最もだと思う。定義にここまで紙面を割く必

    • 女尊男卑社会日本の何が悔しいのか。

      くやしさを分かりやすく記述したいと思うが、これは中々に難しい試みである。しかしながら様々な論者がこれを明確化しようと必死に試みることは多いように思う。 簡単に言うと、 ①女性だけがプラスの性的資本を有し、 ②それにより女性同士の(半ば見せかけの)連帯と社会的庇護が生まれ、 ③女性の方が紛争・トラブル全般を有利に処理できるため、 人生生きやすい、という結論である。 男性は人生の負の局面に立たされたときに対処がより困難となり、司法判断が逆に男性であるだけでハードモードとなる

      • 人生は、金よりも時間が大切である

        当たり前だが、自分の時間=人生そのものである。今この瞬間、毎秒毎秒全てがまさに自分の人生そのものである。つまりそこで何をするか、何を勝ち得るか、何を手に入れるか、喜怒哀楽と想い出を手に入れるかが人生の全てである。 金はインフレや為替で価値が常に変動するものであるが、己の人生今この瞬間にも全て書き続けられている。もう2度と過去には戻れず、寿命まで1秒ずつすり減る時間の中で何をするかが全てである。 だから、「仕事」という幻想にすがる人生は早く捨てる あくまで理想だ。しかし理想

        • 男はどうでもいい女の感情の責任を取る必要は一切ない

          赤の他人が勝手に不快な思いをしていることに対して、何ら感情の機嫌を取る必要はない。 それは甘えであり察する分化のものである。しかし、男性は一切察してもらえないのに、女性からは察してもらうことを要求されるのはおかしい。女性同士ならお互い察しているからイーブンであるが、男性の場合は男性の感情を察してくれていない。だから、題名通り、どうでもいい女の感情ご機嫌取りをする必要は一切ないし、責任もない。大切にしたい女だけの感情のご機嫌に対して責任を追っているといえよう。令和日本女性に根強

        新書『弱者男性1500万人時代』の感想文と考察ー女叩きの有無を中心にー

        • 女尊男卑社会日本の何が悔しいのか。

        • 人生は、金よりも時間が大切である

        • 男はどうでもいい女の感情の責任を取る必要は一切ない

          外国で生活すると、なぜ日本人ルーティンの様子伺いがないのか?について考えてみた。

          とにかく海外ではジロジロ様子伺いみたいな仕草がない。異端を排除し、隊列を乱す者を叩き責任逃れに熱心な日本社会では、いちいち他人を監視しないと生きられないほど、過剰反応する司法に頼り他人の足を引っ張りたい人間に満ち溢れているが、海外だとそもそも赤の他人に悪意をもって干渉しようとするムーブ自体が少なく、それは善意の干渉の方が明らかに多いと、今回の海外滞在で思う。他者への干渉が善意からか、それとも悪意(回り回って、巧妙に、自分の利益のため)かという違いである。 不特定多数の他者へ

          外国で生活すると、なぜ日本人ルーティンの様子伺いがないのか?について考えてみた。

          毎期アニメチェックとは、異世界転生に近い、束の間の非日常へ誘う最高のルーティンである。

          出る杭は打たれ、狭小で一面的な無数の基準を作り出し、そこに当てはまらない異端人間に自らの人生の責任を押し付け合う社会(前稿参照)では、一度きりの人生の無数の可能性を体験することなく死んでいくしかない人々も多いに違いない。 アニメはフィクションがほとんど全てである。 もはや眠る他ないと言われた社会体制においても、空想や仮想世界なら、本来持ち得た人生の無数の可能性を、フィクションのストーリーやキャラクターを通じて追体験することができる。それが毎期ごとに新しく放送される、いわゆる

          毎期アニメチェックとは、異世界転生に近い、束の間の非日常へ誘う最高のルーティンである。

          "責任回避社会"日本の行末は?

          まとめ ①責任回避の為に常に他人をdisる国民性は、匿名で責任回避しやすいネット村社会で強化され悪化した。 ②責任回避で、日本社会はほとんどの説明がつく。 日本人の行動原理の大半は、責任を回避するという原理により説明可能であるという発見を、ふと海外滞在で閃いたので、ここに記しておきたいと思い、海外のカフェでiPadとキーボードを走らせている。 根本的に他人をやたらに批判したがらない外国人と、やたらと同族を批判したがる日本人 東南アジアなどの発展国にふと滞在してみると、

          "責任回避社会"日本の行末は?

          日本社会は我慢比べと情弱ビジネスから卒業しよう

          労働中の殺伐とした「空気」と労働中も朗らかな外国人たち 海外、それも東南アジアや発展途上国に行けば誰でもわかる。自我を押し殺し必死に職場にしがみつき、それゆえに足の引っ張り合いと同士撃ちで無駄な消耗を繰り広げる潔癖な日本の職場環境と、仕事中スマホいじりがあたり前、話かければなぜか笑顔ややる気にあふれる外国ローカル店舗。 我慢比べ大会をやめられないがゆえの息苦しさに人生の大半を捧げて死んでいく日本雇用労働者と、客のいない間は好き勝手スマホいじりながらレジ打ちをする外国人労働者

          日本社会は我慢比べと情弱ビジネスから卒業しよう

          令和日本男性にとって、結婚のメリットとは何か?

          それは、「子供」と「家庭を持てる」がトップという。家庭とは配偶者でありパートナーである。 「子供」と「パートナー」それ自体が価値を持たなくてはいけない。 それと対を成すデメリットが、離婚後、つまり女性が否といった場合のデメリットである、女性割、女性優遇の判例である。 離婚の場合、財産分与では財産の大小にかかわらず折半が多く多数派において男性の金銭的負担が多くなる、親権付与においては女尊男卑が成立し子供は女性に奪われるのが多数派である。子供とパートナーの価値は女性も同等なのに

          令和日本男性にとって、結婚のメリットとは何か?

          女尊男卑社会令和日本に見る、衣服の価値における男女差、そして弱者男性と停滞する令和、二次元と多様性について

          端的に言うと、女性がスカートの中を部分的に見せているのは合法であり、それを男性が見たり撮影するのは犯罪、男性がズボンや下着を下すのは犯罪であり、それを女性が撮影してインス〇やツイッ〇ーに晒すのは合法という点だ。イスラムの顔を覆い髪を隠すヒジャブの考え方とは反対に、女性の誘惑は合法であり、男性の誘惑は犯罪であるという図式、逆イスラム教。女性がどこまでも自由を与えられ、男性の自由は抑圧される。憲法も真っ青の女尊男卑社会令和日本。 第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は

          女尊男卑社会令和日本に見る、衣服の価値における男女差、そして弱者男性と停滞する令和、二次元と多様性について

          改めて、DieWithZeroは至高の思想であり、金は戻るが寿命は戻らない。その重みを味わうと、人生は最善に向かって分岐する

          令和にもなって日本人の99%はお金を求めて未だに寿命を(人生の残り時間を)削っている。貯蓄は労働者の場合、手取りの余剰分でありそれは将来の可能性へのたくわえである。 しかし将来は今と同じなのだろうか。 やや哲学的になるが、明日死ぬかもしれないし、明日ガンがみつかるかもしれないし、事故や事件に巻き込まれるかもしれないし、あと数分後に巨大地震やテロや津波が来るかもしれない。 未来は誰にもわからないが、金銭での保障しかできないのが現状である。しかし金は可逆的で、後でも労働でも

          改めて、DieWithZeroは至高の思想であり、金は戻るが寿命は戻らない。その重みを味わうと、人生は最善に向かって分岐する

          日本の女尊男卑は極限に達しているが、優遇と言えないほど優遇が浸透していて誰も発言できないからネットで発言されるの巻。

          チラシの裏形式で思ったことを書き殴りました。 「事実陳列罪」という不可思議なネットミームに、不都合な真実を隠す女性の特性が現れる 女性にとって真実は重要ではない。なぜなら真実とは不変ではないからだ。常に変化することを求め、常に変身願望があり、努力するリスクと責任を回避する生物であるがゆえに、不変とされる事実に対する重みもないし、それを受け止めることもない。そして受け止めなくとも良い社会(女性だけが) となってしまった令和日本社会。男性だけが、真実を直視し、ホモソーシャルな

          日本の女尊男卑は極限に達しているが、優遇と言えないほど優遇が浸透していて誰も発言できないからネットで発言されるの巻。

          人生も投資も、中長期的視野で見ないとわからない。

          人生楽ありゃ苦もあるさ。という。 人生も株価も、上がるときもあれば下がるときもある。 ついてない日が続いて、嫌なことばかりで、それが連続で起こると、もう参ってしまうこともあるが、数か月後や数年後にはもはやどうでも良いことだって沢山ある。 株取引においても、株価が下落し続けてガチホールドし続けるのはメンタルが削られる。自分の金が株においては目減りしているのだから。 でも個人の人生も、株式も、自分の人生や会社の業績が上向けば、その浮き沈みの線は上昇を始める。それは過去に何があっ

          人生も投資も、中長期的視野で見ないとわからない。

          休日でも仕事のことをイチイチ気にしてしまう病について

          せっかく有給をとったり、または固定休だったり、はたまた無給休みだったりした時に、どれだけ仕事のことを忘れてエンジョイできるかは個人の性格や価値観、そして職種によっても違うのではないか。 そして筆者は特に休日に気にする必要なんてほとんどない仕事が、キチンと稼働しているか、問題が起こっていないか、そして自分が怒られないかを気にしてしまい、いちいち職場の情報をオンラインで確認する癖が抜け切れていないのであった。 その理由としては、上司や同僚にいちいち怒られたくない、批判されたく

          休日でも仕事のことをイチイチ気にしてしまう病について

          人生について

          ※画像は内容と関係ありません(#恋するAI) やっぱり人生は圧倒的に短い。 短いゆえに、やりたいことをできるだけやり、やりたくないことをできるだけやらないという方針は人生の基本戦略となろう。 金はいつでも取り返せるし複利で増加も可能だが、寿命という人生のタイムリミットは1秒ごとに減り続けている。 なのになぜ令和にもなって日本人は、前例主義判例主義のごとく思考停止しなければならないのか。 つまりは他者の意見、集団内の意見、社会(世間様)の意見、空気を感じて忖度することにと

          人生について

          女性と男性の人的資本の差異による人生難易度に着目するー生得的か、後天的かー

          今や令和日本社会においては、本来強者であったはずの男性が弱者に転落すると、弱者男性という不名誉な名称で自称・他称されるようになった。もはや男性こそが弱者であることを、もう一度確認しようというのが今回のテーマである。 生まれながらの資本を持つ女性、持たない男性 性別により「武器」となりうるスキル、性質は異なる。女性の場合、生まれながらに持つ「性的資本」(肉体による魅力)と、同様にやや生得的に得られるコミュニケーション能力、「社会資本」(人脈)を有する。性的資本においては年齢

          女性と男性の人的資本の差異による人生難易度に着目するー生得的か、後天的かー