「捗」の右側(旁(つくり))は「歩」でも構わないのだよ。 「葛藤」の「葛」の下(中?)は、「人」であろうが「匕」であろうが構わないらしいし、「奏」の下(中?)は「天」でも「夭」でも構わない。 そんなに世の中自由だというのに、それでもなかなか生きづらいのはどうしてなんだろう?
人の自由を奪う事に対して、モヤモヤする。押し付けとか、すり込みとか。心を縛ろうとするのは、なんだか嫌なんです。どう思おうがその人の自由なので。(とは言え、配慮は必要だと)些事に囚われて、人を変えようとするのは、何というか心が不自由だなぁと感じていました。
馬鹿正直に生きてる、わりとここ近年。周りの人に感謝、寛大さに感謝、そんな日々。
誰かの言葉で変わる心は、波間に浮かぶ海月みたいだね。