川越つばさ

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川越つばさ

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マガジン

  • 創発共同マガジン

    • 7本

    多元的思考のクロスロード:創発マガジン Emergence Magazine: Collective Intelligence クリエイターによるクリエイターのためのクリエイティブライフ

  • 川越つばさの気まぐれエッセイ

    川越つばさの、書きなぐり書きちらし書きっぱなし出任せエッセイ集。内容は、常識に背くような大衆や世間様に迎合しない、あるいは、世の中をナメたような内容になります。石を投げられ白い目で見られ後ろ指さされ非國民となじられることは覚悟しています。あと、気まぐれなので、そのときの気分によって文体が変わります。 ★田中泰延先生のご著書「読みたいことを、書けばいい。」を読んでホントに人生が変わりました。自分が読みたいものは自分が書きたいものなんだから、書きたいときに書きたいように書けばいいんだと。だから、川越つばさのマガジンは、「読みたい人が、読めばいい。」 そんなささやかな気持ちを込めて、「読みたくない人に、読まれないように。」有料にしました。「書きたいときに書く」ので、気まぐれ更新です。 ※2024年05月23日(木)より開始。塵芥(ちりあくた)の如く蓄積中。 #川越つばさの気まぐれエッセイ

  • 読書ノート・本要約

    • 21本

    本の要約サービスflier(フライヤー)に倣ってはじめました。多忙な人が本の内容を効率的につかむことで、人生に役立つ知識・教養を身に付けていただくことを目指しています。ビジネス本に限らず幅広いジャンルを扱っています。 #川越つばさ本要約マガジン #本 #本紹介 #本好き #おすすめ本 #読書ノート #読書感想文 #読書 #読書記録 #読書日記 #読書メモ #本要約 #読書好きな人と繋がりたい

  • 川越つばさの創作コレクション

    • 16本

    #川越つばさクリエイション #創作活動 #創作大賞2024 #オールカテゴリ部門

  • 食べメモ:川越つばさ♪の食い意地レポート

    都合により不食の実行を断念しました。 喰う為に生きるのか、生きるために喰うのかと大いに悩んだ時期がありました。仕事に忙殺され、食事が生命維持の手段に過ぎなくなること四半世紀。この先いったい何度メシを喰えるのか!?。死亡生残表をぼ~と眺めながら考えてみました。 あと20,000回…… 【食べた記録 = 生きた記憶】 これからは料理に真剣に向き合い、味わい、その記録を残したいと思います。料理の味も大事ですが、お店の雰囲気や接客態度も重要です。エキセントリックな掛け声、店員の私語、客の前での新人教育、これらはご遠慮願いたい。心地よい店内の雰囲気と清潔さ、心地よい接客に触れて、初めて料理が生きると考えます。私の感受性に共感する方にとって参考になれば幸いです。トレンドや先入観に惑わされず、真摯に料理と向き合い、レビューを書いていきたいです。 #川越つばさの食い意地レポート #食べメモ #食べログ

最近の記事

無為の智慧:日常と仕事における自然な生き方【きまぐれエッセイ】

無為の実践 無為といっても、なあんにもしないでうすらばかのようにしているということではないんだ。 ことさらなことをしない、わざとらしいことをしない。 やることやったらそれでハイおしまい。やることなければ、やることがないやることがないとぶつぶついいながら歩き回らないでじっと静かにしてればいいじゃないか。 どんな些細なことでも大きなことでも、いつもとかわらず淡々と仕事をすすめてゆく。 人からみたら無意味なこと(利益にならないこと)でも心を込めてやる。いつもと変らず心を込めて

    • ほんものは謙虚【きまぐれエッセイ】

      力というものは、単なる筋力や経済力だけではない。知恵や経験、あるいは感情の豊かさもまた力となる。例えば、村上春樹の小説の登場人物たちのように、普通に見える人々が心の奥底に秘めた力を持っていることがある。その力が発揮される時、それはまるでカフカの変身のように、驚きをもたらすのだ。 それゆえ、力あるものが謙虚であれば、その周りにいる者たちは安心感を覚える。まるで大木の下で休む小さな動物たちのように。大木が自らの影を誇らず、ただそこにあるだけで、周囲はその存在に感謝する。同じよう

      • 嗇(ものおしみ)の徳【きまぐれエッセイ】

        精力善用・自他共栄――これぞ柔の道の二大原理。 そして、この二つの原理が指し示すもの、それが「嗇」の道。嗇というのは、無駄な精力を使わず、慎ましやかに生きること。これが長久の秘訣だという。 国家の最大の無駄遣いとは何か? それは戦争である。戦争ほど無意味な浪費はない。何も得ることなく、ただ失うばかりだ。命も財産も、そして人々の希望や夢さえも、戦争の中で燃え尽きてしまう。 一方、個人においての無駄遣いは何か? それは、過去の出来事にクヨクヨしたり、まだ起こってもいない未来を

        • 分かる人にだけ分かる真の知者【きまぐれエッセイ】

          真の知者は言葉数が少ない。 尋ねられれば答えるが、知をひけらかして他人に押し付けるようなことはしない。べらべらだらだらしゃべくる者は大概、知のない者と相場が決まっている。 道(タオ)を体得している人は、自己コントロールができていて欲がなく無心であるがまま、己の才覚に自惚れることなく、その鋭鋒、舌鋒、感受性をあえてマイルドにして、物事は、ややこしく難しくせず、いたってシンプルにとらえ、たとい問題があったとしても、粋にスマートに処理をする。 玉座に臨席できる風格を持ちながらも

        無為の智慧:日常と仕事における自然な生き方【きまぐれエッセイ】

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          46本
        • 落語あらすじ・解説
          1本

        記事

          ハートで生きる【きまぐれエッセイ】

          もし汝ら翻へりて幼兒の如くならずば、天國に入るを得じ[マタイ傳福音書:18.3] 老子もまた赤子のように無欲無心であれと教える。 自然体であるがままの純粋な人は、本来神秘的な能力パワーを備えているのだが、さかしらな小ざかしい智恵を用いて作為ある不自然な行動をするとそのパワーが途端に消えてしまうものなのだ。 憂世の常は、強壮をよしとするが、強壮とは徒に人生を豊かにしようとして、やたらに私心を以て心をあちらこちらに配っていくことである。 心ここに在らず。すなわちハートで生き

          ハートで生きる【きまぐれエッセイ】

          ダイエツト食品売りしデブ社長愛用するは他社商品【きまぐれエッセイ】

          タオ先生の書いた本を読み、講演会などですばらしいお話をきいてタオイズムはいいなあ、あるがままはいいなあと思うものの、はて現実に戻ってみれば、弱肉強食のこの憂世で生きていくには、これ霞を喰ってはままならぬから、道(タオ)を実践したからとてカネにもならないタオの道を歩いていくよりも、てっとりばやく生活の友、目の前のカネをつかむにはお世辞の一つや二つをならべたて、嘘百万ドルの商品説明をしたほうがいいってこった、タオ先生の話はたしかにいい話なんだが、生存競争の戦いに勝たないことにはオ

          ダイエツト食品売りしデブ社長愛用するは他社商品【きまぐれエッセイ】

          必死になってリラックスする人たち【きまぐれエッセイ】

          生きとし生けるものは生まれた瞬間から死に向かう運命にある。人間が生まれると、その一生の間に様々なドラマが繰り広げられる。そんなドラマのなかでも、死生のタイプを大きく三つに分けてみようかと思う。 ひとつめは、寿命を全うし生き延びるタイプ。こういう人たちは、こだわりがなく、柔弱でココロもやわらかく、そして素直だ。必死さがないから、物事は思ったように進み、勝ち負けに拘わらずとも勝利必至。のほほんと生きることの大切さを知っている彼らは、世の中の荒波にもさらわれることなく、穏やかに日

          必死になってリラックスする人たち【きまぐれエッセイ】

          そのまま・このまま・あほのまま【きまぐれエッセイ】

          民の心を心とする、というのは、まさに政治や経営における金言。 『政治は民の心を心とせよ』という言葉は、為政者だけじゃなくて、どんな組織のトップにも通じるもの。それは、道(タオ)に通じる人たちのように、特定の考えに固執しない柔軟な心を持つことが大事だということ。 道に通じる人は、自我による分別を捨て去り、差別をせず、道と一体になった立場から世界を見つめる。その視線は、凝り固まった観念で覆われることなく、受容し包容する。清濁併せ呑むその姿勢は、憂世の人から見ると、とらえどころの

          そのまま・このまま・あほのまま【きまぐれエッセイ】

          自分、不器用ですから【きまぐれエッセイ】

          一本スジが通っておる者、そんな人間は滅多に騒がない。 無骨で朴訥で、無口で静かにしている。青い静けさをその身にまとい、まるで深い海の底のように、じっと息を潜めている。 子供の頃、近所の大工さんがまさにそのタイプだった。大きな手に持つノコギリが、カシャン、カシャンと木を切り分ける音だけが響く。その音すら、何か静けさの一部に感じられたものだ。彼の作業場に近づくと、不思議と心が落ち着いた。 世の中は、どこかねじくれている。あちこちで、人々は騒ぎ、争い、声を張り上げている。しかし

          自分、不器用ですから【きまぐれエッセイ】

          足るを知る者は他人を利用しない【きまぐれエッセイ】

          カネも名誉も『命あっての物種』 そんな当たり前のことをなぜ人は忘れてしまうのだろう。カネは使ってこそ価値があるのに、貯め込むばかりで使うことを知らない人は不幸である。 腹は満月、ココロは三日月。 カネに執着し、カネに囚われている。こういう人は人を雇うときもケチる。足もとを見てケチる。カネは持っているから腹は膨れているだろうが、ココロは貧乏だ。口には出さないが、雇う方が偉いと勘違いしている。 人より偉くなりたいという思いが強いから、それに執着する。カネもモノも出し惜しみする

          足るを知る者は他人を利用しない【きまぐれエッセイ】

          水のようにしなやかに:無形の力~柔弱ハ不定形ナリ【きまぐれエッセイ】

          川の流れ、雨のしずく、海の波。どれもこれも一瞬たりとも同じ形をしていない。水は自由だ。拘束を知らない。枠にはまらない。 考えてみれば、水は非常に哲学的な存在だ。蒸発しては空に舞い上がり、雲となって集まり、雨となって地に戻る。何度も何度も形を変えて、この地球上を旅する。だが、そのどれもが水であることに変わりはない。水のようにしなやかに、しぶとく生きるとは、どんな状況でも自分自身を保ちつつ、柔軟に対応することだろう。そう、風にそよぐ柳のように、折れずに曲がる強さ。 道(タオ)

          水のようにしなやかに:無形の力~柔弱ハ不定形ナリ【きまぐれエッセイ】

          かっぱぎゲームの末路【きまぐれエッセイ】

          人間の欲望は果てしなく広がり続ける砂漠のようだ。人の分まで奪い取ってはお山を築き上げる。けれど、そのお山もやがて平地になる。これは、ゼロサムゲームの真理だ。誰かが得をするためには、必ず誰かが損をする。奪い奪われる果てしない無限ループ。 かっぱぎゲームの渦中にいると、過剰に多くを得ようとする欲望がどこかで破綻するのは避けられない。いつか、その代償を払わなければならない時が来る。 損することを恐れて生きる人々は、常に何かをかっぱごうと考えている。失うまいと必死になって握りしめた

          かっぱぎゲームの末路【きまぐれエッセイ】

          俗っぽくて清らか:タオの魅力【きまぐれエッセイ】

          逆さに見えても、それが真実だなんて、世の中おかしなもんだね。 人びとは、あたしの話を聞いて、それぞれの感じ方をする。ある人は、突然ひらめいて、これを自分の人生のターニングポイントにする。 ちょっと気にかけてはみるものの、半信半疑で身を引いてしまう人もいる。ほとんどの人は、馬鹿げてると言って大笑いする。 だけどね、笑われるってことは、逆にこのタオの道が本物だってことの証拠。 タオの道ってのは、多くの人には逆さに映る。 実際には明るいのに、なんだか薄暗く感じる。ゆっくり進んでい

          俗っぽくて清らか:タオの魅力【きまぐれエッセイ】

          見栄と体裁の舞台裏【きまぐれエッセイ】

          「貴い」とか「賎しい」とか、そんなレッテルは他人が勝手に貼ってるもの。高いものがあるのは低いものが基礎にあるから。まるで高貴なものが下賤なもののおかげで輝いてるみたいに見えるんだよ。だからこそ、見栄と体裁に囚われた人たちは自分を卑下するのが大好きだ。 「あたし、バカだから……」とか「つまらぬモノですが……」とか、 「うちのバカ息子(豚児)が……」とか「うちの愚妻は……」って、 なんでそんな風に自分や身内を下げるのかね。自分を認めたくないのか、つまらないものを他人に押し付けた

          見栄と体裁の舞台裏【きまぐれエッセイ】

          徳のある人ほど得をする【きまぐれエッセイ】

          上徳不徳。 あたしの友人、ヨシコさんが言うには、「真の徳とは心の中にあるものだ」と。彼女の話を聞くたびに、あたしは老子の第38章を思い出す。彼女の言うことには深い意味があるんだ。上徳とは、計算も策もなく、ただただ自然体で生きること。ヨシコさんはそのまんま、上徳の化身みたいなもんだ。 朝、彼女と一緒にコーヒーを飲んでいると、彼女の言葉が耳に残る。「あたしは自分のために何かをするんじゃなくて、ただ楽しむために生きてるだけよ」と。その一言に、あたしはドキリとした。無為の教え、道(

          徳のある人ほど得をする【きまぐれエッセイ】

          無為にして為さざるは無し【きまぐれエッセイ】

          道(タオ)はいつでも何事も為さないでいて、しかもすべてのことを為している」という古の教えが、現代のあたしの心にも響く。作為を捨て、自然のままに身を任せることで、人生の妙を見つけることができるのだろう。まるで、春の小川が流れるように、無理なく、穏やかに。それは、他人の期待や世間の価値観に縛られることなく、自分自身の道を見つけることとも言える。 「無為にして為さざるは無し」という言葉には、何か深遠な哲学が隠されているように思える。自然の摂理、道(タオ)の働き、それらは全て、自ず

          無為にして為さざるは無し【きまぐれエッセイ】