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内密出産 “しくみ”から何が見える?

予期せぬ妊娠をした女性が病院にだけ身元を明かして出産する「内密出産」。今年1月、熊本市の慈恵病院が実施に踏み切ったことを発表し、その後、多くのメディアが報道しました。経緯を紹介したものや、子どもの出自を知る権利の問題を掘り下げたもの、現行法での問題点を指摘するものなど様々な観点がありましたが、おおむね論調は好意的で、読者・視聴者の反応も同様でした。WEB記事のコメント欄やソーシャルメディアでは子どもの命の大切さを訴える声が多く、「取り組みを応援すべき」「公的な仕組みを作るべき」といった意見も多数ありました。

フランス版内密出産

実際に、法制化したらどうなるのか?それを紹介したのが、友人であり、子育てや家族政策について多数執筆している髙崎順子さんです。髙崎さんの住むフランスでは、実際に「匿名出産」が法律で認められており、年間およそ600人が、身元を明らかにしない母親から生まれているといいます。(記事はこちら)記事では、200年にもわたる仕組みの歴史、統計的なデータ、どのような手続きに基づいて行われるか、子どもが自身の出自を知る権利をどう担保しているかなどを丁寧に説明しているほか、社会的な背景についても触れています。例えば、伝統的に出産を奨励する社会であること、養子縁組が普及していることなど。読み進めるなかで、ふと目が止まったのは、妊娠出産に関する女性の権利についての以下の記述でした。

フランスでは、匿名出産は子供の遺棄ではなく、「子供を愛するゆえの行動」との視点で認知されている。避妊に医療保険が適用され、人工妊娠中絶も自己負担なしで受けられると、妊娠出産に関して女性の自己選択権が尊重される土壌がある。

プレジデントオンライン 2022年3月29日
「全国どの病院でも名前を明かさず出産できる」
200年以上前に"匿名出産"を制度化したフランスの"すごい仕組み" 

日本のしくみは女性に厳しい!

短い文章ですが、なぜそこで目が止まってしまったのか?それは、日本は事情がまったく異なり、正反対と言っていいほどだからです。日本では、低用量ピルに保険が適用されるのは子宮内膜症や月経困難症に対してのみで、避妊を目的にすると保険が適用されません。性行為後72時間以内に服用すると妊娠を防ぐことができるアフターピルは、緊急時に必要とされるものでありながら、医師の診察を受けないと入手することができません。人工妊娠中絶手術には健康保険が適用されないため、少なくとも10万円以上の費用がかかるうえ、パートナーの「同意書」を求められます。(一部例外あり)掻爬手術に比べて安価で体への負担が少ない経口中絶薬は、WHOによって安全性が認められ、世界100カ国で導入されているにもかかわらず、承認されていません。つまり、日本では、リプロダクティブ・ヘルス(生殖と性にまつわる健康)について、女性が自分自身で選択することを、社会の仕組みがブロックしているのが現状です。

こうした仕組みがもたらす影響を、もう少し掘り下げて考えてみることにします。フランスの匿名出産が「子供を愛するゆえの行動」、つまり母親の前向きな選択であると位置づけられているのに対し、慈恵病院は内密出産をもう少し緊急避難的なもの、孤立出産から母子の命を守るための取り組みと説明しています。蓮田健院長は、自身のブログで、孤立出産の切迫した事情を明かしています。

私が最も危機感を感じるのは、「誰にも知られずに赤ちゃんを産む」と言う妊婦さんです。これを孤立出産と呼びますが、母体にとっても赤ちゃんにとっても危険な行為です。

お産の痛みは手の指を切断する痛みに匹敵するとも言われています。
それを誰にも知られずに一人で完遂するには相当な覚悟が要るはずです。
それをしてしまう妊婦さんは、(少なくとも本人にとっては)切羽詰まった事情を抱えています。

「絶対に知られたくない、困る!」のです。

蓮田院長ブログ2019年12月8日「内密出産スタート!?」 

熊本市の報告書によると、2007年から13年間で「こうのとりのゆりかご」に子どもを預けた母親155件のおよそ半数が孤立出産でした。内密出産をめぐる反応が示すように、多くの人が積極的に命の大切さを認めています。にもかかわらず、妊娠を周囲に打ち明けることができず、孤立出産に至る女性があとを絶たないのはなぜでしょうか?私たちはみな、その答えを知っています。私たちの暮らす社会では「歓迎される妊娠」と「非難される妊娠」があるからです。歓迎される妊娠の要件とは、ひとつはその女性が法的に結婚していること。もうひとつは、出産・子育てにまつわる労力や金銭的負担を家族内でまかなえることです。このふたつを満たしていない妊娠は歓迎されず、「性的にだらしない」「計画性がない」「責任感がない」などと非難されます。そして、非難のおもな矛先は女性に向かいます。女性が妊娠を打ち明けるのをためらうのはそのためです。妊娠が発覚すれば、学生なら退学になるリスク、社会人なら失業するリスクがあります。妊娠・出産を経て働き続けることができても、そもそも女性の賃金は男性に比べて低いため、女性ひとりで生活費や養育費を賄うのは困難です。事実、シングルマザーの半数近くが相対的貧困にあります。

「歓迎されない妊娠」の罰ゲーム

だからこそ、妊娠出産について、女性自身が選択肢を持ち、自分の意志で決められることが大切なのです。まず避妊についていえば、女性が管理できる手段のうち、確実性が高く世界的に普及しているのはピルですが、日本の政策はピルを普及させることに消極的です。日本でピルが承認されたのは1999年、国連加盟国で最後でした。今も、避妊を目的にすれば保険の対象外ですし、より手軽な「貼るタイプ」など、飲み薬以外の選択肢は今も承認されていません。性的同意や正しい避妊方法についての教育が遅れていることも手伝って、「ピルを飲む女性は性に奔放」「薬を飲むのは不自然」という偏見も根強く残っています。このような状況で、正しい知識を身に着け、理解のある医師を探し出して受診することができる女性はどれほどいるでしょうか?実際、日本でのピルの普及率は3%程度にとどまっています。

自力で避妊できなければ、男性に頼らざるを得ません。しかし、男性がコンドームを付けなかったり、破れてしまったりすることもあります。そのようなとき、緊急的に妊娠を防ぐ手段がアフターピルなのですが、入手するには、72時間以内に医療機関を受診しなくてはいけません。これができるのは、ある程度の規模の都市に住んでいて、一定の経済力があり、しかも時間の融通が効く人のみでしょう。そのうえ性行為について、赤の他人に申告しなくてはいけません。正直かなりハードルは高いと言えます。では諸外国のように買いやすくすればいいのでは?この薬を処方箋なしで、薬局で入手可能にすることについて、日本産婦人科医会は「女性側の知識不足」「性教育の遅れ」「悪用のおそれ」を理由に反対しています。(この件について、産婦人科医の宋美玄さんがこちらの記事で詳しく解説しています。意思決定の場が高齢の男性で占められており、当事者である女性の声が反映されていない現状を批判しています)十分な性教育を行わない、つまり正しい避妊の知識を与えないでおいて、知識不足を理由に入手の手立てを阻止するというわけです。さらに「悪用のおそれ」とは何かといえば、考えられるのは「避妊をしたくない(=コンドームを付けたくない)男性が、女性に飲ませる」ケースなどだそうです。だとすれば、これを防ぐのにもっとも有効な手段は、女性が自分で避妊すること、つまりピルのはずですが、その手は封じられています。

その結果が、「望まない」または「意図しない」妊娠です。生み育てられないと判断した女性の多くは中絶を選択します。厚生労働省の発表によれば、日本では2020年、14万5340件の中絶が行われています。しかし、ここでも、処置の方法を選択することはできず、同意書が必要で、しかも保険の適用範囲外で高額な費用がかかります。宋美玄医師は、新聞のインタビューで「中絶が女性に対して罰ゲームのようになっている」と形容しています。

子どもに十分な性教育をせず、代わりに「命の大切さが……」など道徳教育でごまかしておいて、いざ予期せず妊娠してしまうと中絶に大金を負担させる。避妊と中絶は人権問題です。現状では中絶は女性に対して罰ゲームのようになっていると思います。相手の男性もいて起こることですし、さまざまな事情があって妊娠するというのに……。
この「罰ゲームのようだ」という発言を私は非常にリアルで重いものとして受け止めました。確かに、性教育、避妊、中絶に至るまで、偏見や手続きのハードルの高さ、高額な費用など負担がつきまといます。問題は、女性の生殖と性の健康と権利(リプロダクティブヘルス・ライツ)をめぐる日本の政策や制度がそれらの負担を容認、助長していることです。まるで、女性が自分の体に起こる妊娠を自分でコントロールするのが望ましくないことであるかのようです。

毎日新聞 2021年6月21日 医療プレミア特集「日本ではなぜピルが普及しないのか」

アップデートできるはず

男女交際が結婚を前提としていた時代、つまり、未婚の女性は親元に暮らし、若くして嫁いで家庭に入り、その後は妻・母として尽くすことが当然視されていた時代なら、女性は性について無知で、意志を持たないほうが都合がよかったかもしれません。そうした世の中なら、妊娠の大半は婚姻関係のもとで夫の求めに応じた結果だったはずで、中絶に至る妊娠が逸脱ケースと見なされるのも理解できなくはありません。しかし、この想定が実態と合っているか、女性を尊重しているかはまったく別問題です。「歓迎されない妊娠」が現実に存在し、その責任をおもに女性が引き受けている以上、制度は女性の権利を保証し、後押しするべきだと思うのです。

内密出産の仕組みを応援するにあたって、それを支える私たちの社会の土壌がどうなっているのか、見直す必要があるんじゃないかと思います。今その制度を導入したら、根付く?根付かなそうなら、土壌の方もアップデートが必要なんじゃないか、ということです。どんな社会なら、内密出産が機能するのか。わたしの場合は女性の生殖と生の健康と権利に目がとまりましたが、子どもの側、たとえば非嫡出子や養子縁組をめぐる仕組みのあり方から伝統的な家族政策について疑問を持つ人もいるかもしれません。社会のなかで暮らす人達の中から議論が生まれ、制度や仕組みに反映される—そうやって耕されていく土壌は健全だと思います。内密出産を契機として、また新たな議論が生まれるように、自分もその一部でありたいと思います。


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