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夏休みがなくなるので、大人になりたくなかった話

小学生、中学生のころから、私は早く大人になりたいと思ってきた。最初から、タイトルと話が違うじゃないかと思われるかもしれないが、正確には大人というより、おばあさんになりたかった。

現実世界に憧れのおばあさんがいたわけではなく、強いて言うなら、梨木香歩『西の魔女が死んだ』のおばあさんみたいな人。

世界や周りの人間をよく見ていて、自分の基準を持ち、安定して生きている人。それが憧れのおばあさん。

おばあさんには、世間知というか、処世術というか、そういうものが備わっていて且つ、自由に生きている。そこは、競争世界とは別空間の静かな世界。がりがりばりばり、周りのいらいらにふり回されることのない世界。仙人が住むという幽玄の世界みたいなところ。

大人にならなきゃ、世界のことも、世間のことも分からないと思っていて(ある程度真実だけど)、その上で早くおばあさんになりたかった。

仙人になりたかった。

しかしながら、現実はそうそう競争社会からのリタイアを許してくれない。

競争のない毎日。それを存分に楽しめるのが、夏休みなどの長期休み。

もともと学校が好きではなかったし、年間通してかなりの日数を病欠したり、不登校したりしていたのだが、それでも夏休みなどの長期休みは、安心安全に学校に行かなくてもいいというだけで、大好きだった。

主に父親が働く姿を見ていて、毎朝私より早くに家を出て、電車に乗って通勤し、私が寝るのより遅くにしか帰ってこられない。毎日毎日同じように、背広を着て、仕事に行く姿、夏休みは私よりずっとずっと短い。

こんな大人になるために、私は学校にいくのか……。

長期の休みがなく、毎日仕事に行くだけの人間になるために。

色々間違えているし、今考えていることとかなりズレもあるのだが、小中学生のころ、私が考えていたのは、こんな(夏)休みもないような大人になんかなりたくない、だった。

憧れおばあさんに一足飛びになる方法はないか。

長期の安心安全な休みというか、競争と不自由の世界と一線を引いた世界に住むためにはどうしたらいいのか。

色々考えたけど、なんにもなかった。

皮肉なことに、それから病気になって、引きこもったり、ニートの生活を送っていくと、父親の働く姿というのは、実は羨ましいものなのだと気づいた。

健康に毎日生き、健康に毎日仕事に行き、健康に休める。変な家族サービスも時々する。

すごいことなのだ。

今は、長期休みと仕事を天秤にかけても、気持ちが長期休みに傾くことはない。

長期休みをしても、仙人のようなおばあさんにはなれないと分かったから。

今、健康でいることの大切さが分かったから。

今、仕事ができていることの大切さがわかったから。

長期の夏休みは確かに魅力的で、たぶん今でもあったら嬉しいけど、世界は競争と不自由だけでもないと知ったら、そんなに欲しくもない。

生き方を選べるのも、大人の特権なんだろうな。

通信簿の体育の欄に万年アヒルが居座っているからと頭を抱えることなんて、小さいことなのだ。

世界は広い。

夏休みがなくても、大人が生きていられるのは、長期の夏休み以上の自由や、競争のあり方を、日々の中で自分で選択して生きることが(子供よりかは)可能だから。その自由や生き方を選べなくなった時、バランスを崩した時大人も心を壊す。

仙人のようなおばあさんになりたい夢は消えてないけど、今は本当に歳をとってからでいいかと思っている。

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