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自由意志

自由意志の問題とは、人間が、自発的に”意志”を生み出すことができるか否か、という問いであり、それはまた、人間に行動の自由があるかどうかにも関わってくる重要な問題である。

様々な哲学の立場に立てば、過去未来にかかわらず、既に物事は決定されているとする決定論、反して非決定論、また、自由は決定論と共存できるのか(両立主義VS非両立主義)について様々な意見がある。
例えを宇宙にとれば宇宙は決定論的であり、このことが自由意志を不可能にすると主張する意見も根強い。

自由意志の問題とは自由と因果との関係性であり、そして自然法則は因果論的なのかどうかの本質的な問いを孕む。

そして、それらが宗教、倫理 科学の絡みで論じられるなら、倫理上、自由意志は、道徳的な義務を負っているが、意志自体自分の自由にならないのであれば、意志行為に関する原因結果の責任を問うことはできなくなるであろうし、自由という概念全体が消失するのだ。

自由意志の問題は、人類史上中心的な論点であり、現代の脳科学の進展によって意志の形成過程が解明されつつありとはいえ、もはや自由意志をあいまいな形で片付けることは許されない状況なのだろう。

科学の範疇で自由意志が問題となるのであれば、行動や身体の動作が物理的な因果律によってすべて規定されているのではないことの現れです。
では「物理的な因果律ではない別の何か」とはの説明はなお難しい。

いずれにせよ、「倫理的道徳を維持しようとする力」と「決定論的な科学的思考」の決定的な論拠を説明できないことから様々の意見が出てくるのだ。

哲学における自由意志

wikipediaを参考にしてみれば、自由意志の問題における哲学上の基本的な立場は、

  1. 決定論は真か

  2. 自由意志はあるか

という2つの質問に対して肯定するか否定するかで決まるという。

一般に決定論とは、今と将来の全ての在り方は、自然法則と結びついており、現在と過去の事象を顧みれば因果的必然性により未来は予測できるという考えである。
 決定論は、様々な意味を持つ幅広い用語である。それぞれの異なる意味に対応して、自由意志に関する異なる問題が生じる。

自由意思は存在するのか
自分の判断をコントロールできるという「自由意思」の存在は、科学的にまだ証明ができていない。
人は生きていく上で決断を行い続けているのに、なぜ「自由意志は存在しない」という主張があるのか。
科学者の中には、脳とは別に「意識」あるいは「自己」が存在するという考えを否定する人が存在します。

しかし、脳が体に対して行動の指示を行っていることを考えると、人の「意図」や「認識」が脳の判断の結果として生じるものであると考えることは、決して不自然ではないはずです。

取りあえずの結論
自由意志と決定論(必然性)についての論争は、現代哲学の中でも重要なテーマです。
どちらも相反する性質を持っているため、両立することはできないとの意見が主流ですが、多くの哲学者や学者は、人間の行動に自由意志と必然性の両方が共存していると考えています。この学問が今後どのように発展していくのかは門外漢の私には予想ができませんが注目できるテーマです。
このNoteでも書いたAIに対する自由意志の責任や帰属の問題が大きな社会的テーマになることは明らかです。


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