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スピノザ哲学や文学、科学、歴史ど、読書を愛するサラリーマンです。noteではスピノザ関連の記事、書評やエッセイ 自作の創作などをアップします。哲学、文学、その他学術、映画、格闘技など、自分が好きなものついて取り扱います。

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『スピノザ考:人間ならざる思考へ(上野修著)』スピノザ関連書籍の紹介#4

  スピノザにおける「リアルタイムの永遠」について  スピノザ研究の泰斗、上野修先生のこれまでの研究・論考の軌跡がわかる、われわれが待望していた、かつ渾身の1冊である。内容がとにかく濃い。そして、ヘビーである。読む者は覚悟をしなければならない。  しかし、それは難解で重厚という意味合いではない。上野先生の論調は、読者へのわかり易さというのを常に意識されているので、読み易くはあるのだが、スピノザが考えていたこと、スピノザ思想に秘められているもの、それを上野先生が鮮やかに解

    • 『人は隔たりのただ中で一致する』 : スピノザ研究者、上野修の言葉たち

        上野修先生は、スピノザ研究の泰斗である。 現在、スピノザ全集(岩波書店)の翻訳、編集にあたっていて、スピノザ協会の代表でもある。 『スピノザ考』を最近刊行し、代表作としては『精神の眼は論証そのもの―デカルト、ホッブズ、スピノザ』が挙げられる。 『スピノザ考』については以下のような記事を書かせて頂いた。 上野先生の著作および、著作の中の各章のタイトルは、スピノザの一節からとっているのだろうが、ものすごく詩的なタイトルなのである。 上記の『精神の眼は論証そのもの』も

      • スピノザに言及する哲学者たち・その4エトムント・フッサール

         現象学の提唱者、エトムント・フッサールは、スピノザと並べて語られることが、きわめて少ない哲学者の一人であろう。  論文単位では探せばあるのだろうが、著作として読めるのは、私の知る限り、『自然の現象学:時間・空間の論理』(中敬夫著)のみである。  タイトル通り、主要テーマは「現象学」そのものであるのだが、そのうちの一章として、スピノザとフッサールの比較が論じられている。 フッサールについては以下に記しておく。  現象学とは、フッサールの「事象そのものへ」という言葉にあ

        • 私たちの世界は弱肉強食の世界なのか『理不尽な進化:遺伝子と運のあいだ』を読んでの雑記

           自然界は弱肉強食である。食物連鎖の頂点に君臨するものが、進化した生命体、人間であり、この熾烈な競争社会をその知性によりサバイブしてきた。ずっとそう思い込んでいた。学校でもそのように習ったのかは、記憶が定かではない。だが、確実に、脳に刷り込まれている。いろんなところで、耳にし、目にしてきたのだろう。  稀代の読書家であり、文筆家の吉川浩満氏による『理不尽な進化:遺伝子と運のあいだ』の序章でも、著者は以下のように言う。  進化論といえば、チャールズ・ダーウィンが提唱したもの

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        『スピノザ考:人間ならざる思考へ(上野修著)』スピノザ関連書籍の紹介#4

        • 『人は隔たりのただ中で一致する』 : スピノザ研究者、上野修の言葉たち

        • スピノザに言及する哲学者たち・その4エトムント・フッサール

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          赤坂見附ブルーマンデー 第11話:突入! 負のスパイラル

           年が越えると、夏になるのはあっという間だった。  寒すぎて、家に出ることさえためらわれた冬は瞬く間に過ぎ去り、今はもう汗だくになったワイシャツの気持ち悪さに辟易している。クールビズという概念が出てきてはいるものの、まだまだイベントのような業界では、礼儀や形式が重要視される。どんなに酷暑の日でも、スーツ着用は当たり前だし、社内はともかく客との打ち合わせではネクタイも必須である。  九月には、イベント業界最大の催しの一つである、東京ザ・ゲームショーを控えていた。コンピュータ

          赤坂見附ブルーマンデー 第11話:突入! 負のスパイラル

          読書とはスポーツである 私の読書計画

          読書とはスポーツである。  半分はあくまで比喩として、残り半分は本気でそう思っている。  まずは、「スポーツ」の定義を引っ張ってみたい。  ラテン語本来の意味でいくと、「気分を転じさせる」「気を晴らす」というのは驚きだ。心身の健康を目的にしていること、気分転換を、スポーツとするならば、読書もまた十分、この定義の範囲内であろう。  すると、こういう反応があるかもしれない。読書は心の気分転換、心の鍛錬はできるかもしれないが、「身体は鍛えられない」と。  読書では身体

          読書とはスポーツである 私の読書計画

          「スピノザ哲学」への誘い 

           こんにちは。Guttiです。本日は、私が愛してやまない哲学者、スピノザについて、少しライトな感じで紹介していきたいと思います。いつも私の記事を読んでくださる方は、またスピノザかと、どうか思わないでくださいね(笑)  私が「哲学」について書けるネタといえば、これくらいしかないためです。研究者でも専門家でもなんでもありませんが、好きすぎるあまり、蔵書がスピノザ関連で埋め尽くされているくらいです。  夏川草介さんの小説『スピノザの診療室』の大ヒットにより、その名を知ったと

          「スピノザ哲学」への誘い 

          ギャング映画考:家族主義かウルトラ個人主義か、変容するマフィアの描かれ方

          愛すべきギャング映画たち    私はアウトローを描いたギャング映画、マフィアものには目がない。食指が動かされるというか、無条件で飛びついてしまうジャンルなのである。これは私に限らず、賛同してくれる世の男性は多いと思う。組織同士の覇権争い、その中で勝ち抜く強さ、タフさ。あるいは一般社会のルールをはみ出していく破天荒さ、自由奔放な振る舞いへの憧れ、というものが、きっと本能レベルで存在しているのだ。  これらは、暴力や武力的な争いというものが禁じられている現代社会において、とり

          ギャング映画考:家族主義かウルトラ個人主義か、変容するマフィアの描かれ方

          十字路と悪魔のブルース〜田園と憂鬱な30歳の迷い道〜

           実家の目の前は、一帯が田園になっていて、その田園を貫く一本の舗道がある。この一本道を五百メートルほどまっすぐに進み、田園を渡り切ったところに、私が通っていた小学校はあった。  その小学校を囲むようにして、昭和のバブル期に建てられたというモンスター団地群が広がっている。約一万戸の住宅戸数を誇っていて、ピーク時には二万人が住んでいたということだ。  私の地元であるM市の人口が、六万人くらいだったというのだから、実に市民の三分の一がこの団地に集結していたことになる。  その

          十字路と悪魔のブルース〜田園と憂鬱な30歳の迷い道〜

          あの言葉を手繰り寄せる#1「芸術のことは自分に従う」小津安二郎

           読んだ時にはいたく気に入り、深く響いた言葉だというのに、メモをとることを怠ってしまったばかりに、ふとした瞬間に脳裏をよぎるのだが、一体誰の言葉だったかと考えあぐねてしまい、喉に引っかかった魚の骨みたいに、もどかしい思いを募らせてしまうということがよくある。  歳をとってから、なおさらその傾向は強くなり、もはやネット検索とAIチャットボットが手放せなくなってしまっている自分の現状を嘆きながらも、なんとかその記憶を手繰り寄せ、改めて目にすることとなった言葉たちとの再会は、ひと

          あの言葉を手繰り寄せる#1「芸術のことは自分に従う」小津安二郎

          本の街、神保町のこと

           昔から、書店めぐりが好きである。Amazonで本を購入するということが当たり前になってしまった今でも、月に何度かは街の書店に行くことを習慣としている。ネットでの購入は、あらかじめ、自分の中で既に買うと決めているものを買うことが多いが、書店においては偶発的な出会いが多い。  こんな本があるのかという出会いから、何気なく手にとった本をめくってみて、こんなことが書かれていたのか、という発見まで、書店には、ネットではたどり着くことができない情報、というよりは「体験」がある。  

          本の街、神保町のこと

          自己紹介的な、あまりに自己紹介的な

           こんにちは。Guttiと申します。自己紹介的な記事をあげていなかったので、改めて自己紹介をさせて頂きます。  1978年生まれ、読書と書くことがライフワークのサラリーマンです。じつは小学生の頃から、noteをやっていました。  というのは冗談ですが(笑)、書くことは昔から好きでした。同時に本を読むことが好きです。読書は、だいたい、月で8冊くらい。年間100冊読むことを毎年のライフ計画にしていて、今のところ継続できています。私にとって「読むこと」は、「書くこと」と切り離す

          自己紹介的な、あまりに自己紹介的な

          スピノザに言及する哲学者たち・その3マルティン・ハイデガー

           マルクス・ガブリエルの発言により、どうやらX(旧Twitter)ではハイデガーがトピックに入っているようだ。  それについて、私はここでは言及しないが、ハイデガーという哲学者は、あれだけの大哲学者であるにも関わらず、スピノザに対しては沈黙をしていた、ということでも有名である。  それは哲学史上における一つの<謎>になっているのだが、ジャック・デリダがそのことについて、ハイデガーによる「スピノザの排除」というやや過激めな表現で触れている本があるので、関心がある方は『主体の

          スピノザに言及する哲学者たち・その3マルティン・ハイデガー

          赤坂見附ブルーマンデー 第10話:幕張メッセ、大混乱

           ステージを進行するチームと、会場外で誘導するチームが交わすトランシーバーのやり取りも騒がしくなってくる。 「田村です。スペシャルステージ開始四十分前。各自、状況報告ください」 「恵です。現在、三〇〇名程度の来場者が待機中です。どうぞ」 「高山です。ステージリハは完了しています。あとはゲストを待つのみ。オープンはいつでも大丈夫です」 「桜庭です。シークレットゲストの二階堂彩夢さんですが、あと十分ほどで会場入りするそうです。現在、アパホテルを車で出たようです。どうぞ」

          赤坂見附ブルーマンデー 第10話:幕張メッセ、大混乱

          AIか人間か、あるいは身体と感情の哲学、スピノザをめぐっての雑考

          AIか人間か  AIという新たな知性の台頭により、AIと人間を分け隔てるもの、差異は何かという議論が頻繁に行われるようになった。とりわけ、AIと人間の違いを強調するうえで、よく持ち出されるのは「感情」あるいは「意識」と「身体」の問題ではないだろうか。  しかし人類はこれまで、知性あるいは理性(論理的能力)こそが人間を人間たらしめる能力であり、人間にしか持つことができないものなのだと信じてきた。だが、そんな人間の特権である知性や理性を脅かす存在としてAIのような人工知能

          AIか人間か、あるいは身体と感情の哲学、スピノザをめぐっての雑考

          赤坂見附ブルーマンデー 第9話:アニメファン熱狂の祭典

           田村の異動は年明けからということだった。  その田村にとっての、宮戸チーム最後の仕事が、年末に行われるビッグイベント、『アニメ・ファンタジーフェスタ』だった。  アニメ・ファンタジーフェスタ、略称「アニファン」が開催されるのは、イベントの聖地幕張メッセだ。    アニファンは国内人気アニメの人気声優が、ファンサービスとしてステージに登場したり、その場でしか手に入らないアニメグッズなどが販売されたりなど、全国のアニメファンが一堂に会する祭典である。    田村はずっとこの

          赤坂見附ブルーマンデー 第9話:アニメファン熱狂の祭典