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歴史と自然と古典と書物への愛があり、「本と人生という大学から生涯学ぶ」 古本日記や書評…

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歴史と自然と古典と書物への愛があり、「本と人生という大学から生涯学ぶ」 古本日記や書評など、「知的生活」について総合的に綴ります。ベーコンの「知は力なり」について思案することがある。 ストア派哲学を学んでいます。 ©️本アカウントの創作はすべて@Kazuに既得します.

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  • 読書記録

    @Kazuが執筆する、複線的読書記録。私自身が出会い、魅了された本の数々と読書にまつわる記事

  • 古本日記・読書日記

    @Kazu 筆の古本日記をまとめています。

  • ベーコンの叡智

    哲学者のフランシス・ベーコンについて私自身が執筆した記事をまとめています。

  • 読書論エッセイ

    @Kazuがお届けする、読書の楽しさを共有したり、再認識できることを目的としたエッセイをまとめています。読書が好きな人にも、そうでない人にも、読書について、発見があることを目的にしています。

  • 自己批評の記事まとめ

    私自身が執筆した自己批評の習慣を持つことの意義についての記事をまとめました。

最近の記事

ニュースの概念を変えることの意味・NewsDietのすすめ。

はじめに 私のNoteではこれまで一人で静かに過ごす時間や静かな生活の意義について考えてきた。その中には、テレビやニュースに対しての懐疑的な見方も含んでいたと思う。 今回は、今まで書いた考え方を踏まえ、ニュースを得るという行為に対しての自分の考えを改めて整理してみたい。 スティーブン・ピンカーのアイデア ハーバード大学の認知科学者で『暴力の人類史』(青土社)や『21世紀の啓蒙』(草思社)などの著作のある啓蒙主義論客、スティーブン・ピンカー博士のTEDの講演を最初に聴いた

    • Phaさんのご著書、「しないことリスト」が好きです。書店で購入したのが三週間か四週間ほど前。大事にしようと思います。僕にとってバイブルのようになるかもしれないと思います。Phaさんの他の本にも興味があります。

      • 減速、老子、ストア派、スロー・イズ・ビューティフル、静けさ、静寂。これらはすべてつながっている。ダニー・ドーリングの著書によれば、人類社会は、大減速時代に突入した。このフェーズは、地球が人類に自分たちの行く末を委ねた最後の切り札かもしれない。それは、少ないことにこそ豊かさがある。

        • 道端にひっそりと咲く野草は、季節が変われば自然に消え、誰からも忘れ去られる。だからこそ、そこに美しさがある。人間も同じだ。どんな人間でも、200年もすれば、人々の記憶から消える。情報は残るかもしれないが、1000年後にはもう字である。その時まで人類が存続していない可能性も高い。

        ニュースの概念を変えることの意味・NewsDietのすすめ。

        • Phaさんのご著書、「しないことリスト」が好きです。書店で購入したのが三週間か四週間ほど前。大事にしようと思います。僕にとってバイブルのようになるかもしれないと思います。Phaさんの他の本にも興味があります。

        • 減速、老子、ストア派、スロー・イズ・ビューティフル、静けさ、静寂。これらはすべてつながっている。ダニー・ドーリングの著書によれば、人類社会は、大減速時代に突入した。このフェーズは、地球が人類に自分たちの行く末を委ねた最後の切り札かもしれない。それは、少ないことにこそ豊かさがある。

        • 道端にひっそりと咲く野草は、季節が変われば自然に消え、誰からも忘れ去られる。だからこそ、そこに美しさがある。人間も同じだ。どんな人間でも、200年もすれば、人々の記憶から消える。情報は残るかもしれないが、1000年後にはもう字である。その時まで人類が存続していない可能性も高い。

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          6本

        記事

          最近、老子を読んでいる。世俗的成功に執着するな、余計な欲望を削ぎ落せとアドバイスするこの書物は老子という一人の賢者が書いたわけではない可能性がある。老子は伝説的存在で謎に包まれている。複数の無名の創作者の論が徐々に一冊の本にまとまった可能性高いのだと。名無しの権兵衛に偉大さがある

          最近、老子を読んでいる。世俗的成功に執着するな、余計な欲望を削ぎ落せとアドバイスするこの書物は老子という一人の賢者が書いたわけではない可能性がある。老子は伝説的存在で謎に包まれている。複数の無名の創作者の論が徐々に一冊の本にまとまった可能性高いのだと。名無しの権兵衛に偉大さがある

          フォーブスリストには、物質的・世俗的成功を収めた大金持ちが名を連ねている。だが、それは厳密には満ち足りた人生をおくる人の幸福な人生リストではない。経済的に富んでなくてフォーブスリストにはまず載らなくとも、満ち足りた人生をおくった人、あるいはおくっている幸福な人は数多くいると思う。

          フォーブスリストには、物質的・世俗的成功を収めた大金持ちが名を連ねている。だが、それは厳密には満ち足りた人生をおくる人の幸福な人生リストではない。経済的に富んでなくてフォーブスリストにはまず載らなくとも、満ち足りた人生をおくった人、あるいはおくっている幸福な人は数多くいると思う。

          老子は静けさを愛する。争わない知恵である「不戦思想」はトルストイ、ガンジーにも受け継がれ、大きな影響を与えた。日常でも何でも、争わずに問題を解決する方法が求められている。それにより、静けさが保たれる。これは永遠のテーマであり、私自身も模索中である。

          老子は静けさを愛する。争わない知恵である「不戦思想」はトルストイ、ガンジーにも受け継がれ、大きな影響を与えた。日常でも何でも、争わずに問題を解決する方法が求められている。それにより、静けさが保たれる。これは永遠のテーマであり、私自身も模索中である。

          スイスの作家で実業家のロルフ・ドべリは、『Think Clearly』で、一台のノートパソコンとアプリを最小限まで抑えたスマホ以外は、テレビも含め、テクノロジーをすべて生活から排除している、と述べている。氏は、デジタルミニマリストを実践している。模範的で、心を豊かに保つ秘訣だ。

          スイスの作家で実業家のロルフ・ドべリは、『Think Clearly』で、一台のノートパソコンとアプリを最小限まで抑えたスマホ以外は、テレビも含め、テクノロジーをすべて生活から排除している、と述べている。氏は、デジタルミニマリストを実践している。模範的で、心を豊かに保つ秘訣だ。

          ベーコン卿のアドバイスに共感したから、自然観察を友にする。(古本日記)

          哲学者のフランシス・ベーコン卿は、『ベーコン随想集』で次にようにアドバイスしている。 これを読むと、ベーコン卿は、歴史や寓話とともに、自然観察(という心を輝かせるような対象で満たす研究)を受け入れるように、読者にアドバイスしていることがわかる。 (ベーコン卿は自然観察においても熟達していたのだろうか。知りたいところである。) 私はこの文章を読んだこともあり、以前から、自然観察を趣味にしたいなあと漠然と思っていた。 最近は危険な暑さで無理だけれど、もう少し涼しくなってきたら、

          ベーコン卿のアドバイスに共感したから、自然観察を友にする。(古本日記)

          ズームアップ、どんぐり。去年の秋。 酷暑が続いているけれど、秋は必ずやって来ると期待して。

          ズームアップ、どんぐり。去年の秋。 酷暑が続いているけれど、秋は必ずやって来ると期待して。

          モンテーニュは38歳の時に引退して「モンテーニュの塔」に隠棲して読書と思索に耽りながら〚エセ―』を書き続けた。現代では、誰もがそうした塔を持てるわけではない。だとしたら、市民にとっての「モンテーニュの塔」が、図書館や自然のある公園だ。そうした静寂の空間で私たちはリトリートできる。

          モンテーニュは38歳の時に引退して「モンテーニュの塔」に隠棲して読書と思索に耽りながら〚エセ―』を書き続けた。現代では、誰もがそうした塔を持てるわけではない。だとしたら、市民にとっての「モンテーニュの塔」が、図書館や自然のある公園だ。そうした静寂の空間で私たちはリトリートできる。

          図書館のような静寂を保証する環境を公共空間や社会環境全体に拡張してみたらどうだろう。ただそれはむしろ、子どもの声や赤ちゃんの泣き声や笑い声、人間の対話や談笑や雑談といった有機的で自然なシチュエーションを含む必ずしも無音ではない環境を促進するもので、人の尊厳や幸せを静寂で保証する。

          図書館のような静寂を保証する環境を公共空間や社会環境全体に拡張してみたらどうだろう。ただそれはむしろ、子どもの声や赤ちゃんの泣き声や笑い声、人間の対話や談笑や雑談といった有機的で自然なシチュエーションを含む必ずしも無音ではない環境を促進するもので、人の尊厳や幸せを静寂で保証する。

          静かな環境というのは、自分の思考や思索が強い力によって中断されないという特徴がある。自然音は思考や静慮を中断しないが、テレビなどの電子的な人工音は無理やりそれらを中断する。思考や静慮は人間の尊厳や真実の追求を表しているので、そうした中断が混じる環境は不自然なのかもしれない。

          静かな環境というのは、自分の思考や思索が強い力によって中断されないという特徴がある。自然音は思考や静慮を中断しないが、テレビなどの電子的な人工音は無理やりそれらを中断する。思考や静慮は人間の尊厳や真実の追求を表しているので、そうした中断が混じる環境は不自然なのかもしれない。

          テレビというメディアは、対話を前提としていない。音声や映像が一方的に雑然と押し寄せ、中断し、自分のペースで批判的に検討することを難しくしている。そうした性質は書物と正反対である。テレビはゆっくりとしたメディアではない。それは同調的な空気を醸し出し、視聴者に無意識に強要している。

          テレビというメディアは、対話を前提としていない。音声や映像が一方的に雑然と押し寄せ、中断し、自分のペースで批判的に検討することを難しくしている。そうした性質は書物と正反対である。テレビはゆっくりとしたメディアではない。それは同調的な空気を醸し出し、視聴者に無意識に強要している。

          Aという創作物があってそれが徹底的に批判されてBが登場する。Bは検証されて認められるか、また批判的に検証され、さらにそれが繰り返えされる。この時、Aに意味があるか。あるのだと思う。アリストテレスは批判されることに意味があった。誤りはあったけど、誤りを生み出したことにも意味がある。

          Aという創作物があってそれが徹底的に批判されてBが登場する。Bは検証されて認められるか、また批判的に検証され、さらにそれが繰り返えされる。この時、Aに意味があるか。あるのだと思う。アリストテレスは批判されることに意味があった。誤りはあったけど、誤りを生み出したことにも意味がある。

          先ほど公開した記事を下書きに戻しました。自分の記事の内容に新たな疑問点や懐疑点が湧いた場合に「再考」することがあります。やっぱりそれなりにちゃんと時間をかけて考え抜いて書いた作品に満足します。それは自分の内なる基準によります。再考して書き直します。

          先ほど公開した記事を下書きに戻しました。自分の記事の内容に新たな疑問点や懐疑点が湧いた場合に「再考」することがあります。やっぱりそれなりにちゃんと時間をかけて考え抜いて書いた作品に満足します。それは自分の内なる基準によります。再考して書き直します。