見出し画像

エレンは''黒幕ではない''のに誤解を生む発言をする理由とそこからわかるテーマ【進撃の巨人 最終回】

『エレンが1番主人公な』視点で物語を見るべき
印象だけで捉えるのはもったいない
進撃らしい一貫したテーマが隠れてると思う

「ここはどういう意図なのか」「本当にそうなのか」
どの感想どの動画を見てもしっくりこなかった

ヲタクの進撃の巨人感想(テーマ性中心)
モヤモヤしてる人にこそ読んで欲しい記事になりました。


【始祖の力についての捉え方(前提※必読)】

始祖の力に関しての捉え方が前提として重要になるんですが、大多数の解釈とは違います。
そしてこう捉えてる人が本当に少ない

この記事はテーマ性中心なので、間延びを防ぐため

自分が言いたいこと(始祖の解釈)を、より詳しく
かつ、ものすごい作品愛をもって書かれた考察記事を引用(紹介)させていただきます。


アニメ以前に書かれた記事ですが
冗談抜きで、1番描写に基づいた根拠がしっかりあるホントに素晴らしい記事だと思います。必読。

[決定論的状況を作ってしまう呪いの力]

嬉しいことに、考え方の傾向なども
(某解釈に対しての見解とか)
すごく似てて、何度も読み返しました↓


そして、いわゆる「大多数の解釈」への矛盾を指摘した反論記事がこちらです↓
(時間と興味があればこちらもぜひ)

長めの記事なので、一応自分の見解を加えつつ要点を書いておこうとおもいます。
でも、紹介した考察記事も絶対見てください


【始祖変動があると未来が過去を確定してしまう】

それによって原因(未来)と結果(過去)が同時に存在

⇒『始祖がもたらす影響には過去も未来もない同時に存在する』
※そもそも「操れる」という言い方はされてない

「代表例が最終回のダイナの件」
『叫び』の回でエレンが始祖の力を初めて使った時
ダイナがベルトルトをスルーし、カルラの死が確定
「してしまっていた」
ということ

『始祖の力で確定したと思うその他の大きめな例』
・様々な奇行種達(本来は無垢だったのでは)
・ジークを腹に入れた巨人
・無垢ファルコの不思議な挙動
・(ジーク死亡で確定?)八割止められない地ならし
・ラストの巨人化能力消失/解除

私的な見解

''時間関係なく操れるような力では無い''

通常ありえない辻褄合わせが発生する始祖の力によって、要所要所の『始祖が絡む』出来事が確定する

「これを広い視点でざっくり捉える」
もしくは
「進撃世界の今を生きているエレン」
からすると(結果的に)

全て最初から決まっているように感じられる

だけであるということ。

つまり、作中出来事に対して 
「決定論(そういう世界観)だから」「決まっている」
で、片付けるのはもったいない。

複雑にからみあっているのは事実でも、
細かい視点で見た時

『始祖所有者のエレン・グリシャや始祖ユミル』
『主にその3人に影響を及ぼしたキャラ』

行動した結果として始祖の変動に繋がり、引き起こされた事象がある
という認識にすると

『キャラの自由意志がないように見える』
『今までなんだったんだ(茶番感)』
という、モヤモヤは払拭できるのでは


[''点と点''として捉えるべき]

なんでこんなに「エレンが意図して操った」という
解釈が通説みたいになっているのか。
なぜ、上で述べた説がこんなにも伝わらないのか。

誤解を生む最終回エレンの口ぶりや、道ツアーの雰囲気以外に理由があるとしたら

「過去が変わったら''それ以降の未来''が変わる」
「別世界線が云々」

というメジャーな時間系設定に毒されすぎてるからでは無いかなと思います。


Twitterで『ユミルがフリッツを庇わなかった』描写について

『過去が変わったことを表している』それによって
『(継承されないから)巨人化能力が消えたんだろう』

という意見を取り上げている投稿がありました。
(心象風景派が多数の中で、理屈論を出してくれてありがとうございます)

それに対して

「歴史がめちゃくちゃになるだろ」
「過去が変わったのに巨人化能力だけ消えるの変」

のようなリプが付いていました。

多分こう思うのは
「過去が変わったら''それ以降の未来全て''が変わる」

という認識でいるからかなと。


今まで述べてきた
【始祖変動があると未来が過去を確定してしまう】

という理屈で考えていくと、
まったく引っ掛かりが無くなると思います

どういうこと?
という人のために噛み砕くと

【点と点(始祖の力が絡む''事象A''と''事象a+‪α'')】
「のみ」で同時に影響しあっている

【始祖ユミル描写の場合】
事象A:『能力を放棄する(能力が無くなる)』
【巨人化が解除される】

ここが ⇅  同時
事象a:『(能力が消えた影響)王を庇わない過去に』
 【 能力継承がここで途絶える】

※それ以外は変わらない

からです。多くの人は
「点(事象)と線(以降の世界線)」で捉えてますが
進撃の場合は「点と点」だと思います。

(この始祖の捉え方を具体的に図で解説した
自分作の『口の悪すぎる閲覧注意な考察動画』

⇒ こちら)

と語ると、
「いや、エレンが試行錯誤したり、介入したりすることまで折り込み済みなんだよ」
「歴史の調整しないと〜」

などと言われそうですが、
結局その解釈の土台になってるのも
「時間関係なく操れるチート解釈」なわけで


ツッコミは色々出来ますが、そもそも論
そんなチート能力を持っているなら
全然仕方なくないんですよ。

「やりたかったから」じゃないのか……って ?

そんなチート能力をお持ちなら
『諸々上手く両立できた』と思う。

みんなに長生きして欲しいと、足掻いてたのも本心なんだから。

エレンが『仕方なかった』っていうの相当だと思う

※ここら辺を詳しく知りたい方は、上で紹介した
反論記事をよろしくお願いします


[アニメで追加された補足]

やっぱり補足されたんですよね。
でも改変の試行錯誤虚しく、ほとんどの人が
「操ったこと前提」で補足部分を捉えてるらしく

(もし、この説が正解で自分が制作陣なら泣いてる)

「''何度も何度も''やっても変わらなかったのか……」
「やっぱりやり直ししてるんだ」
「そう決まってるんだな」

という捉え方で、アニメ勢もそういうものだと
飲み込んでしまう人がほとんど
(原作勢が言うなら……ってなるのも無理はない)

【追加された情報】

  • 寸分違わず未来の記憶は変わらなかった

【寸分違わず】
読み方:すんぶんたがわず
別表記:寸分たがわず
わずかな違いもなく、そっくりに出来ているさま。まったく違いのないさま。

実用日本語表現辞典

未来の記憶が
『寸分違わず』って言われてるんですよ。

過去介入、試行錯誤できるならば
寸分違わない(全く変わらない)わけが無い。

少しは何かしらの変化を見せないとおかしい

つまりこれは
【未来の不変=過去介入不可能であること】
+『世界線は1本であること』

を表してると思います。

『何度も試みた』というのは

【試みる】
読み方:こころみる
[動マ上一][文][マ上一]《心見る、の意》
実際に効力効果などをためすために行う。ためしにやってみる実験を—・みる」「抵抗を—・みる」
とにかくやってみるの意

デジタル大辞泉

未来の記憶と違う行動をとってみることでしょう
(ラムジー助けるか否か/マーレ潜入時ミカサに尋ねる、等)

記憶で「''異常である''ベルトルトスルー」を見て
介入できないかやってみた可能性もあるけれども
''結局は『寸分違わなかった』''ということなので

「(ダイナには介入し、操ったけど)それ以外は変わらなかったのか……」

という感想は筋が通っていないと思うわけです。


【チート論解釈の根本原因は読み方?】

そもそも 、多くの人の読み方(私的推測)が

エレンの口ぶりを見て「エレンが操ったんだ!」

「でも、この時掌握してないよな?
始祖の力がそういう性質だからだ!」

っていう『逆になってる』のではと
(明確に某YouTuberが、そういう読みをしていた)

書かれ方は
「始祖の説明⇒''あの日あの時〜''」なんだから
「始祖の読解をした後に、エレンの告白の意図」
を考えるべきな気がする。

文章順番に読解していくのって当たり前だと
思うんですが……そこのところどうですかね……はい

始祖の受け取られ方云々を考えてると
「なんでや……」とイライラしてしまうようになった
ので、ここいらにしてテーマに踏み込んでいきます


【ユミルと重ねるべきはエレンの方】

最終回を読んだ人の99%の人が「ミカサとユミル」を重ねて「そういう事か」と納得してると思います。
ここに関しては、始祖の力云々よりは個人的な異論は強くないんですが、

「エレンがハッキリめに言っていること」
「''似たような人が決断したのを見て未練がはれる''
こと」


への違和感があって
『ミカサと重ねていたから』論には引っ掛かりがあります。

対比については、だいぶ前に出した
最終回感想考察動画でふれてるんですが

「絵やコマで対比されてるのはエレンの方が多い」
(し、ミカサの方は直接的な関わりが本当に薄い)
んですよね。

【エレンとユミルの対比】

  • 自由だラップの道シーン/子供エレンとユミル 

力を捨てた時のユミルは「大人の姿になってる」
それまでは道の外でも「子どもの姿」
子供の姿は2人とも『夢を見れていた時』の象徴 
なんじゃないかと。意図的だと思う。

・エレンを語るライナーが、ミカサの方を見る
「終わらせて(解放して)欲しいんじゃないか」

エレンに引導をわたした結果
+ユミルの解放(気づきと物理的な区切り)
になった

  • 『理想・夢の奴隷で普通』な2人

「縋ってないとやってられなかった」
頭でわかってはいても、現実との折り合いがつけられなかったんだと思う。
細かいとこだと「お前は自由だ……」とかも


元々、最終回(「ミカサだ」が出る)までは

道の子供エレンとユミルを見て
散々「ユミルと同じくエレンも(自由の)奴隷じゃん」

って言われてたんですよね

ミカサとユミルの関係性なんて、考えてない人がほとんどだった。

だけど最終回で「エレンが言ってるから」
『ユミルとミカサを結びつけた結論を出した』

人が強い印象

こうすべきだと思った時にしっかり行動できるか?
という意味で状況は似ているし、
子供時代から物理的な奴隷で「従う」が当たり前なユミルにとって『新しい気づき』だったのは確か。

でも「そこがメインではない(少し違う)」と思う

個人的な感覚ではあるんですが、前述した違和感について述べていこうと思います


【なぜエレンが断言する(させた)のか】

作る側から考えた時 
『エレンにわざわざ「ミカサだ」と言わせる描写を挟まなくてもいいんじゃないか』

と思ったんですよ。(そうしなくても察せる気がする)
「ミカサの選択がもたらす結果〜巨人が消える」
と「王を庇わない描写」のみでも足りるというか。

地ならし開始時点で「終わらせる(ケリをつける)」と言ったエレンについたユミルはここで既に
「終わらせる決心」はついていた
と思う。

でも「力を貸せ(アルミン達を英雄にする、島と壁外の軍事バランス、歴史のケリの問題)」と言われたから、その時が来る、終わるまでは、力を貸して協力体制でいた……という構図だったんではないかと。

だから、シンプルに
引導を渡した(エレン死亡)結果『巨人能力が消えた』

でも「ユミルへ言及なしでも」受け入れられる
……というか、それがない方が「なんで?」という意見がなかった気がする。

『二千年前の君から』以降
「エレンがユミルの決断をうながした」って認識

があったし、それは地ならし発動できてる時点で
間違いでは無い事実だと思うので(最終回を経ても)

原作連載時に
「なんで急にミカサが絡んできたんや」って意見
そこそこあったし、人によってはマイナスポイントになってた人もいた。

諫山先生はエゴサの鬼だしこの意見も当然見たはず(連載終了時、エレン周りは特に漁ったらしい)

アニメ最終回後、トークショーで
『全て鵜呑みにしては無いけど〜』と
言っていた諫山先生が、ここは全く改変してない

ってことは「なんで?」と突っ込まれようが
『エレンに「ミカサだ」と言わせることの意味』
明確にあるってことではと考えました。


[ミカサ言及時のエレン(アルミン)をよくみると]

エレンが「ミカサだ」と言った後のやり取り

「え?今ミカサって言った!?」
『言ったよ……やっぱり、聞いてなかったか……』
「聞いてたって!それでなんで〜」

『』:エレン「」:アルミン

【照れている?アルミン】

この時の原作のコマをよく見てほしい。

「え?今ミカサって言った!?」のアルミン
少し照れてないか??と。

長くて小さいコマだし
アルミンをはじめ「だんご鼻」キャラは
原作だと記号表現?で斜線入るじゃないですか。
だから余計分かりにくいんですけど、
鼻だけじゃなく見える。頬の範囲まで入ってる

原作の照れ顔表現って「鼻を跨いで入れられてる」
わかりやすいのは「お前らが大事だから」の正面顔エレンですかね。

見てみてください。流石に考え過ぎか……?

だから何が言いたいかと言うと

「それってさ…(エレンのことなんじゃないの!?)」
っていう、ミカサの名前が出たことによる
驚きと気恥ずかしさを感じた。

(アニメでは絵的には照れてなかったけど
声がイメージ通りで受けた印象は変わらなかった)

【断言していたのに''分からない''エレン】

それを受けたエレンは
「言ったよ……やっぱり聞こえてなかったか……」
って言うんですけど、

エレンもなんか気恥ずかしそうな表情に見える
『さっき断言した』にしては、急に様子が変わるし
何故か「わかんねぇよ」って言う

じゃあ、なんで断言したんだと。

『ユミルのことは深く分からないし、何をするかもまだ分からないのに』

個人的には
『分かっているけど、はぐらかしたな!』
と、思ったんですよ。ジークも137話で言ってたし

そういうことってあるじゃないですか、気まずさとかから。進撃内だと、131話のアルミンとアニの船上での会話。

「わからないの?」『分からない……』

「」:アルミン『』:アニ

が、顕著ですよね。
それとニュアンス的には近いのでは。

「言ったよ……やっぱり」のセリフ、アニメだと
気まずさマシマシに聞こえた
のが、私的決定打


[エレンのシンパシーとシンクロ]

一言で言うなら
『エレンは(ユミルを知り)理解出来た』んですよ。
かつ、2人は以外と類似性がある

でも「ミカサだ」発言が出たから、
ユミルが『従い続けた』事実のみを結びつけて

『ユミル=ミカサ』の構図でだけ、捉えられてる。

エレンとユミルの対比は上述したので割愛しますが
それに加えて
物理的な直接的な関わりがあって、ユミルを突き動かしたのはエレンだと思う。

そんなの分かってるわ!と言われそうだけど自分が言いたいのは

捉え方がズレてるから、ユミルとの関係性が?になるんじゃないのかって

ここの捉え方で多いのは
『ユミルに''自由なエレン''が発破をかけた』
って認識だと思う(自分もそうだと思ってた)けど

最終回の言及以外の対比や描写に目を向けると

『エレンが''夢に苦しむユミル''にシンパシーを感じた(プラスの意味で「だよなぁ、でも終わらせるぞ」)』

したから「ユミルはエレンの側についた」のかなぁと。そしてある意味シンクロ(偶然の一致)した。

話の中で「エレンも解放した1人」というのが強調されないのは『巨人の力に呪われた人』という意味で
ミカサに解放されるから始祖ユミルとイコールなのかと推測しました。共感者ポジとしての側面が強い
(構造としてはそっちがメインなのかなと)


【なぜ、ジークでは理解出来なかったのか】

ユミルの具体的な背景(必要とされたかった)に
目を向けるのであれば、理解して寄り添ってやれそうなのは『エレンよりジーク』な気がして
(何が理解を妨げたのか)不思議だった

ジークが分からなかったユミルを簡単に言うならば
『自由意思で''いつか''を夢見て従い続けた普通の人』

ジークをはじめとして、最終回までの認識
『言われるがまま従い続ける奴隷』というのは誤認
(改めて考えると最終回前でも、エレンの呼びかけ「奴隷でも、神でもない〜」で、視聴者側は認識を改めることはできたのかなと感じた)

なぜ、ジークはそういう認識になったのか。
神にも等しい(巨人の)力を持っていた=恵まれている
(特別)なのに、何故……

という感じ方だったんだと思う。

ジークは幼少期『選ばれた人』であることを強制されていて、それに答えられず見放された過去がある

グリシャの記憶ツアーでエレンが愛されてる場面で妬んでいたし、
『グリシャに育てられたなら、エレンも〜だろう』
という決め付けの上でエレンに接していたところがある気がする。

これはユミルに対してもそうだったと感じる。

それに加えて
ジークの成長環境が「普通」を許さなかったから、
『''力を持っただけ''の普通の人』のユミル
近しい心残りを持っていたのに、理解出来なかった。

その視点でいくとエレンが理解出来たことには
非常に納得がいって、

''力を持っただけの普通のヤツなエレン''は
『普通であることを肯定(Byカルラ)』されている

という感じで、ジークがネックだった部分がエレンにはなくて、その上
''エレンは人のことをかなりよく見てる''タイプ
だと思うので、パッと見の印象に踊らされず理解を示せるのは特に違和感がなかったです。
(ライナーはガチだったということが証明されたと…)


[絶対的な理由はない''XとY的存在'']

ミカサであることに絶対的な理由がある訳じゃない
だから、ぽっと出感があるのは仕方ない気がする。

エレンがユミルに語ったセリフ
『ずっと待っていたんだろ''誰か''を』なんですよね。

2000年間待ってたのは、
寄り添ってくれる誰か、終わらせてくれる誰か

であって、「ミカサ確定!」じゃないんですよ。
それが、終わってみたら『エレンとミカサ』だっただけ。

例えるなら……
数式の『XとYに代入された数字』というか
『相対的な存在』だと思う。

「エレンがユミルと類似ポジ⇒誰か=ミカサ」

(エレンポジが)
エルヴィンだったらリヴァイだったかも
しれないし
そばかすユミルだったらヒストリアだったかもしれない。

ということなんじゃないかなと。
エレンは未来の記憶を見れる+解放して欲しい
ので確定してるように見えるけれども。

むしろ巨人の力を持ってる分、エレンの方がユミルに相対する存在として必然性は高かったと思う。
だから『二千年後の君はミカサだったんだ』って、フガフガしてたり、ガッカリしてる人いるけれども
『いやエレンでしょ』と、言いたくなる。


二千年後に寄り添ったのがエレンでなければ
関わりがラスト以外ないミカサにはならないはず
(ミカサの頭覗きも、始めたのは「エレンの未来の記憶」を見たからかなと個人的には思う。)

エレンの存在感は''ある''んですよ


ユミル関連の考察の〆に「?」になりやすい
このセリフ【ミカサがもたらす選択の結果】
を噛み砕くと(というか日本語そのままだけど)
こういうことだと思います。

『エレンを殺す』とミカサが決断をし、
それがもたらした(引き起こした)ユミルの

『能力を捨てるという選択』の結果
【巨人化能力が消えることになる】


【エレンも普通の人、普通の人しかいない】

進撃の巨人には''普通の人しかいない''とおもう。
完全にラスボスらしい書かれ方をしてる人も、
完全無欠のヒーロー、聖人もいねぇ。

【エレンだけがわかってやれた存在】

見てる人の中には
『始祖ユミルが最後までわからんから、なんかある
(ラスボス的存在)なんだ!』

と思っていて、肩透かしというか
「結局なんなんだよ!」ってなった人がいるのが見受けられたけど、特筆すべき黒幕性も何もないんですよね。『力を持って夢を見続けていた普通の人』
だから。そういう書かれ方だから。

『何をしたかったのか?』という疑問に対しては
『決心して最後にエレンに力を貸していた』

ある意味地ならしに関しては、ほぼ傍観者みたいな

「なんかある?」と誤解させられるシーンとしては
アルミンがヌルマゴされた時のセリフ

『エレンが僕にこんなことするはずない!!』
『……あの子だ……始祖ユミル!
彼女も虐殺を望んでるというのか……!!』

ですよね。多分
アルミンをヌルマゴしたのは、ユミルであることは間違いないけど、虐殺を望んでるからではなく
『アルミン達を英雄にする、討ち取らせる』という
エレンの目的、意図を汲んでユミルが行動した
アルミンへの助っ人=【ヌルマゴ】

エレンは『進み続けるだけ』と言っているので手は下してない。

阻むのが目的じゃなく、上記だと思う理由は
結果的に取り込まれたのが打開(オールスターズバトル)に繋がってるし、
道説得後のアルミンのセリフ

『彼女が繋がりを求めているからだ!』
『僕たちに何かを求めて……』

があるから。ジークの会話で
「妨げ目的のヌルマゴじゃない」と考えが変わった

アルミンが言った繋がり、何か
超大きな括りで言うなら
「相互理解・尊重」始祖ユミルが求めてたもの。

局所的な括り(そのシーン)で言うなら
「敵味方協力して、自分(エレン)を討ち取る」
っていうエレンが求めてた、意図していたもの

じゃないかと。

アルミンが困惑するのは状況的に無理もないし、
自然なことだけど
やっぱり、ユミル絡みでエレンが強調されてるなって感じる


[悪魔と呼ばれた2人]

中々できないような判断ができたり、エゴを抱えてたりすると「いや、普通じゃないだろ!」と言われてしまうこともしばしば。
進撃だと、エレンとエルヴィンかなと思う。
割と、このふたりは意図されて書かれている気がしている。

ふたりとも公に求められる立場でありながら
共通目的の先に個人的な夢があって、大きな原動力になっていた。(結局、叶ったとは言いにくい)

ゲームチェンジャー的なポジションだからこそ
残酷な世界では『そういう存在』として期待される

後半大活躍のフロックからのセリフも印象的で

エルヴィンの生死に関して、他メンツへの訴え
''巨人を滅ぼせるのは悪魔だ!''

飛行艇急襲での絶命時、エレンに対して
''俺たちの悪魔……それだけ……希望''

『悪魔を期待される』んですよね。

結局どうだったかと言えば
『夢を見ていて、葛藤してる少年』であって。
フロックからしたら期待はずれだったかもしれない。それこそ、視聴者から見た始祖ユミル然り。

エゴがあったのは事実だけれども、
『実はみんなとは違ったエゴのあるヤバいやつ』
みたいな書かれ方はされてないと
おもう。

(葛藤があり、誘発環境があるからいいのであって、何も無いのに顧みず、人を殺すとかはさすがにやばいと思うけど……)

2人の違いと言えば
最終的な(皆のためだととった)行動に
自分のエゴが含まれているか否か

最終的に含まれなかったのがエルヴィン
含まれたのがエレン

そもそもこのふたりの場合
残酷な世界じゃなかったら、叶ってそうな夢
というのも大きいかもしれない。


[スクカーエレンからわかる''本質'' ]

スクカー知ってますか?見てますか?
単行本オマケ的な漫画ではあるものの、かなり力が入っているし、先生もかなり気に入ってるなと感じる。どこでだったか忘れたけれど

スクカーキャラは一見違うように見えて、
本編と本質の部分は繋がっている

と言われてたんですよ。

そのスクカーで、エレンはどんなキャラかと言うと
パッと見、本編と真逆。無気力で夢も目標もない。カドのないぽやっとした雰囲気がある。
なにか起きねぇかなと……口開けた金魚状態。

本編を見返すと、マーレ編の序盤
子供ライナー/エレンの対比がされるところで

『なにか起きねえかなぁ……』
って、ぼーっと空見上げながら言ってるんですよね

でそこに『エレーン!』と本を持ってくるアルミンはじまりはじまり……と。

スクカーでもそうだけど、過不足ない満たされてる状態だと結構のんびりしてるんだよなぁ……と感じる。だから、あの山小屋シーンのエレンも違和感がない。
幼少期で印象的な、強盗殺傷のインパクトに引っ張られやすいけど。


【本編エレンの''始点''はどこなのか】

道ツアーのシーンで、この殺傷シーンを見てる時

''オレは自由を奪う奴から、自由を奪う''
''生まれた時からそうだった''

と、エレンは言うんですけど
それに対して、ジークが『生まれた時から?』
と、返したのが妙に引っかかっていて
(ジークとしては洗脳だと思っていたから、出た言葉の可能性も十分ある)

そもそもこんな言い回し、中々自分に対して、しないよなという部分での引っかかりもあるかもしれない。だけど

このやり取りを考えていた時、思い出したのが


出典:別冊少年マガジン『進撃の巨人』諫山創

『ミカサを強盗から助ける回』の連載本誌
アオリページです(単行本はアオリなし)
※言葉だけだと伝わりにくいので引用

エレンの中の何が壊れたんだ……?

この回は''エレンが初めて人を殺す回''もっというと
初めて''不足(理不尽や怒り)に抵抗した回''とも言える

結果としてそれが成功した。

……ここなんじゃないのか?
本編エレンの気質が目覚めたのは

アルミンに本の世界を教えてもらったのは、時系列的にこの前だろうけど
『不自由だという事実を知った』ということに
留まると思うんですよね。

理不尽や不自由に抵抗するエレン

あの(本編)進撃世界で
''アルミンが教え、ミカサが目覚めさせたエレン''
と、見方によっては捉えることもできそうでは
(スクカーは2人に引っ張られてる印象が強い)


[エレンの異常性?に押し込めることの違和感]

''エレンがヤバいやつだから〜、異常性が〜''
''そもそも始祖ユミルが〜''
''すべて○○が〜

個人的にこういう捉え方にすごく違和感がある。
ここまで読んでくれた人は
「お前ならそうだろうなぁ」と思うかも知れませんが。

全体的に進撃をみわたした時、引っかかりがすごい
からです。


【エレンの書かれ方を見た時】

漫画を読んだ時の方が(反社的な衝動持ち主人公言説)
『うーんまぁそうなのかも』と思っていたんですが、アニメで『やっぱ、違うわ』となりました。

この言説に繋がりそうな描写は、端々にありつつも
それでエレンのポジションを、進撃の巨人を
包括して結論づけてしまうのはどうかなと思う。

(物語テーマに絡めた言及は後ほどの章で……)
 
先生もヒメアノ〜ルに影響を受けた、印象深いとは言っているけれども、そこの性質をメインに据えていたようには感じられなくて一部でしかない気がする。


アニメでは、エレンが
「この世の全てを平にしてたとおもう」の後
『この景色が見たかった』といい、自分を卑下するんですが
それに対して

『邪魔な人間を消し去りたいと思ったことなら
僕にもある』
「お前がそんなこと思うわけが」
『思わないだろうね。人類を救った英雄なんだから

「」:エレン『』:アルミン

って言うんですよ。
1回だけなら「(分からないけど)寄り添ってやった」のかなとも思ったけど、アルミンの被せが入って
『行動してはないけど、思ったことはガチである』

って、印象でした。

さらに『あの時見た夢、交わした夢』
より強調されて、そこが源流になってること

「行動に移せてしまう人(異常?)」であるとはいえ、
葛藤がありエレンだけが行動のトリガーなのか??

という部分もあいまって、
(エルヴィンとエレンを言及した時にも言ったように)

「エゴ(利己的な部分)がある人」ではあっても
『異常な人』とは言えないんじゃないかと。


【作品を貫くスタンスのひとつ】

そもそも進撃はずっと
ある1部の局面だけを見て決めつけて処理することの危険性

も人間ドラマの中で書いてきてる気がするので。
ここをアニメではヒストリアがフォロー入れてましたけど、

ましてや、それを書いてる進撃を読む時に、
そこが疎かになっちゃダメなんじゃないのと思う。

''誰の中にもみんなの中に悪魔がいるからこうなった''
''神にも悪魔にもなれる。誰かがそう言えば''

なんですよ。
ユミルが巨人の力を存続させたからと言って、その使い方が良ければ、世界はここまでの惨状にはなっていないかもしれない。

どこかでストップをかけて、島にいる何も知らない人達にまで罪を押しつけ、それを建前に利益を得ようとしなければ。そういう教育をしなければ。


それに関わってるのは1人だけじゃない

''分からないことがあるなら理解しに行けばいい
それが調査兵団だろ?''

「だれかが悪い」というのはどうしても出てくることはあるけど、短絡的な決めつけは良くないよね。
特に戦争とか、長い歴史のいざこざにおいては……

みたいなことが戦争部分のテーマのひとつだとおもう

読解をする(受け取り方)時も大事なことかもしれない
一から十まではっきり説明しない作風の進撃なら尚更


【''能力''によって、浮き彫りになるエレン像】

最終回後、こんな意見を割と多く見ました。

''自由を求めてて「決まっていました」って何だよ''
''抗う物語じゃなかったの?''
''なんでもありなこの設定……w'(必要ある?)''

前提としてこの記事で最初に書いていた
「始祖(進撃)の能力の捉え方」なら
そもそもこの感想にはならない(印象が変わる)と思う

能力のスケールがクソでかい故に、捉え方ひとつで
物語の印象(解釈)が左右されやすい。
だからこそインパクトに引きづられてはダメな部分
だと思うし

自分は前提で書いた始祖解釈が、ほぼ正解だと考えてるので(じゃないと書かない)

『もったいねぇ〜なァ〜』と、それでいいのか?と
『そのモヤモヤ、持たなくていいものかもよ?』と
   

                                           
前提のところで
始祖はチート能力じゃないんだ、仕向けてない
と言いました。
ならば何故自分がやりましたみたいな口ぶりなのか

自分も最初は
「誤解される原因ここの口ぶりなんだし、別の言い回しに変えればいいんじゃね?」

と思っていた。だけど違う。

『(誤解される危険性があっても)
この言い回しじゃなきゃいけない理由がある』

それによる、ドラマの深みがあると気づけて、
勝手に唸りました。勝手に。

エレンの心境、在り方の視点から考えてみた

まずは、わかりやすい感情の部分から……

[アニメ・ドラマでよくみる罪悪感心理]

「やってないなら、なんでそんな言い方なんだ!
やってないって言えばいいのに」って言う人へ
そういうこともあるじゃないですか。
アニメ、ドラマ見てたら割と見かけるヤツですよ

''自分が(○○買ってきてって言わな)ければ、
〜は(その帰り交通事故で)なくならずに済んだのに''

''自分が(人質に)なってるせいで、〜がこんなことになってしまった''

比較的わかりやすい場合


『自分が危険に晒し殺したようなものじゃないか』

これを、限りなく自分のせいにしてるのがエレン
だと思ってて。

分かりやすく言うなら
『親の仇だ皆を守るぞとエレン自身の起こした行動(座標発動)』が知らん内に母親の死を確定させていた

それを、継承者特有の記憶が開いたことで「あとから知った」ってことだろうから、
「仕方なかった」というのも、自分のせいだとなるのも自然じゃないですか?

というのがひとつ、もうひとつは

''エレンだから''のテーマ性に踏み込んでいる理由です


[あの時の自分を否定したくないからこそ]

カルラの死に繋がってしまった行動(座標発動)
っていうのは、上記を抜き(知らなかった)にしても
エレンの人生でかなり''心境''的にも重要な出来事
だった思う。

思い返してみると、あの時は
巨人化も出来ずにもうダメだと思ったけれど、
自分から湧き上がる思い、決意から何とかしなければと

『生身のエレンでがむしゃらに立ち上がった』

ことが打開に繋がった
本人が立ち上がらないと座標発動はなかった
つまり

「なんのアドバンテージもない状態」での成功体験

だと思うんですが、

継承者であるからこその期待を背負い込んで来て
カルラが死んだ時の不甲斐ない無力な自分、変わってない自分を嘆いていたエレンにとって  

『何物でもないまっさらな自分がしてやれたこと』
を思い出し自分で立ち上がって、また助けてやれた

というのはほかのキャラ以上に貴重なことになった
な気がする


虚しいことに後々、
これは知らないうちに望んでもない結果(親の死)
生んでいたこと

どこからどこまでが始祖の力(仕様)の影響を受けていたのか、 自分の意思は本当に自分から湧き出るものなのか?

『頭がめちゃくちゃになりそう』な状況に
実は置かれていたことが明らかになった


人間では、どうしようもできないような働きだから
『仕方ないじゃないか、能力がそうなんだから』
と、してしまっても別に良かった話

それをしないのは、前述の通り
『純粋な生身の自分の意思で行動した結果』の働き
=''ただのエレン''がきっかけとして起こったこと


そして、それを能力の(そういう仕様の)せいだけにし後悔することは
『あの時の立ち上がった意思を否定、弱める』とも言えるかもしれない。

特に「自分の意思」みたいなところに重きをおく、エレンならそれを良しとはしないだろうなと

しかも大事なあのシーンですよ。

今まで述べてきた、ふたつの理由が
「ああいう言い回し」にさせてるんじゃないかなと感じたし、誤解を生まない明瞭なセリフだったら
こういう考えには至らなかった
とも思う。


[責任を負うことは''自由への第一歩'']

これはダイナ関連について考えていて感じたことです。基本的に現実で考えた時、

''子ども''=制限(不自由)が多い分、庇護される
''大人''=権利(自由)が増える分、責任も増える

あくまでわかりやすい例

「大人だから、子供だから〜」ということが言いたいわけではないです。

『責任を取れるからこそ、自由(権利)が与えられる』
(=権利を持つものは、責任を持たなければいけない)

ってことなのかもしれないなと思いました。

逆に言うと
「強制(不自由)が多い誰かの下で働く人や子供」
の責任は、上の人や上司が負う(=責任が少ない)
ということでもある

進撃で例えるなら、わかりやすいところだと
ガビは小さい頃から
『そういう教育を受けて育ち生活環境に促された』影響が強い人、立場であるし

進撃に出てくるキャラクター(子供世代)
ほとんどそうなのでは?と
思う。

それで言うとエレンもそれに当てはまる部分もあると思うし、特に始祖の力の影響に関して
『追っていくほど、はじまりが不明瞭である』
となっていったわけで

始祖がもたらす影響の(決まっている)責任は
エレンにあるのか?

という問い(疑問)が出てくるかもしれない。

実際状況は不自由だと思うけれどもエレンのあり方を考えれば、決着がつけられる気がする

''自分が責任を負うことで''自由であろうとした''


これが感じられるのはやっぱり
『過去も未来もない同時に存在する』始祖の力
『どこからがはじまりだろう』という世界観構造
あってこそだし、

一見、カタルシスのない設定であっても
対エレンだからこそ、ある意味カタルシスがあって
『何たるかが試される設定』ではないかと思う。

''すべて最初から決まっていたとしても
全てオレが望んだことだ

エレンの回答はこれなんですよねぇ

【不自由な世界VSエレン・イェーガー】

というわけで……進撃の巨人って何を書いてるの?と言われたらこう答えます。自分なら。

(ここの側面、能力誤認すると埋もれるし
''よく分からない''になってしまうのが非常に悲しい)

物語を最初から最後まで貫くテーマがこれだと思う

だから

''戦争がダメだなんてもういいんですよ''
''何が言いたいのか分からない''
''カタルシス0でふわっとしてる''

Amazonレビューで見たご意見↑

みたいなのを見て、ちょーっと、待った!!!
って、思ったのがこの記事を書く大きな原動力になった。(感想は人それぞれだけど、見方次第なところがある……というかなんというかですね)

もちろん反戦的なテーマもあると思うし、
そういう世界状況を書くからには誤解されないような表現にする都合上、強く書かれているのは事実。
大きな展開が『虐殺するエレンを止める』だし。

だけれども、それがメインではないし
テーマはずっと一貫していて、
エレンは変わらず抗い続けてるんじゃないかって
言いたい

見かけの構造は変わっても


[反戦メインなら主人公はアルミン一択なはず]

これなんですよね。でも主人公はエレン

あえて、エレンを据えることで考えさせられるから
立場逆転の象徴としてなのか?
みたいなことを考えたこともあったし、それもあるだろうけど、だとするとですよ?


アルミン達のその後の大使活動を書かないのはなぜ

っていうのを感じるんですよ。

最終回は『エレンのことが中心』の書かれ方で、
はっきり言えばアルミン達のその後はおまけ的扱いな分量だし、アニメでも同じなんですよね。

それどころかアニメでは、エレンの状況説明が盛られてる。しかも漫画よりアルミンが寄り添っている

(反戦がメインテーマだとするなら)
虐殺云々で物議を醸したわけなので、アルミン達がどんな風に平和を語ったかまでフォローしてもいい気がするし

それなら始祖やら進撃やらの設定いらなくない?
になってしまう


決定論的な始祖と進撃は今まで言ってきたように
「同情してしまうような不自由要素のひとつ」なので、あれはなんだったんだ?になるじゃないですか

十数年にわたる仕込みが余計な設定なわけない
しかも、それを『主人公が持っている』

多くの人は主人公を軸に物語を見ると思うので
主人公にメインテーマを背負わせた方が、説得力も増す

と考えると、反戦メインでは無いんじゃないか
少なくともダブルテーマだろうと思います。

諫山先生がガイドブックの中で

海を見るまでは『物語の奴隷』だった。
海を見てからは『物語を引っ張っていくキャラクター』になったが、最後まで
『奴隷問題は進撃の巨人の軸』になっていくと思う

というのも加味するとやっぱりそう感じます。


[''自由の奴隷''だとしても]

『自由の奴隷』という言葉、めちゃくちゃ予告時に荒れたのが個人的には不思議だったんですよね。

推測するに(荒れた理由は)
エレンが『自分は不自由でした、意思はなかった』
って言ってるんじゃないか?それはどうなんだよ?

っていう感じではと思うんですが

エレンがいう『自由の奴隷』の意味ってエレンの意志がなかったとかどうとかそういう話ではなく
あくまで、環境/状況として不自由であったという話

だろうという解釈でいます。


それプラス、視聴者としては
''ケニーの言うところの奴隷、エレンですらも''
という見方もできる。この見方はユミルとの関係を紐解く上でミソになるし、いい改変だと思う。


このセリフがどこから端を発してるかと言えば

『暴悪(アルミンとミカサをボコす)回』の
アルミンのセリフ

''ミカサを傷つけることが君の自由なのか……!''
''どっちだよ……自由に屈したクソ野郎は''

からでしょう。

『もう一度質問させてくれ、君のどこが自由なのかって』ってセリフもあるけれど、エレンのセリフは

アルミンお前が言った通りオレは自由の奴隷だ』

なので『暴悪回のセリフに対して』が主かなと思う
(もちろん、質問の返答にもなっているけど)


暴悪回の行動って、
不本意だけれども取った行動(結果)ですよね
(遠ざけるという目的があるから、エレン本人の意志で選択したことではあるけれども)

そういう、結果・事実として存在することから
『不自由じゃないか君は!自由なのか?』

っていうのがアルミンの問いだと思うんですよ。
アニメ最終回含めて。それに対して

どこからが始まりか分からない
''決まっている世界の中で自由に向かって走る歯車''
だったかもしれない

↑自分の推測補完

みたいに、環境的不自由を認めて
『自由の奴隷だ』発言があるのかなと。



[エレンの自由と運命への抵抗]

『望んでいないことだろうと自分が絡んでる以上
責任を負うことで自由であろうと(意志を確立)した』
のがエレンではないかと話しました。

でもこれは『エレンの中では自由』というだけ。
傍から見たら自由じゃない


ややこしくなってきたので【エレンの自由の基準】はなんなのか振り返っていきます。


まずはわかりやすい、環境的な自由 語るまでもない『壁があり巨人(敵)に攻められる』とかの世界観自体
進撃の巨人が乗り越えようとしてきたもの。

これが感覚的にわかりやすい『自由』
(専門用語とかようわからんので勘弁してください)

乗り越えた先のトロフィーとして『海』があった。
エレンももちろんこの自由を手に入れようとしていた。

だけど、世界は広くて自由とはとても言えない状況

に加えて、
後半にエレン自身がどう足掻いても
『(能力によって)決まってしまう運命』にあったこと

がわかるんですよね。他の人は戦い抜けば
環境的な自由が手に入れられるけど、
(個人の人生という単位であっても)エレンは不可能


はい残念でしたー……とはならない!!

エレンは環境的自由だけを
自由として捉えていたわけじゃない
と思うからです


後半エレンの言動を見て感じたことなんですが
『わかりやすい自由のない始祖ユミル』に対して
不自由なヤツ扱いしてないんですよね。

ジークは『従うだけの奴隷(不自由)』だと言うけど
エレンは否定(そうじゃないと)してる。

(不自由じゃんと視聴者からも言われていたけど)
ユミルは自分の意志で従い続けてた。

エレンを気にかけてきたミカサも、女王としての選択をするヒストリアも同様だと思う。
(不自由だと周りから見られようがそこに意志がある)

客観的な状態環境によって決まるとは限らない
本人のものさしで決める(分かりにくい)『自由』


上記のこれ''も''エレンは『自由』としてると思う

【エレンのふたつの自由】
1感覚的にわかりやすい『自由』
【2】本人の尺度で決める(分かりにくい)『自由』

前半までのエレンは【1の自由】を求めてた
でも、この時(前半)のエレンは
【2の基準】も既に持っていたと思う。

(そうじゃないと、なんだかんだ言いつつもミカサと一緒にいないのでは?)


後半エレンは『環境的自由がない』
とわかってから
『本人の尺度での自由』を据えて進んでいたと思う

ただ後半エレン
例に挙げたユミル等の自由とは少し違って
『意地も含んでいる自由』な感じがして

エレンが(始祖の力で)巻き起こってしまった結果
心から納得してたか?と言うとそうでは無い


だから、何かしらの理由を
後付けでも結びつけることで''自分の意志''にした
んだろうなと……

強引だけれども『本人の尺度での自由』はあった
ってことにはなるんじゃないかと思う。

これって身体的な動きはないけど抗ってますよね?


『決まってます意志があるのかな?』してくる運命

VS

関係があることは自分の意志とするエレン


の構図というか……正直言われなきゃわからんレベルかもしれないけど、スルメ的ドラマを感じる。


それでも、本人としては無理してる
(歯茎から血が出てそう)だから、寄り添ってくれる仲間がいてよかったなぁと、ちょっと違う視点からそう思いました。


これがアルミンで同じ環境下だったとしてもこうはならないと思うので、こう考えると
エレンはやっぱりゴリゴリ主人公やってる


【抗う物語としての物語の一貫性がすごい】



書いてて思ったのが
『もっと評価されるべきタグ』を二千個つけたい


書いてきた多くが自分の主観ではあるけど
せめて『始祖の力の認識だけは……!どうか……!』
っていう思いです。本当に悔しかったし(何目線)

いつから、劇薬系漫画みたいな扱いになったんだろう。個人的には遅効性の毒タイプだと思う。


再視聴、再認識求厶!ポイ捨てダメ絶対!!


番外編

《思わぬ所からの「いってらっしゃいの解釈」》

「いってらっしゃいエレン」の解釈。
『送り出す言葉』とか『''ただいま''が有るから』とか
ふわっとした感じで納得していた。
(「帰ってきて」と対だし、みたいな演出的部分で)

死亡したら、今まで通りの姿では会えないのに…?
とか、こまけぇこた、いいんだよと

でも、気持ちとして考えた時
どんな思いで、あの時言ったのかがイマイチピンと来てなくて

Twitterで伸びてる意見をみても
「あの今生の別れの時に、そんな整理されたような感情で喋ってないだろ!
もっとこう湧き上がってくる感情から……

とか思っていたけど、言語化出来なかった。


でも、思ってもみない全く予想外のとこで納得出来て、感動すら覚えたので共有させて欲しい。
ありがとう《たま(知久さん)》本当にすごいよ


バンド《たま》がビートルズの『Girl』という曲

意訳した、たまver.リメイクと言っていいものがあるんですが(いい意味で原曲知ってないと分からない)

※メンバーそれぞれがパートで意訳を担当

メンバーの1人、知久さんのパート

僕が行っちゃやだよっていっても
君はいっちゃいますよっていうから
行っちゃやだよていう代わりに
いってらっしゃいていうのさ

これ、凄くないですか?まじで……えぇ……
(余計なことは言わないでおきます)



というわけで、この記事が誰かの再評価・再視聴に繋がれば幸いです。ここまで読んでくれてありがとうございました。

この記事が参加している募集

アニメ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?