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女性有利社会と化した令和に生きる日本男性の地獄的状況とその変革について

女性は生得的に手に入れた身体さえあれば、恋愛活動の前半(交際するまで)において、男性から与えられるあらゆる資源にタダ乗りできる。

上位1%未満の男性以外は、全て女性の奴隷と化す。

しかし、数千年前の中東などにおいて、女性が家畜同様の産む機械だった。
女性が羊や家畜と同様の交換物として人間ではなかった時代と比べると、社会の安定度が増すほどに、女性が得意とする安定を維持する能力により、令和日本社会は、女性であるだけで、男性よりも生きやすい社会構造と化している。


男女が対比できる異性交際の場における男女格差


例えば、男女交際の場で考えてみよう。パブリックなものとして有名どころを挙げてみる。
①マッチングアプリ
②婚活イベント
③出会い系酒場・カフェ
④結婚相談所
⑤SNS
⑥ナンパ

この①~⑥の全てにおいて、男性側が高い料金設定となることが運命づけられている。

ある意味公的な男性差別であるが、それが公然とまかり通っている国は日本社会ぐらいではないか。外国人も驚くほどのすがすがしい女性優遇である。

経営的に有利などの理由が上げられるが、女性も男性と同額払うなら経営的にはそっちのが売上は上がるだろう。
しかしながらこれは、男女の恋愛市場における、需要と供給を反映したものとなっている。端的にいうと、女性は10人の男性の中から交際相手を選ぶのだが、男性は1人の女性を獲得するために競争に参加するのである。
つまり女性は上から目線で男性を選ぶことが、単に女性であるというだけで成立しているということである。
その結果、恋愛市場における男女の難易度の差から、恋愛結婚をあきらめる若者男性が続出しており、少子化未婚化に直結している。

また、令和日本の風潮として、従来異性に求めてきた要素が逆転する現象が起こり始めている。

男性は、女性に年収や経済力を求め始めた。
女性は、男性に容姿や年齢を求め始めた。

こうして、男女ともに交際活動のハードルが上昇し、中高生もしくは大学時代の、まだ初心者でも許されたバトルフィールドを卒業してしまうと、もはや社会人からは圧倒的経験値の差で、恋愛できる者、できない者(女性の場合は、選べる者、選べない者)と言った残酷な選別が行われていく。
幼少期を勉強や部活や趣味に専念し、恋愛弱者となった男女は、こうしてイバラの道と化した恋愛市場を突き進むことを半ば諦め、おひとりさまとして一生を終える覚悟を決めるしかなくなってしまう。

無料の人づての出会いにおいても男女の難易度は圧倒的に異なる

職場や知り合いの女性の話を聞くと、そもそも女性同士の相互ネットワークによる異性紹介は、男性同士の小さな職場上の知り合いや友達の範囲を遥かに超えて機能しているように思う。
つまり女性の方が社会資本(≒知り合い)を多く有しており、友達の友達や、知り合いの知り合いといった広範な人的ネットワークによる助け合いが得られやすく、それは異性の紹介においても例外ではないことがわかる。
毎週だの毎日だの、仕事終わりに男が寄ってきて、食事や飲みや合コンに参加する女性たちの生活を見ていると、男性はいかに女性獲得自体が困難であるかを体感している現状である。

さらに男性は年齢を重ねるほどに、職場も従来も含めて、友達というものができにくくなるように思う。男性は女性同士のような、集団を維持するための、仲良くすることを前提としたコミュニケーションを取るようにプログラムされていない。
男性は狩りをするためにお互いの優劣を把握して上下関係を見定め、先輩後輩関係、上か下かを常に意識するように仕向けられた、戦闘本能がある。男性同士は年齢が上がるにつれて、無条件に協力し合うのは不可能であり、社会的成功・スペックをめぐって必ず対立が生まれる。それは女性がそう仕向けているというのもあるが。

したがって、女性の紹介なども、そう簡単にはうまくいかず、そもそもの社会的スペックが高くなければ、「男性」(オス)というカテゴリーで異性に紹介されることもない。
女性だと、ほぼ全ての場合において社会的スペックに関係なく、「女性」(メス)という扱いを受けることができるため、知り合い同士のある程度の信用を担保した合コンなどにも容易に参加できる。

無料での男女交際のチャンスにおいても、男女差は有意にあると思う。

弱者男性の生存戦略と、男女の「質」の違い

そうすると、恋愛弱者として成長して年齢を引き返すことのできない弱者男性は、今すぐスペックを上げ、経験値を上げる努力を始めないと、そもそも機会すら与えられない。まさにこの界隈においてよく言われる、これである。

女性が彼氏作るのは自販機の前でジュースどれにしようか悩むくらい簡単で、男性が彼女作るのは砂漠の中で一滴の水を求めてさまようくらい大変

そうしたたとえ話を直視すると、令和日本社会で男性であることは非常に人生難易度を吊り上げる代物であるように思う。その分得られる可能性のある資源の幅は男性の方が大きいのだろう。
なぜなら、女性のトップはどこまで美貌を持ち得ても、己の能力で革命的な偉大な事業や業績や研究を成し遂げることは難しいからである。
それはそこまで努力しなくても良い女性有利の価値観とセーフティネットが存在しているからであろうが。

ここで一つ例え話を出すと、医療系における、医科と歯科の違いがあげられる。
一般的な話で申し訳ないが、よく医学部に入学する能力がない学生の場合に歯学部入学を選択することがある(親が富裕層、社会階層上位)。
歯学部は医学部より安定的な高収入を望みにくい代わりに、歯科の方が保険診療と自由診療を分けて組み合わせて使うことで、上位層は医科よりも稼げる場合がある(勤務医・開業医問わず)。社会的地位や権限という意味ではなく、経済的勝者になるなら、保険診療という制限を超えて、自由診療で文字通り「自由に」できる歯科の方が有利となる。
ここで例えるなら、女性は医科で、男性は歯科である。男性の上位層であるモテ男やホストやアイドルは、女性よりも人生イージーモードだったりする。

誰にも求められなくなった、男性の「危険を冒す権利」の使い方


男性の特権は、愚行権ともいえる、愚かさの社会的認知と許容であろう。狩りで獲物をしとめるためには、多少の身体的精神的犠牲を払ってもかまわない、男の勲章などと言われるそうした男らしい行為が許容されているということである。危険を冒す権利というのか。しかしてそれは、潔癖で鬱苦しいリスク回避社会令和日本においては、誰も望んでいないような特性である。ここに矛盾が生じている。

ではこの現代において不必要となった特性をどう活かすか。
それこそ、男性に与えられた、男女交際において女性を積極的に誘う行為において用いる特性である。もちろん、その最終決定権を女性に握られた中での、被支配者としての振る舞いに限られる訳であるが。
そして、女性よりもロマンを追求できる能力を活かして、でっかい夢を描き、圧倒的スケールで、自分の理想のままに、革命的な事業や業績を成し遂げることである。世界を変える壮大な活動を思い描けるのは男性のみである。

男性なのに思考停止して、狭いちっぽけな世界の中で一生を終えようとしている、いわゆる落ち着いた男性も多い。年齢とともにリスク回避傾向、新奇性を避ける傾向が強まる。
しかしながら、孫悟空もルフィも男であり、アレクサンドロス大王もチンギス・カンもナポレオンもリンカーンもヒトラーも毛沢東もガンジーもスティーブ・ジョブズも男である。

男こそ世界征服を目指せる。男こそ世界を変える力がある。


令和日本の潔癖なまでの女性優遇社会により、女性が好む集団の情報共有と維持安定が徹底的に社会全体に浸透した結果、男性が本来有利な特性として持つ、独自性、改革性、新奇性、ひらめき、想像力、気の利いた辛辣なユーモアが失われているように思う。
女性同士の集団を維持する前提の、ぼかした言葉、察する文化でのコミュニケーション、暗黙の了解などに支配された令和日本社会からは、はっきりいって、アップルやエヌビディアやメタやテスラやアマゾンやマイクロソフトなんて出てこない。
男本来の持つ、女性に嫌われるストレンジー奇妙さ・奇怪さ・目新しさこそが、従来の社会に存在しなかった革命的な発想や思想をもたらし、世界を変える力になる。

最近では不景気が続き、国債が増大しているというプロパガンダによる五公五民の血税政策が行われ続けているが、経済的成長はやはり、新機軸を打ち出す能力のある男性こそそのカギを握っており、いくら日本社会において女性を優遇しても、永遠の経済停滞は免れない。
女の維持・安定に特化した能力を優遇した結果、イギリス丸パクリのNISA非課税制度で、国民に投資させつつ血税もしゃぶる拝金国家となり、経済を動かす、アイデアや新機軸、革命やひらめきの尊重が失われてしまったように思う。

今男性は、己の生まれ持った有利な特性を生かして、世界に羽ばたく、世界に通用する革新的なビジネスを生み出して、くだらない保守と既得権益だけの国から脱出する準備を始めるべきではないか。
そして、そこに女性もついてくる。
結局モテる男は、女なんていなくても、己の野望に燃え滾り、己の目指したロマン達成のために日々輝いている男なのである。

梅雨明けは近い。
男性として生まれてきた意味を、今こそ、解放するときである。

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