「また○○ができなかった。」が、口癖になっていたら、代わりに何をしていたのか考えてみよう。人間はいつなん時も必ず選択している。ダラダラしてたんだったら、ダラダラがしたかったということ。「ダラダラしたかったんだ、疲れてんだね。」って労ってあげよう。それが身体の声を聴くこと^^
この平和な日本でも、真に安心の心地で過ごせている人はどれだけいるのだろう?人の目が気になったり、日々湧いてくる不安への対処だったり、「あーー、もう、これで安心だ」って心地になれるのは、何ができたら?何が得られたら?もう今でも「十分だ」に気づかない限り永遠にその日は来ないかも><