運命は1ミリたりとも、1秒たりとも、ずれずに実現されていきます。
決定論者として決定論を覆したい。それができて、初めて、決定論から解放される。
お疲れ様です。いかがお過ごしでしょうか?この世のシナリオは1通りしかない、つまり、あらかじめ全て決まっている、と思えて仕方ない今日この頃の僕です。この前提のもと、未来とどう向き合えば良いのか?が、問題です。その瞬間瞬間を経験していくしかないのか?運命には逆らえないのでしょうか?
もし、あらかじめ全てのことが決まっているわけではないとするのなら、全てのことはいつ決まるというのだろうか。その瞬間瞬間に目まぐるしくランダムに決まり続けているとでもいうのだろうか。今という瞬間は今になって初めて決まるというのだろうか。そうだとしたら、なんという速さなのだろうか。
何度か、運命はあらかじめ決まっているということをつぶやいたと思いますが、「あらかじめ」が「いつ」なのかを考えると、いつとも言えなかったり、無限に遡る必要がある(不可能)ので、運命は、瞬間瞬間に決まり続けているのかもしれないなとも思いました。歴史は唯一無二なことは確かかと思います。
実は、まだ、めまいが治っていません。なかなか厄介ですね。症状は軽いんですが、目が回ったり浮遊感があります。うまく付き合っていくしかないですね。さっきまで、NHK杯の将棋を観ていました。藤井八冠の対局でした。勝負って結果論的には、あらかじめ過程も決まっているように思えるんですよね。
全原子の軌跡を観測したとしたら、それは1通りに定まるはずです。頭の中での想像ですが。ですので、全ては1通りにあらかじめ決まっていると、そう思えるわけです。こうして、僕が親指を動かしているのも、あらかじめ決まっていたことなんじゃないか?とさえ思っています。
この世は1通りだと思うわけですよね。無限の可能性の中からただ1つだけが実現している。この目まぐるしい現実は、一体、いつ決まるのか?僕には、あらかじめ決まっていないとすると、どうしてこんなに高速で今が現実化するんだろうと思えるんですね。皆さん、どう思われますか?