見出し画像

科学は神学の概念を基礎としている【川越つばさの気まぐれエッセイ】

科学は神学の概念を基礎としている
……前講において、私は全体像が変化してしまったことを示そうとした。
なぜなら新しい世界が、科学における根本的変化を伴いながら出現し、決定論さえも論破されるか、あるいは少なくとも相対化されてしまったからである。
なぜなら決定論は、比較的低次の実在にだけ、それもいくつかの厳しい限定の枠内でのみ妥当するにすぎないからである。
今日の講義で私が明らかにしたいのは、神学が自然科学に基礎づけられるのではなく、それどころかその逆がより真実に近いのだ、ということである……(p64-65)

科学としての神学の基礎/トーマス・F. トランス

科学と神学の関係性を語ることは、まるでファンタジーの物語を紡ぐようなものである。
はるか昔、星空を見上げた古代の人々は、その無限の広がりに神の姿を見た。やがて、人間はその神の領域に足を踏み入れようと、科学の名のもとに未知の世界を探求し始めた。しかし、科学が進むにつれ、神の存在は薄れ、論理と実験がその座を奪っていったように見えた。

だが、ここでトーマス・F. トランス氏は、そんな単純な物語に異を唱える。彼の言葉を借りれば、「科学は神学の概念を基礎としている」というのである。まるで、砂上の楼閣のように、科学の壮麗な城も神学の砂粒から築かれたものだと言わんばかりだ。

例えば、決定論という考え方がある。すべての現象は原因と結果の連鎖によって決まる、というこの理論は、かつて科学の基礎となっていた。しかし、現代に至るまでの科学の発展は、決定論をただの幻想に過ぎないことを暴露した。
量子力学の世界では、粒子の運動は完全に予測不可能であり、確率論的な存在としてしか理解できないのだ。この事実は、神学的な「未知」や「神秘」と響き合うものであり、科学が一度完全に神学から切り離されたと考えられていたことが、実は錯覚であったことを示している。

さらに、トランス氏は、「神学が自然科学に基礎づけられるのではなく、その逆がより真実に近い」と主張する。
科学者たちが実験室で求める真実は、神学者たちが祈りの中で見出す神の真理と相通じるものであるかもしれない。科学の法則も、宇宙の創造主たる神の意志を映し出す一つの形態であるとすれば、科学の探求そのものが神学の一部であるとも言えるのだ。

トーマス・F. トランス氏の主張は、現代の科学と神学の関係を新たな視点から見直すための大きなヒントを与えてくれる。まるで夜空の星々が新たな形を見せるように、科学と神学は互いに照らし合い、新たな知識の光を放ち続けるのである。

#川越つばさ本要約マガジン #本 #本紹介 #本好き #おすすめ本 #読書ノート #読書感想文 #読書 #読書記録 #読書日記 #読書メモ #本要約 #読書好きな人と繋がりたい #勉強記録
#川越つばさの気まぐれエッセイ #創作大賞2024 #エッセイ部門 #エッセイ


この記事が参加している募集

常日頃から並々ならぬお心遣いをいただき感謝いたします。これからも変わらぬお引き立てのほど、よろしくお願い申し上げます。