「捗」の右側(旁(つくり))は「歩」でも構わないのだよ。 「葛藤」の「葛」の下(中?)は、「人」であろうが「匕」であろうが構わないらしいし、「奏」の下(中?)は「天」でも「夭」でも構わない。 そんなに世の中自由だというのに、それでもなかなか生きづらいのはどうしてなんだろう?
不自由と自由の交差する場所で、ひとつも前に進まないようなもどかしさを抱えて眠りにつく。 でも「だいじょうぶ」。 あの人が、楽しそうに笑うから。