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宗教の極意【きまぐれエッセイ】

《まこと》さえ、あなたの腹におさまっておれば、あとは《口から出まかせ、やり放題》でよろしいのです。
《まこと》の人の口から出まかせに語る、その語りは《真言まこと

[立花大敬]

立花大敬さんの言葉は、なかなかに深い。いや、深いどころか、底なし沼のように感じられる。というのも、《まこと》さえ腹に据えていれば、あとは何でもありというのだから、これはもう、どこまでも自由な世界が広がっているとしか言いようがない。自由という言葉が軽々しく聞こえるかもしれないが、ここで言う自由は、単なる無秩序や放蕩ではない。もっと根本的で、本質的な自由だ。

「《まこと》さえ、あなたの腹におさまっておれば」とは何か。
あたしの理解するところでは、これは自己の核心にある絶対的な真実を指している。誰もが持つ内なる真実、それが《まこと》だ。それを見つけ、それを信じ、それを貫くことができれば、あとは口から出るに任せておけば、その言葉には真実の力が宿るのだ。

例えば、街中の噂話や、職場での会話、友人とのお喋り、どれもが《まこと》を持たないと、ただの空虚な音になりがちだ。しかし、一度《まこと》を掴むと、それはたとえ冗談や戯言であっても、人々の心に響く。《まこと》を持つ者の言葉は、それ自体が《真言まこと》となるのだから。

これは一種の逆説かもしれない。人は往々にして「正しいことを言わなければならない」「誠実でなければならない」と考えるが、それは外面的なものに過ぎない。腹に据えた《まこと》があれば、言葉や行動は自然に《真言まこと》となる。立花大敬のこの言葉は、そんな逆説的な真理を教えてくれているのだ。

また、この考え方は他者との関係にも影響を与える。人との接し方においても、自分の内に《まこと》を持っているかどうかが鍵になる。《まこと》があれば、他者との対話も自然に心を通わせるものとなるだろう。表面上の言葉や態度ではなく、その奥にあるものが大切なのだ。

こう考えると、あたしも今一度、自分の腹に《まこと》があるかどうかを問い直してみたくなる。《まこと》を掴み、それを腹に据えて生きることができれば、どんな困難な状況でも、道は自然に開けてくるのかもしれない。


#川越つばさの気まぐれエッセイ #エッセイ

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