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アニメを見ているとき、生きていくことがめんどくさいとか考えていない。それは集中しているから。その瞬間にいるから。

オレは何度も、いつも言っていることだけど、生きていくことがめんどくさくて苦痛だ。自分が存在してしまっているということに残念だと思う。とはいって希死念慮はあるが、自分で積極的に人生を終わらせたいという気持ちは毛頭ない。

だから人生を、めんどくささを、苦痛をどうにかやり過ごす方法を見つける必要がある。とにかくひたすらいろんなことを学び、もがき実践してきた。知識もスキルも能力も経験も確実に積み上げ、少しずつその答えに近づいている感触はある。

あるときAmazonプライムでアニメを見ていた。少なくともアニメを見ていたその30分間は、人生のことを考えて苦痛を感じることはまったくなかった。これからも人生はつづくのかとめんどくさいと考えることもなかった。ただアニメをボケェ〜っと楽しんでいた。

布団に入りふと思った。今日、アニメを見ていたとき、オレに何が起こっていたのだろうと。“集中・没頭”という言葉が浮かんできた。“いまここ”とというよりも“その瞬間に居た”といった感じだ。

過去でも未来でもない、そして“いま”でもない、ただその瞬間に居た、そこに居た、という表現が一番しっくりとくる。これを自分が起きている間ずっと作り出せないのかと思った。日常生活を送りつつも、生活費をちゃんと稼ぎつつも、“その瞬間に居”つづけるシステムとして、仕組みとして作れないものかと。

それは精神論でも哲学でも心理学でも自己啓発でもスピリチュアルでも認知でも思考や考え方でもなくて、物理的な、物質的な、リアルな、見える、触れる、行動としての実体としての、実態としてのシステム(仕組み・やり方)を作りたい。作れるはずだと感じた。

そしてオレはすでにそのことに気づいていて、実験的にはじめている。

それは自分を“思考停止させる”ということ。

ルーチンをつくり習慣化させ、それで埋め尽くす。行動プログラムをつくりあとは反応で自動的に作動させる機械、ロボット化させる。

これはオレにとっては中動態でもあり、決定論、因果論でもあり、自然の摂理でもある。海が太陽で温められ、水が蒸発し、風に流されて山にあたり雲になり雨が降る。地上に落ちた雨はやがて川になりまた海にたどり着く。
これは自動化されたシステムで、哲学でもスピリチュアルでもない。

オレに合ったシステムを自分でプログラムして、死ぬまでの人生の暇つぶしにしたい。
それをせずにはいられないのは、オレにはどうすることもできない決定されていることでもある。

決定された人生には抗えないが、それでも抗わずにはいられないプログラムが決定されている。しょうがないからあきらめている。人生はそんなものだ。

オレはめんどくささに集中する。それはメンタルモデルでいえば未来への不安といったところだろうか。そのメンタルモデルはもう変わらない。だからそれでもうまく生きていけるように、人生に抗う仕組みをつくる。

そのことに集中する。

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