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助けてもらっていいんです—会社を辞めて気づいたこと
去年の夏、会社を辞めて国外の大学院を受験すると決めたとき——すがすがしい気持ちで、まったく迷いはなかったものの——心の奥底でひっそり覚悟したことがありました。今後は何事も自分ひとりで対処するしかない、ということです。社会保険やら税金やらはもちろん、仕事にまつわること、運良く合格すれば渡航の手続きほかもろもろ、やることはたくさんあれど、助けてくれる人はいない。うっかりミスをして取り返しのつかないこと
もっとみる選ぶのは、罰する法律?助ける法律?—アメリカの「中絶禁止」と「日本の配偶者同意」から考えたこと
最近、特に、女性のリプロダクティブ・ヘルス・ライツについて考えをめぐらしています。先日は、アメリカの中絶禁止論争について書きました。女性の権利をめぐる政治的な闘争であることは理解でき、その部分には賛同する一方、妙な違和感がぬぐえませんでした。プロライフ(中絶絶対禁止)派の主張が、いかに中絶が悪いことか、禁を破った者をどう罰するかに終始していて、生まれてくる赤ちゃんと母親をどう支援するのかという話が
もっとみるEmpathyからすべてが始まる—スタンフォードで学んだ、他者の身になって考えるということ
夏から大学院留学を控えた今、縁あって週に一度、都内で若い研究者の卵たちとジェンダーとメディアについて勉強しています。先日、その場で、「自分以外の誰かについて語るって難しい」という話題になりました。研究者もメディアの人間も、自分が当事者でない事柄について調べたり書いたりすることがあります。そのときどうしたらいいのか。難しい問題ですが、わたしの場合は、できるだけ相手の現実を歪めないために、指針としてい
もっとみる女性と「選択する権利」—アメリカ「中絶禁止」論争から考えたこと
※5月14日加筆修正しました。
先日、内密出産の話題をきっかけに、意図しない妊娠と、女性のリプロダクティブ・ヘルス・ライツ(生殖と性に関する健康と権利)について改めて調べ、考える機会がありました。適切な性教育、女性主体の避妊、そして、妊娠した女性が状況に関わらずケアが受けられるようにすること—これらがいかに大切かを実感すると同時に、その難しさを思い知らされる気がしました。意図せぬ妊娠をした女性に
人を責めるのはもうやめよう
年明け、内密出産をめぐる報道を見聞きするたびに、わたしは内心ハラハラしていました。女性を責めるような風潮が湧き上がるのではないかと不安だったからです。体裁が整わない状況で妊娠することに対して、日本の社会は批判的です。新聞や雑誌の論説やコメンテーターも口を揃えて「生まれてくる赤ちゃんに罪はない」と言います。それでは、妊娠してしまった、あるいはそのまま出産に至ってしまった母親は?母親の落ち度に矛先が向
もっとみる内密出産 “しくみ”から何が見える?
予期せぬ妊娠をした女性が病院にだけ身元を明かして出産する「内密出産」。今年1月、熊本市の慈恵病院が実施に踏み切ったことを発表し、その後、多くのメディアが報道しました。経緯を紹介したものや、子どもの出自を知る権利の問題を掘り下げたもの、現行法での問題点を指摘するものなど様々な観点がありましたが、おおむね論調は好意的で、読者・視聴者の反応も同様でした。WEB記事のコメント欄やソーシャルメディアでは子ど
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