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スピノザにおける「リアルタイムの永遠」について スピノザ研究の泰斗、上野修先生のこれまでの研究・論考の軌跡がわかる、われわれが待望していた、かつ渾身の1冊である。内容がとにかく濃い。そして、ヘビーである。読む者は覚悟をしなければならない。 しかし、それは難解で重厚という意味合いではない。上野先生の論調は、読者へのわかり易さというのを常に意識されているので、読み易くはあるのだが、スピノザが考えていたこと、スピノザ思想に秘められているもの、それを上野先生が鮮やかに解
スピノザは「神即ち自然」を提唱することにより、当時のキリスト教会を憤怒させた。聖書批判の書としても名高い『神学・政治論』は、匿名で出版したものの、すぐにスピノザが書いたものであることがばれてしまい、発禁処分を受けることになる。スピノザは、キリスト教における神を冒涜したとして、「無神論者」のレッテルを貼られることとなり、以後、18世紀のドイツ観念論において「再発見」されるまで、学界においては総スカンをくらうという扱いであった。今でいう「タブー」というやつだ。それで、どうし
『政治論』(邦題『国家論』)が書かれた背景 前回、スピノザが考える国家の目的については、以下であることをお伝えした。 ――国家において最善なるもの、かつ国家の目的とは、生活の「平和」と「安全」に他ならない 『政治論』を書くまで、スピノザは国家の目的を「自由」においていた。 自由が目的であるということ自体は、『政治論』においても変わってはいないと思われるが、それよりも「平和」「安全」が強調される。 この背景には、じつはスピノザが生きていた時代に起きた、ある事
とりあえずの序章 スピノザ。「自由なる哲学」、「力の存在論」として、『エチカ(倫理学)』こそが有名だが、スピノザ思想の神髄は、『エチカ』だけではない。 スピノザは哲学者としてその名を知られているが、同時に政治思想における先駆者としても、定着しつつある。そのことについては、以前にも以下のような記事を書いた。 アメリカの政治哲学者として著名なレオ・シュトラウスによれば、スピノザは、「最初のリベラルデモクラシーを唱えた人物」(『政治哲学とは何か』)ともされる。 『エ
7月に入ってから、心身が削られるような暑さが続いている。暑いというよりは、もはや熱い、痛い。 熱風式で身体の細胞が焙煎され、搾りカスのようになってしまいそうだ。 仕事で、外回りをしていると、特にそのことを感じる。 オフィスに戻って涼んだのち、しばらくして帰宅しようと思ったら、エレベーター前ですれ違った同僚に、「グッチさん疲れていますね」と言われた。 自分ではそのつもりはなかったのだが、やはり体力も気力も消耗しているのだろうか。 そんな時に、たまたま読ん
オランダには、「スピノザ賞」(オランダ語: Spinozapremie)という、科学技術の賞があるらしい。 バールーフ・デ・スピノザにちなんで創設されたもので、賞金はなんと、250万ユーロ!で、毎年4名以内に授与されるとのこと。日本だと、このあたりの情報はほとんど出回っておらず、遠いアジア圏にいるわれわれには、ちょっとぴんと来ないのだが、ノーベル賞のように、権威あるものと思われる。 なぜ、スピノザという「哲学者」が科学と関係あるのか、という疑問があるかもしれない。確かに
Guttiです。noteをはじめて、ようやく6か月が経ちました。その間、私が書き続けてきたスピノザに関連する記事が、合計24本と、それなりの数になってきましたので、まとめて紹介したいと思い、一覧にしてみました。マガジンにもしていますので、よろしければ、フォローください! いつも読んで頂ける方、スキをして頂ける方、本当にありがとうございます! まだまだ、note初心者の新参者ですが、書き始めの頃に比べ、少しづつスキの数やビューが増えていることが、こうやって一覧にしてみると
上野修先生は、スピノザ研究の泰斗である。 現在、スピノザ全集(岩波書店)の翻訳、編集にあたっていて、スピノザ協会の代表でもある。 『スピノザ考』を最近刊行し、代表作としては『精神の眼は論証そのもの―デカルト、ホッブズ、スピノザ』が挙げられる。 『スピノザ考』については以下のような記事を書かせて頂いた。 上野先生の著作および、著作の中の各章のタイトルは、スピノザの一節からとっているのだろうが、ものすごく詩的なタイトルなのである。 上記の『精神の眼は論証そのもの』も
現象学の提唱者、エトムント・フッサールは、スピノザと並べて語られることが、きわめて少ない哲学者の一人であろう。 論文単位では探せばあるのだろうが、著作として読めるのは、私の知る限り、『自然の現象学:時間・空間の論理』(中敬夫著)のみである。 タイトル通り、主要テーマは「現象学」そのものであるのだが、そのうちの一章として、スピノザとフッサールの比較が論じられている。 フッサールについては以下に記しておく。 現象学とは、フッサールの「事象そのものへ」という言葉にあ
こんにちは。Guttiです。本日は、私が愛してやまない哲学者、スピノザについて、少しライトな感じで紹介していきたいと思います。いつも私の記事を読んでくださる方は、またスピノザかと、どうか思わないでくださいね(笑) 私が「哲学」について書けるネタといえば、これくらいしかないためです。研究者でも専門家でもなんでもありませんが、好きすぎるあまり、蔵書がスピノザ関連で埋め尽くされているくらいです。 夏川草介さんの小説『スピノザの診療室』の大ヒットにより、その名を知ったと
マルクス・ガブリエルの発言により、どうやらX(旧Twitter)ではハイデガーがトピックに入っているようだ。 それについて、私はここでは言及しないが、ハイデガーという哲学者は、あれだけの大哲学者であるにも関わらず、スピノザに対しては沈黙をしていた、ということでも有名である。 それは哲学史上における一つの<謎>になっているのだが、ジャック・デリダがそのことについて、ハイデガーによる「スピノザの排除」というやや過激めな表現で触れている本があるので、関心がある方は『主体の
私のコレクションは何かと考えた時、やはりこれだろうな、ということでスピノザ関連書籍。 バルーフ・デ・スピノザは、17世紀、オランダの哲学者。昨今はスピノザが日本においてもひそかなブームとなっていますが、私自身はスピノザの影響をうけてからはや26年。その間に、さまざまな関連書籍を買ってきました。 どれくらいあるのだろうと、ざっと数えてみたら300冊くらいありました(苦笑)。 中には絶版のものもあり、それらは古書で高値で取引されているので、購入にはそれなりにお金
AIか人間か AIという新たな知性の台頭により、AIと人間を分け隔てるもの、差異は何かという議論が頻繁に行われるようになった。とりわけ、AIと人間の違いを強調するうえで、よく持ち出されるのは「感情」あるいは「意識」と「身体」の問題ではないだろうか。 しかし人類はこれまで、知性あるいは理性(論理的能力)こそが人間を人間たらしめる能力であり、人間にしか持つことができないものなのだと信じてきた。だが、そんな人間の特権である知性や理性を脅かす存在としてAIのような人工知能
●スピノザという哲学者 バルーフ・デ・スピノザは、17世紀、オランダの哲学者である。教科書通りの説明をすれば、デカルト、ライプニッツと並ぶ17世紀の近世合理主義哲学者として知られ、その哲学体系は代表的な汎神論と考えられてきた。また、カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルらドイツ観念論やマルクスにも影響を与えている。 最新の研究によれば、スピノザの影響はドイツ観念論のみならず、ヒューム、ロックといったイギリス経験論、モンテスキューやディドロ、そしてルソーといったフラ