一條淑江(イチジョウヨシエ)

不惑を過ぎて勉強の楽しさに目覚め、とうとう会社を辞めてNYに留学することにした元テレビ…

一條淑江(イチジョウヨシエ)

不惑を過ぎて勉強の楽しさに目覚め、とうとう会社を辞めてNYに留学することにした元テレビ局プロデューサー。2022年の夏に引越し予定。関心領域はジェンダー、メディアなど。学びの旅の途中で「!!」となったことをシェアできたらうれしいです。

最近の記事

わたしを変えた後悔

仕事や趣味や学校など、どこかでいっしょに過ごしていて、心に通じるものがあったけど、今は日常的に会うことがない誰か。今はどうしているのか気になる誰か。もっと話してみたかった誰か。そんな誰かの顔や名前が心に浮かんだら、できるだけすぐ連絡する。久しぶりでも、特に用事がなくても。思い立ったときに、「あなたのことを気にかけているよ」と伝えるひとりキャンペーンを、私はここ数年、ひっそりと続けています。 先方は怪訝に思うかもしれないし、なんだかちょっと変な人みたいですが、意に介さず連絡す

    • 助けてもらっていいんです—会社を辞めて気づいたこと

      去年の夏、会社を辞めて国外の大学院を受験すると決めたとき——すがすがしい気持ちで、まったく迷いはなかったものの——心の奥底でひっそり覚悟したことがありました。今後は何事も自分ひとりで対処するしかない、ということです。社会保険やら税金やらはもちろん、仕事にまつわること、運良く合格すれば渡航の手続きほかもろもろ、やることはたくさんあれど、助けてくれる人はいない。うっかりミスをして取り返しのつかないことになるかもしれないし、すさまじく孤独を感じるかもしれない。それでも自分で決めたか

      • 選ぶのは、罰する法律?助ける法律?—アメリカの「中絶禁止」と「日本の配偶者同意」から考えたこと

        最近、特に、女性のリプロダクティブ・ヘルス・ライツについて考えをめぐらしています。先日は、アメリカの中絶禁止論争について書きました。女性の権利をめぐる政治的な闘争であることは理解でき、その部分には賛同する一方、妙な違和感がぬぐえませんでした。プロライフ(中絶絶対禁止)派の主張が、いかに中絶が悪いことか、禁を破った者をどう罰するかに終始していて、生まれてくる赤ちゃんと母親をどう支援するのかという話が聞こえてこなかった(既存の政策論争から判断するに、むしろ消極的)からです。 中

        • Empathyからすべてが始まる—スタンフォードで学んだ、他者の身になって考えるということ

          夏から大学院留学を控えた今、縁あって週に一度、都内で若い研究者の卵たちとジェンダーとメディアについて勉強しています。先日、その場で、「自分以外の誰かについて語るって難しい」という話題になりました。研究者もメディアの人間も、自分が当事者でない事柄について調べたり書いたりすることがあります。そのときどうしたらいいのか。難しい問題ですが、わたしの場合は、できるだけ相手の現実を歪めないために、指針としていることがあります。empathy、その人の身になって理解しようとすることです。

          女性と「選択する権利」—アメリカ「中絶禁止」論争から考えたこと

          ※5月14日加筆修正しました。 先日、内密出産の話題をきっかけに、意図しない妊娠と、女性のリプロダクティブ・ヘルス・ライツ(生殖と性に関する健康と権利)について改めて調べ、考える機会がありました。適切な性教育、女性主体の避妊、そして、妊娠した女性が状況に関わらずケアが受けられるようにすること—これらがいかに大切かを実感すると同時に、その難しさを思い知らされる気がしました。意図せぬ妊娠をした女性に対する「ケア」が、出産を支援すること(内密出産/匿名出産、養子縁組、育児補助など

          女性と「選択する権利」—アメリカ「中絶禁止」論争から考えたこと

          話したいことがあるかぎり(非ネイティブの英語)

          アメリカの大学院に留学予定であることを伝えると、かなりの高確率で聞かれるのが、英語についてです。「英語、話せるんですか?」とか「帰国子女なんですか?」とか、軽く10人以上に聞かれたと思います。 「話せるのか」という質問の答えは、YESでもありNOでもあります。授業や打ち合わせの場で意見を述べたり、雑談したりすることはできますが、自在に操れるというレベルではなく、ネイティブのように話すことはできません。 話すのは苦手です 私の英語力のうち「話す」「書く」の運用する部分は、

          話したいことがあるかぎり(非ネイティブの英語)

          勉強って希望だ

          この文章は、過去に別のところで書いたブログの転載です。(※一部加筆修正あり)2021年の9月、勉強への愛があふれて勢いで書きました。これを書いて心が固まったのか(?)この直後、会社に辞意を伝え、大学院出願のためのエッセイを書き始めたのでした。 わたし、気づくとここ2、3年、勉強ばかりしている? 新卒でテレビ局に就職して働き続け、20年を超えてしまった。そんな45歳の今、自分でも不思議なくらい勉強にはまっている。正直めちゃくちゃ楽しい。なぜそんなふうに思うのか、ちょっとだけ

          人を責めるのはもうやめよう

          年明け、内密出産をめぐる報道を見聞きするたびに、わたしは内心ハラハラしていました。女性を責めるような風潮が湧き上がるのではないかと不安だったからです。体裁が整わない状況で妊娠することに対して、日本の社会は批判的です。新聞や雑誌の論説やコメンテーターも口を揃えて「生まれてくる赤ちゃんに罪はない」と言います。それでは、妊娠してしまった、あるいはそのまま出産に至ってしまった母親は?母親の落ち度に矛先が向かえば、激しい批判が巻き起こっても不思議ではありません。 幸運なことに、私の心

          人を責めるのはもうやめよう

          内密出産 “しくみ”から何が見える?

          予期せぬ妊娠をした女性が病院にだけ身元を明かして出産する「内密出産」。今年1月、熊本市の慈恵病院が実施に踏み切ったことを発表し、その後、多くのメディアが報道しました。経緯を紹介したものや、子どもの出自を知る権利の問題を掘り下げたもの、現行法での問題点を指摘するものなど様々な観点がありましたが、おおむね論調は好意的で、読者・視聴者の反応も同様でした。WEB記事のコメント欄やソーシャルメディアでは子どもの命の大切さを訴える声が多く、「取り組みを応援すべき」「公的な仕組みを作るべき

          内密出産 “しくみ”から何が見える?