なぜ、私たちは苦しいのか?それは、無限に競争があるからだ

イブリースさんのブログを愛読している。イブリースさんも、私とはまた違った形で、人生の苦しみを味わってこられたことを知った。私も、苦しかった。今はかなり楽になったが。それは、人手不足のおかげだ。2007年頃とは違って、今は人手不足なので、システム技術者は大切に扱われるようになってきたのだ。

さて、そもそも、一流大学を卒業したのに、なぜ、苦しい人生を歩むことになるのか?マスコミでは、貧困層や非正規雇用の人の不幸がよく報じられる。だが、苦しいのは、実は一流大学卒業者も同じだと思う。苦しみの形が違うだけだ。例えば、電通の高橋まつりさんは、過労自殺した。高橋まつりさんは、東大卒だった。

少し、左翼的な、アンチ資本主義の考え方にはなるが、資本主義が内在する「無限の競争」が原因だと思う。

大正時代や昭和時代にも、競争はあった。しかし、大正時代、大卒は全人口の5パーセントくらい、昭和時代の終わり頃でも30パーセントくらいだ。日大でも十分にエリートといえる時代だったので、旧帝大や早慶が悪い扱いを受けるはずもなかったのだ。

変わり始めたのは、平成に入ってからだ。バブル崩壊後、日本経済は本格的にデフレ不況、よくても低成長の時代に突入した。昔であれば、普通にやっていれば儲かって給料も増えたのが、努力しても儲からなくなっていった。そして、大卒比率は50パーセントを超えてしまい、「学歴プラス、特別なスキル」も求められるようになってしまった。一流大学卒業であっても、リストラされたり、苦しい人が増えていった。特に就職氷河期世代は、一流大学であっても無名企業や非正規雇用の地獄を味わうことになった。

日本経済が停滞した理由は複雑であり、一つに絞ることはできない。一つは、バブル崩壊後、莫大な債務が残り、追加の債務による設備投資ができなくなったことだろう。借金をしないと、イノベーションのための研究開発や設備投資は難しい。だが、バブルの時に借金しすぎたため、追加の借金が難しくなり、イノベーションが停滞した。銀行も貸し剥がしなどをやって企業を追い詰めた。これらは、デットデフレーションや、バランスシート不況などと言われる。

もう一つは、競争の激化だ。戦後、日本と西ドイツは、工業で急激に成長した。ところが、1990年頃から、どんどん海外に工場が出ていった。韓国、台湾、中国、タイなどが工業で実力をつけて、日本の製造業の雇用を奪っていった。半導体、携帯電話、テレビなど、今まで日本企業が強かった分野は、どんどんアジアのライバルに奪われていった。

競争は、資本主義の根本的なものである。競争を否定したら、社会主義になる。だが、競争は、苦しいものだ。日本から製造業の雇用を奪った韓国も、国内の激烈な競争で苦しんでいる。韓国は日本以上に「学歴」「スペック」が重要であり、SKY(ソウル、高麗、延世)に入学し、留学などしないとエリートにはなれない。また、金持ちはアメリカで出産することで徴兵を回避する。アメリカは出生地主義なので、アメリカで産めばアメリカ国籍になるのだ。まあ、裏技のようなものだ。

韓国は、容姿も重視される。ルッキズムと言われるものだ。容姿が悪いと一流企業には就職できない。あまりにも苛烈な競争社会のため、韓国は自殺率が高い。

競争は、切磋琢磨を通して、イノベーションをもたらす。しかし、苛烈な競争は、人の心を殺してしまう。

だが、一国だけが競争をやめても、他の国が出し抜いてくるので、競争をやめることはできないのだ。世界の全ての国が協定を結んで、競争を緩和するしかない。だが、アメリカや日本、ドイツなどの先進国は豊かになったのに、新興国や途上国はこれから豊かになろうとしているのに、このタイミングで競争を制限するなど、先進国の都合と言われても仕方がないだろう。新興国は納得しない。

不幸の原因は、いきすぎた競争社会であるとわかっているのに、止められない。虚しいものだ。達観するしかないのであろう。

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