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川越つばさの気まぐれエッセイ

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川越つばさの、書きなぐり書きちらし書きっぱなし出任せエッセイ集。内容は、常識に背くような大衆や世間様に迎合しない、あるいは、世の中をナメたような内容になります。石を投げられ白い目…
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イエスさま激おこぷんぷん💢言うだけ~見せるだけ~の人【きまぐれエッセイ】

偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。杯と皿との外側はきよめるが、内側は貪欲と放縦とで満ちている。[マタイ23:25] 『陰徳積善』 善行って、人に見せるためにやるものじゃないんだから、他人から評価されようがされまいが関係ないし、「あたし、善行やってます」なんてアピールしてる時点で、それって善行じゃなくてただのパフォーマンス、見世物だよね。グループで「ヨイコトヲヤリマセウ」なんてタスキかけて、おそろいのTシャツ作っちゃって、善行集団パフォーマンスの

おまえ自身を知ろうとするなら、他人の心の動きを見るがよい。他人を知ろうとするなら、おまえ自身の心の動きを見るがよい。【きまぐれエッセイ】

ヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラー (Johann Christoph Friedrich von Schiller) なんとも長い名前だが、このドイツの詩人・哲学者の言葉には、深い洞察がある。シラーは18世紀後半から19世紀初頭にかけて活躍し、その作品は今もなお多くの人々に影響を与えている。この引用は、その中でも特に心に残るものだ。 「他人を理解するためには、自分の心の動きを観察せよ、 そして自分を理解するためには、他人の心の動きを観察せよ」 というのが

みじめになるということは、自分が幸福かどうか気に病むだけのひまを持つことだ。【きまぐれエッセイ】

みじめになるということは、自分が幸福かどうか気に病むだけのひまを持つことだ。(バーナード・ショー) バーナード・ショーの言葉、「みじめになるということは、自分が幸福かどうか気に病むだけのひまを持つことだ」というのは、一見、皮肉たっぷりでありながらも非常に深い洞察が含まれている。 私たちは、忙しい日常の中で、自分の幸福について考える時間がほとんどないことが多い。朝から晩まで仕事や家事に追われ、友人や家族との交流、趣味に没頭することで、幸福について悩む余地がなくなる。しかし、

宗教に足りないもの【きまぐれエッセイ】

宗教は、誰かが教科書を片手に覚えるようなものじゃない。資格試験のための技術でも、ペーパーテストの知力でも、体力測定のための筋力でもない。必要なのは、ただ一つの覚悟。 そう、<自分を殺し、人を生かす>という覚悟さえあれば、それで十分なのだ。この覚悟がすべてだ。覚悟があれば、必要なものはその時が来れば必ずやってくるか、あるいは自らの内から湧き出てくる。不思議なもんだ。知力、能力、体力…どれも覚悟があれば自然と備わる。 たとえば、知力の話をしよう。覚悟を決めた時、脳みそがフル回

宗教の極意【きまぐれエッセイ】

立花大敬さんの言葉は、なかなかに深い。いや、深いどころか、底なし沼のように感じられる。というのも、《まこと》さえ腹に据えていれば、あとは何でもありというのだから、これはもう、どこまでも自由な世界が広がっているとしか言いようがない。自由という言葉が軽々しく聞こえるかもしれないが、ここで言う自由は、単なる無秩序や放蕩ではない。もっと根本的で、本質的な自由だ。 「《まこと》さえ、あなたの腹におさまっておれば」とは何か。 あたしの理解するところでは、これは自己の核心にある絶対的な真

一方的に借金をチャラにする。キリスト教の本質は、相互性の否定である。【きまぐれエッセイ】

⇒ スコアカードをつけてはいけない より *註:マタイによる福音書6章12節 And forgive us our debts, as we forgive our debtors. 我らに罪を犯す者を我らが許すごとく、我らの罪をも許したまえ。 ここで言う「罪」は、元々のギリシャ語では「負債」や「借り」という意味を持つ言葉が使われており、現代の多くの翻訳でも「負債」と解釈されることがあります。 我らに負債ある者を我らの免したる如く、我らの負債をも免し給へ。(文語訳)

科学は神学の概念を基礎としている【川越つばさの気まぐれエッセイ】

科学と神学の関係性を語ることは、まるでファンタジーの物語を紡ぐようなものである。 はるか昔、星空を見上げた古代の人々は、その無限の広がりに神の姿を見た。やがて、人間はその神の領域に足を踏み入れようと、科学の名のもとに未知の世界を探求し始めた。しかし、科学が進むにつれ、神の存在は薄れ、論理と実験がその座を奪っていったように見えた。 だが、ここでトーマス・F. トランス氏は、そんな単純な物語に異を唱える。彼の言葉を借りれば、「科学は神学の概念を基礎としている」というのである。ま

原罪思想とカラマーゾフの兄弟【きまぐれエッセイ】

ゾシマ長老のエピソードから考える原罪思想 カラマーゾフの兄弟に描かれる原罪思想について考察することは、まるで分厚い霧の中を進むようなものだ。そこには複雑な人間の本質が隠れており、一歩進むごとに新しい発見が待っている。 まず、原罪という概念は、人間の存在そのものに深く根ざしていると言える。アダムとイブが楽園で犯した罪が全ての人間に引き継がれ、生まれながらに罪を背負っているという教義だ。この考え方に対して、カラマーゾフの兄弟の物語は多くの洞察を与えてくれる。ドストエフスキーは

アンガージュマン【きまぐれエッセイ】

アンガージュマン(engagement) フランス語で社会参加という意味。主体性に関わることにコミットする。 人間の自由というのは、なんとも奇妙なものだ。サルトルが「アンガージュマン」という概念を通じて私たちに教えてくれるのは、その自由が単なる気まぐれや気分次第ではなく、深い責任を伴うものだということだ。 第二次世界大戦後、フランスの若者たちはサルトルの思想に熱狂した。それは、戦争の惨禍から立ち直ろうとする彼らにとって、自由と行動の倫理が未来への希望を見せたからだ。その自

天皇教と国家神道【きまぐれエッセイ】

明治政府が天皇を神格化したことは、まるで新しい宗教を作り出したかのような出来事だった。この新興宗教は「天皇教」と呼ぶべきではないかと小室先生は指摘する。 戦後の歴史観では「戦前の日本は国家神道だった」としばしば言われるが、実際のところ、天皇教と国家神道はまったく別物。 まず、「天皇教」と呼ばれるものは、明治政府が推し進めた天皇崇拝の徹底した形態。天皇を単なる政治的な指導者ではなく、神聖な存在として国民に信仰させることを目的とした。 天皇の存在は、日本の伝統的な神道の神々と

幻想の自由・見えない権威【きまぐれエッセイ】

「自分は自由だ!」と宣言したとき、果たしてその自由はどこから来るのか、考えたことはあるだろうか? 社会科学者たちは、それが単なる幻想だと言っている。あたしたちは社会的な存在であり、真の意味での個人など存在しない、と。 例えば、あなたが朝起きてコーヒーを飲むのも、誰かがコーヒーの豆を育て、焙煎し、販売してくれたおかげだ。道を歩くとき、赤信号で止まるのも、交通ルールがあるからこそ。そう考えると、自由意志で生きていると思っていた自分の日常も、実は無数の見えない手に導かれていること

傾聴力とは、苦悩する人を支える技術【きまぐれエッセイ】

スピリチュアルペインとは スピリチュアルペインとは、人が人生において経験する深い苦しみや悩みの一つであり、精神的、感情的、宗教的、哲学的な側面に関連する。物理的な痛みや心理的な痛みとは異なり、スピリチュアルペインは人生の意味や目的に対する疑問、存在の意義についての深い問いかけから生じることが多い。 たとえば、重大な病気や死に直面したときに、自分の存在や人生の意義について深く考え始めることがある。これは、信仰や宗教的な信念を持つ人々にとって特に強く感じられる場合があるが、

【大人の観察日記】何気ないクセに隠された本性:日常の仕草が語る個性の世界【きまぐれエッセイ】

ポジティブバージョン 人々が話すときや行動する際に見られる独特な癖や仕草。これらは一見些細なことかもしれないが、その人の個性や心理状態を表していることが多い。以下に、そんな癖や仕草についての考察を述べてみよう。 話しながら自分で「うん」「うん」うなずく人 自己確認と共感のサインだろうか。自分の言葉に対して「うん」とうなずくことで、話の信憑性や自己肯定感を強めているのだろう。また、リズムを取ることで話しやすくなるという一面もあるのかもしれない。この癖を持つ人は、自己対話を

【トランスオリジン】出自に違和感を持つ人々【小江戸フェイクニュース】

あたし、前世は江戸のお姫さまだったから ほんとうは、あたし、東京の裕福な家庭で生まれたかったのよ。優雅なお洋服を着て、庭園を散策し、毎日華やかなパーティで彩芽ちゃんのような、華麗なダンスを披露する夢を見ていた。でも現実はどうだったかって?あたしが生まれたのは、東北の寒村。しかも、百姓の長男として。 あの村は、冬には大雪、家の中まで冷え冷えとして、暖を取るには囲炉裏の火だけ。どこを見ても、田んぼや畑ばかり。隣近所に住んでいるのは、青っ洟たらしたガキどもだけ。泥だらけになって