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オーストラリアのブリスベン在住。公立小学校で日本語教師。日本やオーストラリアや世界の子…

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オーストラリアのブリスベン在住。公立小学校で日本語教師。日本やオーストラリアや世界の子どもたちと「言葉あそび」をしながら、楽しい世界を創っていきたい人。寅さん、スタートレック、哲学、映画、だじゃれが好き。

最近の記事

あなたの「大いなる正午」はいつでしたか?

はじめに みなさん、こんにちは。今日は、哲学者フリードリヒ・ニーチェが提唱した「大いなる正午」という概念について、できるだけわかりやすく解説していきたいと思います。 「大いなる正午」とは? ニーチェの言う「大いなる正午」とは、人間が最高の自己実現を達成する瞬間のことを指します。これは、私たちが社会の常識や固定観念から解放され、真の自分自身と向き合える瞬間なのです。 例で考えてみよう この概念を理解するために、次のような状況での例を考えてみましょう。 例1:社会的期待と

    • 他者を人間と思えない時ってありますか?

      はじめに私たちの日常生活において、他者をどのように見るかという問題は、想像以上に重要な意味を持っています。単なる物体として扱うのか、それとも一人の人間として接するのか。この視点の違いは、私たちの行動や社会のあり方に大きな影響を与えているのです。 WHO vs WHAT:二つの人間観他者を見る時、私たちには二つの見方があります。一つは、WHO(誰)として見る方法です。これは、一人の人間として、その人の個性や背景、感情を考慮に入れる見方です。もう一つは、W

      • 相手を理解できないことは悪なのか?

        はじめに:相互理解の神話 私たちの多くは、どんな場面でもお互いを理解し合い、協力しなければならないという考えに囚われているかもしれません。しかし、この考えは本当に正しいのでしょうか?実は、人間関係における「理解」というものは、私たちが思っているよりもずっと複雑なのです。 完全な理解の不可能性 実際には、個人の意識が他者に完全に届くことはなく、相手を100%理解することは不可能です。そのため、常に理解し合うことが善で、理解し合えないことが絶対的な悪だとは言えません。この認

        • 超人•ニーチェと志士•吉田松陰の思想的交差点

          はじめに 西洋の哲学者フリードリヒ・ニーチェと日本の思想家吉田松陰。時代も文化も異なる二人ですが、その思想には興味深い共通点が見られます。今回は、この二人の思想家の接点を探ってみましょう。 1. 運命への愛:人生を肯定的に捉える姿勢 ニーチェは「運命愛」(amor fati)という概念を提唱しました。これは、人生のあらゆる出来事を、良いも悪いも含めて肯定的に受け入れるという考え方です。 > 「必然的なものを美しいと感じるまでになること―これが運命愛である

        あなたの「大いなる正午」はいつでしたか?

          自分とか、あるから?!

          はじめに近年、東洋思想の影響を受けた「全ては繋がっている」「自分はない」といった世界観が注目を集めています。確かに、これらの考え方は私たちに新たな視点を与えてくれます。しかし、これを極端に推し進めると、現実世界との齟齬が生じる可能性があります。今回は、「自分」の存在を肯定的に捉えながら、この世界観について考えてみましょう。 1. つながりの中の個性「全ては繋がっている」という考えは、世界の相互依存性を理解する上で重要です。しかし、それぞれの存在の独自性を無視してはいけません

          自分とか、あるから?!

          人間なら動物にはないこの力を磨くべし

          はじめに 私たちの日常生活の中で、「本質直観」という能力がいかに重要であるかを、ある朝の出来事から考えさせられました。この記事では、本質直観の概念、その人間特有の能力としての側面、そして私たちの生活や社会にどのような影響を与えているかについて探っていきます。 本質直観とは何か 本質直観とは、物事の本質を瞬時に直観する能力のことです。簡単に言えば、目の前にあるものが何であるかを即座に把握することです。例えば: - りんごを見たとき、それが「りんご」であると即座に認

          人間なら動物にはないこの力を磨くべし

          そんな使命を持つくらいなら、人間をやめたい

          はじめに 最近、ある学習会に参加した際のことです。参加者の一人が「私たちは誰でも生まれる前から生きる目的や使命がある。その使命に沿って生きることが幸せなことである」と述べました。10年前の私なら、この意見に大いに賛同し、自分の使命について熱く語り合っていたかもしれません。しかし、哲学を学ぶ者として、この発言には様々な問題が含まれていると感じました。今回は、この私のモヤモヤを言語化してみたいと思います。 1. 自由意志との矛盾 この「人間には使命がある」という考え方は、

          そんな使命を持つくらいなら、人間をやめたい

          あなたは「Tom has a pen」を翻訳できますか?

          はじめに私たちは日々、様々な形で「翻訳」を行っています。外国語を日本語に訳すだけでなく、相手の言葉を理解しようとする時も、実は一種の翻訳を行っているのです。しかし、この「翻訳」という行為、本当に相手の意図を正確に伝えられているでしょうか? 単純な言語置換では足りない 例えば、「Tom has a pen」という英文を「トムはペンを持っています」と訳すのは、確かに文法的には正しいでしょう。しかし、これで本当にトムの状況や意図を理解したと言えるでしょうか? 現代社会では、人々

          あなたは「Tom has a pen」を翻訳できますか?

          U理論って何をUの?

          ❤️久々にU理論のコミュニティーに参加してきた。 ❤️やはりこのコメディーのチームワークは最高だ。一人一人が自分の持ち場をしっかりこなしている。しかも単にマニュアルに沿ったやり方ではなく、その場から立ち上がってくるものを大事にする姿勢が見られた。 ❤️私は今、現在西田幾多郎の「純粋経験」に非常に興味がある。しかし哲学的には証明不可能なファンタジー的な側面があり、哲学的に純粋経験を深める事は難しいことがわかってきた。そこで思考や言語の以前の段階は使うU理論のコミュニティーの

          U理論って何をUの?

          純粋経験を問いなおす - 純粋経験よりも確かなこととは?

          はじめに 私が初めて西田幾多郎の純粋経験を学んだ時、何度か目頭が熱くなりました。すなわち、純粋経験とは思考や言語が生まれる前の主客合一の段階であり、人類は全てこの段階の経験をしており、私はここを共通の基盤にして、あるいはよりどころにして私たちは共通理解を作り上げていけるんだと感じて感動したのです。 特に目の前で日本の生徒とオーストラリアの生徒がお互いの言語を超えて楽しく遊んでいる様子を見ると、これが純粋経験に違いないと思って涙を流したこともありました。 しかし、

          純粋経験を問いなおす - 純粋経験よりも確かなこととは?

          言葉を超えた世界:西田幾多郎の"純粋経験"が暴く人間の隠された本質

          今日は、日本の著名な哲学者、西田幾多郎が提唱した「純粋経験」という概念について深く掘り下げてみたいと思います。この概念は、人間の思考や言語以前の体験を表すもので、現代哲学において興味深い議論を呼んでいます。 純粋経験とは何か? 西田幾多郎によれば、純粋経験とは、人間が思考や言語を介在させる以前の、直接的な体験のことを指します。これは、私たちの日常的な意識よりも深い層にある体験であり、主観と客観の区別がない状態とも言えます。 この概念は、スイスの精神分析学者カ

          言葉を超えた世界:西田幾多郎の"純粋経験"が暴く人間の隠された本質

          存在は消えない - ハイデガー哲学の拡張による亡き父との新たな対話

          1. 喪失と継続する対話 多くの人は、愛する人を失った時、「もう二度と会えない」「話ができない」という思いに苛まれ、深い悲しみを感じます。しかし、ハイデガーの哲学を拡張して考えると、私たちは実は様々な形で亡くなった人々とのコミュニケーションを続けており、彼らの存在に新たな意味を付与し続けていることに気づきます。これは、スピリチュアルや宗教的な話ではなく、私たちの日常生活に根ざした実践的な哲学的視点なのです。 2. ハイデガーの時間性と存在の理解 ハイデガーは、人間の

          存在は消えない - ハイデガー哲学の拡張による亡き父との新たな対話

          いやーむちゃかもしれんけど、ハイデガー哲学を物語で学んでみた!

          待望の飲茶さんの新刊「明日死ぬ幸福の王子」の読書会に参加してきました! 飲茶さんご本人も参加された貴重な時間に、私が学んだこと、感じたことを、五七五を交えてシェアさせていただきたいと思います。 ❤️それにしても、ハイデガーの「存在」の理解は難しいですね。以前私はスピリチュアルな文脈で「存在」をBeingとして学んだことがあるのですが、そうした「大いなる存在」が、私たち一人ひとりの「小さな存在」に呼びかけており、それに私たちが答えるみたいなニュアンスで擬人化して捉えていたこと

          いやーむちゃかもしれんけど、ハイデガー哲学を物語で学んでみた!

          社会の価値観に縛られるな:ニーチェとハイデガーに学ぶ、イキイキした生き方

          1. 現代人の悩み:人生をもっと充実させたい 多くの人が「どうすれば人生をもっとワクワクして、生き生きと過ごせるだろうか」と考えています。特に、閉塞感が増している現代社会では、この悩みを持つ人が多いのではないでしょうか。日々の仕事に疲れ果てているサラリーマン、将来の方向性に悩む学生、退職後の生きがいを模索するシニア世代など、様々な立場の人々がこの問いと向き合っています。 2. 自己啓発の限界:お金だけが答えではない 多くの自己啓発本は「経済的自由を得れば幸せになれる」

          社会の価値観に縛られるな:ニーチェとハイデガーに学ぶ、イキイキした生き方

          わかり合えなくていい:演じることで超える人間関係の壁

          はじめに 人間は本来、「演じる生き物」です。この一見単純な事実は、私たちの教育のあり方、社会生活、そして人間関係の本質に対する理解を根本から変える可能性を秘めています。本稿では、この「演じる生き物」としての人間の本質を出発点として、現代日本社会が直面する課題、教育の未来、そして相互理解の新たな可能性について探究します。 1. 人間:生まれながらの役者 演じることは人間の本質 人類の進化の過程において、様々な状況に適応し、異なる役割を演じる能力は生

          わかり合えなくていい:演じることで超える人間関係の壁

          「日本の『末人(まつじん)』問題とは?私たちが見過ごしている現代社会の影」

          ニーチェの予言と現代の日本 哲学者ニーチェは、20世紀と21世紀の世界が「ニヒリズム(何の意味もない、虚無的な考え方)」の影響を受け、多くの「末人(まつじん)」が現れると予言しました。それから約100年以上が経った今、私たちは「末人」と呼ばれる人々が実際に存在していることを感じています。ここでいう「末人」とは、快適さや安心だけを求め、冒険や挑戦を避け、憧れや目標を持たない人たちのことです。現代の日本社会を見てみると、「引きこもり」や「セルフネグレクト(自己放任)」の問題が、

          「日本の『末人(まつじん)』問題とは?私たちが見過ごしている現代社会の影」