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話したいことがあるかぎり(非ネイティブの英語)

アメリカの大学院に留学予定であることを伝えると、かなりの高確率で聞かれるのが、英語についてです。「英語、話せるんですか?」とか「帰国子女なんですか?」とか、軽く10人以上に聞かれたと思います。

「話せるのか」という質問の答えは、YESでもありNOでもあります。授業や打ち合わせの場で意見を述べたり、雑談したりすることはできますが、自在に操れるというレベルではなく、ネイティブのように話すことはできません。

話すのは苦手です

私の英語力のうち「話す」「書く」の運用する部分は、大人になってから身につけたものです。日本生まれ日本育ちですし、大学受験の科目のなかでは好き&得意なほうでしたが、受験対策の英語があまり実用的ではないのは誰もが知るところだと思います。そして、大学卒業後に就職したのはテレビ局。日本の視聴者に向けて日本語で番組を作るのが仕事なので、外国語を使う必要は公私ともにほとんどありませんでした。

2018年、およそ20年ぶりに勉強を再開し、のちに留学に必要なTOEFLスコアも獲得したのですが、今も正直、話すのは苦手意識があります。体感レベルで言うと、
読む(29)>聞く(29)≒書く(26)>>>>話す(23)という感じ。
(※カッコ内は参考までにTOEFLスコアです)
言葉を探しながらしゃべるのでたどたどしくなりがちだし、適切な言葉が見つからずに変な間ができるのはしょっちゅう、挙句の果てに同じことを繰り返してしまったりします。焦るあまり文法もちょいちょい間違えるし、そもそもなまっています。

これで「話せます」と言ったら、怒られてしまうんじゃないかと思わず身構えてしまうのは、質問の言外に「ちゃんと、完璧に、恥ずかしくないレベルで話せるんでしょうね?」というプレッシャーを感じてしまうからかもしれません。

「不定詞じゃなくて動名詞ですよ」事件の後遺症

2019年の5月、タイのバンコクで、世界の公共放送の制作者が集まる会議に参加したときのことです。セッションとセッションのあいだの休憩時間、ロビーでカナダからの参加者に話しかけられて、セッション中に上映された番組について立ち話をしました。ひとしきり盛り上がって、次の会場に向かおうと歩き出したとき、日本の同僚に呼び止められたのです。

「一條さん、startのあとに続くのは to不定詞でなくて動名詞ですよ 」

「〇〇し始める」と英語で言うとき、start to doと言ってしまうと間違いで、 正しくは start doing という言い方をします。どうやら彼は、わたしがカナダ人のプロデューサーと話しているのをそばで聞いていたようでした。それで、私の英語の間違いをキャッチし、教えてくれたのです。親切心からの指摘だと思いたい。けれど、素直にそうは思えませんでした。彼の口調のどこかに「間違えるくせにしゃべるなんて」という非難、あるいは呆れのようなニュアンスが感じ取れたからです。

それまでのわたしは、母語が違う人とコミュニケーションを取れる喜びが先行していて、自分の英語がヘタクソなことをあまり意識していませんでした。しかし、同僚の発言以来、自分に人前で「話す資格」があるのか疑うような気持ちが、心の片隅に芽生えてしまいました。そして、同じ年の秋、スタンフォード大学に客員研究員として滞在したときに、くすぶっていた不安がはげしく再燃してしまったのです。

スタンフォードでは、授業、ワークショップ、イベント、どこに行っても「人と意見を交換する」ことがついて回りました。そうなると、話の流れに合わせてその場で言うことを組み立てる必要があり、しかも目の前で人が聞いています。プレッシャーが高まるせいか、普段ならすんなり出てくるようなフレーズすら出てこず、しどろもどろになることが多々ありました。まわりの人に申し訳ないという気持ち、自分に対する苛立ち、バカだと思われるんじゃないかという不安、色んな感情がないまぜになって、度々いたたまれない気持ちになりました。

「話すの、つらい」から脱出するには

この状況から抜け出すのにどうしたらいいでしょうか?ひとつは、めげずに場数を重ねること、勉強を続けることだと思います。そうすれば、少しずつですが、必ず上達します。ただし、変化はおだやかなので、自分ではなかなかわかりません。目の前のことをひとつひとつ楽しみながら積み重ねて、「気づいたら前より楽に話せるようになっていた」というくらいのスタンスでいるのがいいかもしれません。

わたしの場合、もうひとつ、有効だったことがあります。それは、「話せる」ということのイメージを変えること。ネイティブのような発音で、間違えることなく、よどみなく流暢に話す様子を思い浮かべてしまいがちですが、それをやめるのです。代わりに、自分の持っている語彙や表現を使い切り、考えを誤解なく伝えられれば「話せた」のだと考えます。すると、上手く話さなければという焦りがいくぶん減り、結果として、いくぶん楽に話せるようになります。

「話せる」ってどういうこと?@スタンフォード

そういうふうに考え方が変わったのは、小さな出来事の積み重ねでした。たとえば、同じ授業を取って仲良くなった友人(修士課程の2年生・当時)との雑談。金曜の夕暮れ、図書館前のカフェでばったり会って次のような会話を交わした記憶があります。

友人「おつかれ!どうよ?」
私 「いやー意見聞かれるたびにめっちゃ苦労してる。英語ヘタ…(ぐったり&しょんぼり)」
友人「問題ないよ。よしえがなに言ってるか、わかるからOKだよ。」
私 「でも言葉が出てこなくて待たせたりするのが申し訳ない…」
友人「みんな話したいだけ話すんだから、よしえもじゅうぶん時間取って話せばいいじゃん。」

友人は、社交辞令を勘ぐる余地もないくらい、あっけらかんとした様子です。拍子抜けしましたが、こちらが心配するほどには聞く側は迷惑がっていないことと、そして、思ったよりは通じていたことがわかりました。改善の余地がたくさんあるのは承知のうえで、ひとまず伝わっているし、相手が問題ないと言っているのだから問題ないということにしておけばいい。格段に気が楽になりました。

そもそもスタンフォードは世界中から学生や研究者が集まる大学。フランス、ドイツ、ギリシャ、インド、中国、ナイジェリアなど、さまざまな訛りの人に出会いました。流暢さにも多少バラツキがありました。みんながアメリカ人のように話すわけではないけど、きちんと議論を展開し、情報を交換している。英語は国際語なので、それでよいわけです。ちなみに何人かに英語について聞いてみたところ「初めはひどいもん(horrible)だった」と笑って打ち明けてくれた人がちらほらいました。努力した人は他の人の努力も理解できる、そういう部分もお互いへの敬意につながっているような印象も受けました。

さらに周囲を観察していると、アメリカ人の学生も、みんながみんな立板に水で話すわけではないことに気づきました。発言するとき早口でまくしたてるのは、学部の下級生が多いように感じます。対して、修士や博士課程など学年が上がるにつれ、落ち着いたスピードで、わかりやすく話してくれるような印象があります。実のところどうなのか、前出の友人に聞いてみました。すると「そうよ。1年生とか2年生のときは、みんな賢く見られたくてアピールするのよねー」とのこと。中身が充実すれば、虚勢を張る必要がなくなるのかもしれません。

そんなわけで、英語力が劇的に向上したわけではないですが、ひと月ほど経ったころには、話すことへの恐怖心はだいぶ収まっていました。思えばわたしは、日本で暮らしていて、メディアの仕組み、社会の仕組みなど、常識とされている物事に疑問を抱くことがたくさんあったので、国境の外ではどうなのか、検証してみたかったのです。そして運に恵まれて、それができる環境にある。ならば、目の前のことに注力しないともったいない。知りたいこと、聞いてみたいことに頭が占領されて、自分の英語がイケていないことはどうでもよくなったというわけです。

なまっているけど、信じられないほど「伝わる」スピーチ

同じころ、偶然見てめちゃくちゃ励まされたTEDトークがあります。クルド系トルコ人のHamdi Ulukayaという男性が、2005年、大手食品会社から契約を切られて廃業寸前だったNY郊外のヨーグルト工場を買い取り、Chobaniというギリシャヨーグルトメーカーを創業、世界一に育てるまでの半生を振り返る物語。彼は難民問題にも深く関わっていて、自社のビジネスを拡大するにあたって、難民を積極的に雇い入れていることでも知られています。

トークのなかで、彼が新しい工場を設立するにあたって東南アジアとアフリカからの難民を雇おうとすると「彼らは英語が話せない」と止められたというエピソードが出てきます。それに対して「俺もあんまり話せないけどね」と返したそうなのですが、ここで会場に笑いが起きます。なぜなら、このUlukaya氏、あんまり英語が上手くないのです。20代で留学生としてアメリカに来て、TEDトークのときには40代半ばです。およそ20年アメリカにいる計算になりますが、トルコ訛りが抜けないし、言葉のチョイスも平易で、文章もシンプルです。

しかし、彼のストーリーと哲学には力があります。3世代にわたって営まれ、55人の従業員のいる工場を閉鎖しようとしている大手食品会社について、彼は「どこか高いタワーの上の方で、スプレッドシートの数字を見てすべてを決めている。人を見ないでスプレッドシートを見るのは怠慢だ」と言ってはばかりません。そして実際に、収益と株主を最優先する現代のCEOとは真逆のやり方で事業を成功に導いた、そのプロセスを語るさまは雄弁です。

Ulukaya氏の英語はなまっているけど、ちゃんと通じます。文章は短くシンプルだけど、そのおかげで、学習途上の私でも理解できました。難しい語彙は使っていませんが、彼がなにを大切にしているか、どのような考え方なのか、じゅうぶんに伝わってきます。あたたかく、感情豊かで、伝わる英語。ネイティブ/非ネイティブ問わず、一番大切なことなんじゃないかと思います。今でも、語学に行き詰まったとき、たまに見返すと、なんのために英語を話したいのか、思い出させてくれる動画です。

完璧になるまで待たなくていい

わたしに「英語しゃべれるんですか?」と聞いた人のなかに、英語を使ってやりたいことがある人がいたのかなと思います。ひょっとすると、わたしの英語の誤りを指摘した同僚は、本当は会話の輪に入りたかったのかもな、と思います。そういう人たちに、完璧になるまで待たなくていいんだよ!と声を大にして伝えたいです。待っているうちに、人生が終わっちゃったらもったいなさすぎます。

英語話者のおよそ8割、圧倒的マジョリティは非ネイティブです。そしてこの数年間、わたしの出会った範囲では、みなさん寛容で楽観的でした。たどたどしくても、なまってても、多少間違えても、話すことはできます。それに助けられて、わたしもなんとかやっています。その仲間に加わる人がいたら、心から応援。両手を上げて歓迎したいです。


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