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助けてもらっていいんです—会社を辞めて気づいたこと

去年の夏、会社を辞めて国外の大学院を受験すると決めたとき——すがすがしい気持ちで、まったく迷いはなかったものの——心の奥底でひっそり覚悟したことがありました。今後は何事も自分ひとりで対処するしかない、ということです。社会保険やら税金やらはもちろん、仕事にまつわること、運良く合格すれば渡航の手続きほかもろもろ、やることはたくさんあれど、助けてくれる人はいない。うっかりミスをして取り返しのつかないことになるかもしれないし、すさまじく孤独を感じるかもしれない。それでも自分で決めたからには自分でなんとかするしかない、そんなふうに覚悟をしたのを覚えています。

会社を辞めて3ヶ月が経過した今、改めて振り返ると「ずいぶん気負っていたんだな」と思います。確かに片付けなければならないことはたくさんあり、めんどくさいことやちょっとしたトラブルに遭遇しないわけではないのですが、今のところなんとかなっています。それはなぜかというと、色んな人が助けてくれるからです。無所属になったからといって孤立無援になるどころか、今のほうがちゃんと人とつながっているような気さえします。このありがたい誤算はどうして起きたのか、ここ数ヶ月の経験が教えてくれたことを、整理しておきたいと思います。

わたしが人に頼れなかった理由

わたしが「何事も自分でやらないといけない」と思い込んでいたのにいくつか理由があります。ひとつは自分もまわりの人もものすごく忙しく働いていたことです。すると、仕事に直接関わること以外で人の時間を使ってはいけないと感じてしまいます。知らず知らずのうちに、自分もその感覚が染み込んでいたように思います。仕事関係でもプライベートでも、連絡を取る前に、忙しいだろうとためらうようになっていました。ましてや人に頼み事をするなど、「できない人」の行動のようでとても抵抗がありました。

もうひとつは、心のどこかで、自分の行動をわがままだと思っていたことです。大企業を退職して無職になるのも、40代で留学するのも、一般的ではありません。その後の人生で成功する保証もない。(何を成功というかは人によりますが)そのせいか、無謀、自分勝手、はっきりとは言わないまでも批判的なニュアンスの反応を示す人が少なからずいました。それを過敏に嗅ぎ取ってしまい、人の助けを借りようものなら非難されるんじゃないかと怯えていました。

みんな助けてくれる

しかし、大学院出願の準備を始めると、そうも言っていられなくなりました。志望動機をまとめたエッセイ、学力をチェックするための学部卒論相当の論文、さらに推薦書などを準備する必要があります。自分の英語力を考えれば、添削やネイティブチェックをしてもらわないとマズい。推薦状は文字通り、誰かに自分を推薦してもらうよう依頼しないといけません。そこで、エッセイのネイティブチェックは学生時代をNYで過ごした英語が堪能な先輩に、論文の添削は過去に在籍していたオンライン大学院(今はもう生徒ではない)の先生に、推薦状に至っては、修士課程修了後、20年余りで数えるほどしかお会いしていなかった先輩(大学教授)に連絡を取り、自分がしようとしていることを伝え、助けてくださいとお願いしました。

体よく断られる、それどころではないと言われることも覚悟していました。でも、結論から言えば、全員、意外なほど快く引き受けてくれました。それどころか、くわしく話を聞き、励ましてくれました。さらにアドバイスをくれたり、人を紹介してくれたり、留学に役に立ちそうな勉強会に呼んでくれたりしました。

「すみません」じゃなくて「ありがとう」

その親切さに、自分で頼んだくせに、はげしく戸惑ったほどです。仕事とは関係ない用事なのに、家族でもないのに、なんでこんなに助けてくれるのかと。そこで、逆の立場を想像してみました。友人が助けを必要としていたら、私自身は、どうだろうか?率直に事情を話してほしい。可能なことなら助けてあげたいし、難しければ断るけど、遠慮や深読みはしないでほしい。助けてあげたら、感謝してくれればそれでいい。

そしてようやく、自分がそう思うのなら、自分も人に相談していいんだと気づきました。そして、自らの態度を変えないといけないと思いました。つい「すみません」を連呼していたのですが、お詫びは相手の厚意にそぐわないと肌で感じたのです。ふさわしい言葉は、感謝の気持ち、信頼を伝える言葉のはず。「お願いします」「ありがとうございます」と言うようになりました。

今になって思えば、「自分ひとりで対処するしかない」という発想から脱皮して、「人を頼っていいんだ」と考えられるようになったのが、独り立ちの第一歩でした。世の中、実務的なことから精神的なヒントまで、自分ひとりでは解決しきれないことが多すぎる。自分だけでなんとかするという発想がいかに傲慢か学びましたし、肩の力が抜け、心が楽になって目の前のことに前向きに取り組めるようになるのが自分でもわかりました。

NYすみか探しで苦労していたとき…

最近、とりわけそれを実感したのが、NYでの「住む場所確保」です。留学・渡米にあたっては、ビザ取得手続きや保険、海外渡航予防接種など、やることが多々あるのですが、なかでも最大の難関が部屋探し。インフレと円安が急速に進む中、外国人の立場で借りられる場所を見つけるのは、覚悟していたといえかなり大変でした。実際、何度か「もうだめなんじゃないか」と思いました。2ヶ月あまりのたうち回って、最終的に、なんとか予算内で落ち着けそうな部屋を確保できたのですが、それは、友人たちが助けてくれたおかげでした。

そもそも大学なら寮に入ればいいのではないかとお思いの方も多いと思いますが、そこにはNYならではの事情があります。大学はマンハッタンの南、グリニッジ・ビレッジにあり、街の中に校舎のビルが点在します。そのような状況でも一応寮のようなものは存在し、校舎への徒歩圏内とブルックリンに合計5箇所用意されているのですが…超絶高いのです。セキュリティが信頼できる、光熱費や水道代込みなどのメリットがあるとはいえ、寝室を一人部屋にした場合の1ヶ月あたりの費用は35万円超え。二人部屋にしても30万円程度。円安が進めばもっと上がります。金額を見た時点で、寮という選択肢はなくなりました。

特定の大学の寮でない学生用住居でもう少し低額なところは満員、一般的な部屋探しサイトでは2000ドルを下回る物件自体がほとんどないうえ、家具を揃える必要があります。日本からの家財ごと引っ越すと安くても50万円は下らないため、家具付きを前提に探すとなると見込みはありません。

NYでも友達が助けてくれた!

そんなとき手を差し伸べてくれたのが、友人たちでした。ひとり(2019年、スタンフォードに滞在していたときの友人・今はNY在住)は、NY市内ではなくマンハッタンの対岸のニュージャージーを探したらどうかとアドバイス、もうひとり(CUNYの同級生・NJ在住)は、NY近郊でアパートや一軒家の一室を貸す、知る人ぞ知る下宿仲介サイトを教えてくれました。(※ちなみに、このサイト、もともとはNYがコロナ禍に見舞われていたとき、応援に来る医療従事者に仮住まいを提供するために発足したもの。今は医療従事者に限らず、中長期の滞在者に開放されています。)

ふたりのアドバイスは大当たりで、そのサイトを通じて、対岸のニュージャージー、大学まで30分くらいのところに、費用をまかなえる家具付きの又貸し部屋を見つけることができました。オーナーとのウェブ面接を通過し、これで安心と思った矢先に、もうひとつ問題が持ち上がってしまいました。外国人ゆえアメリカ国内の住所やクレジット履歴、社会保障番号がないため、先方が要求する信用審査を受けられないことが発覚したのです。

ふたりには、せっかく協力してくれたけどダメかもしれないと話しました。すると、それぞれから思いがけない返事が来ました。必要だったらオーナーと話してくれるというのです。さらに、論文の添削をしてくれた先生が、NYに来て改めて住むところを探せばいい、それまで自分の家に居候していいと言ってくれました。

過去にほんの数ヶ月かかわっただけなのに、助けてくれる。自分は孤独じゃないと、心強く思いました。そしてその心強さに背中を押されて、わたしはオーナーに、信用審査の代わりに、大学が発行したビザの書類を提出するのを提案しました。過去に犯罪歴などがないことと、支払い能力を証明できるからです。そして、わたしの人柄や経歴について証明してくれる人が複数いると書き添えてメールを送信しました。

結論から言えば、オーナーはわたしの代案を受け入れてくれ、友人たちが証言することはありませんでした。だけど、彼女たちがわたしの心を支えてくれなかったら、自分は自信を持って交渉できただろうかと思うと、確信が持てません。助けてくれる人がいるという実感が、具体的な情報以上に、わたしを助けてくれたのだと思います。

自立していたんじゃなくて、会社に依存していた?

わたしには、過去にカリフォルニアの大学に客員研究員として滞在したことがあります。そのときは、会社から派遣される立場だったので、費用のほとんどを会社が負担してくれました。それだけでなく、会社が身元の保証人の役割を果たしてくれたため、自分が何者であるかを証明する必要はありません。特に誰かの助けを借りることもなく、すべての手続きがスムースでした。アメリカで一人暮らし、自分では独立した大人のような気持ちで生活していましたが、会社というひとつの相手に全面的に依存していたとも言えます。

会社を辞めてしまった今、全面的にバックアップしてくれる組織はありません。代わりに、自分で進路を選び、行動する自由を得ることができたのを実感しています。同時に、ひとりになったからといって孤独ではないことも実感しています。これまで築いた人間関係が、少しずつ助けてくれるし、いろんな手段も学ぶ。独立するということは、色んな人と少しずつ助け合う、助け合う相手が増えるということなのだと、つくづく思います。

自立=依存先を増やすこと説

以前Twitterのタイムラインで、小児科医で、障害者の当事者研究の研究をされている熊谷晋一郎さんの記事を読んだことがあります。そこで書かれていたのは「自立とは依存先を増やすこと」。脳性まひである熊谷さんが生活するためには、介助を受けることが必須です。高校生までおもに親から介助を受けていた熊谷さんは、進学を機に上京しいろいろな人に助けてもらう生活を始めます。その経験から、熊谷さんは、「自立とは誰にも依存しないことではなくて、依存できる相手をできるだけ増やし、お互いの負担を小さくしつつ助け合うこと」だと訴えていました。(※その時の記事は見つけられませんでしたが、ほぼ同内容の記事がこちら)読んだ当時もなるほどと思いましたが、今なら身にしみてその意味がわかります。そして、一握りの誰かだけの話ではなく、誰もが大なり小なり、誰か・何かに依存しないと生きていけない存在なのだということも。

助け合うのは幸せだ!

この先なにがあるかはわかりませんが、これからもいろいろあるに違いないと思います。きっといろいろな人に「助けて!」と言う羽目になるでしょう。そうやって助けてもらいつつ、自分もいろいろな人を助けてあげられますようにと、心から願っています。なにかしてあげるのも、話を聞いてあげるのも、一言励ますだけでも、全部助けになると信じて、できるだけのことをしようと思います。できるだけ頼らない(ようでいてなにかにドカンと依存している)人生より、ちょっとずつ助け合う人生のほうが、絶対しあわせだと、気づいてしまったからです。




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