見出し画像

「スピノザ哲学」への誘い 



 こんにちは。Guttiです。本日は、私が愛してやまない哲学者、スピノザについて、少しライトな感じで紹介していきたいと思います。いつも私の記事を読んでくださる方は、またスピノザかと、どうか思わないでくださいね(笑)

 私が「哲学」について書けるネタといえば、これくらいしかないためです。研究者でも専門家でもなんでもありませんが、好きすぎるあまり、蔵書がスピノザ関連で埋め尽くされているくらいです。

 夏川草介さんの小説『スピノザの診療室』の大ヒットにより、その名を知ったという方も多いのではないでしょうか。それで、スピノザをいざ読んでみようと思って、岩波文庫の『エチカ』を手にとった瞬間、「うわー、なんじゃこれ」となってしまう方も多いのではないかと思われます。

 以前『エアレボリューション』という番組で、國分功一郎先生が「スピノザ」の回に出ており、私も興味があって視聴していたのですが、視聴者コメントに、「なんじゃこりゃー」「難解な数学の方程式みたい」「頭に入ってこない」という反応が多くあり、スピノザファンとしては、ちょっと残念といいますか、まだまだ認知されていない、警戒されているのだな、という悔しい思いをしました。

 で、今回はちょっと趣きを変えて、これからスピノザを読んでみたい、知ってみたい、あるいは、サマリでよいからかじるだけかじってみたい、という方のために、おすすめの入門書となるような本の紹介、スピノザ哲学を知るうえでの、イントロダクション的なものを書いていきたいと思います。

 そんなものは、ネットに溢れているからいいよ! という方もいらっしゃると思います。ですが、ちょっと、こいつの書いていることを覗いてみようかと思って頂ける方は、このまま読み進めてもらえますと幸いです。


スピノザの著作をおさらい

 
 まずは、スピノザ自身の著作をおさらいしておきたいと思います。スピノザは短命だったということもあり、他の哲学者に比べ、著作自体は少ないです。岩波書店の『スピノザ全集』に、全著作の情報がいったんあります。刊行はこれからのものもありますが、画期的ななのは、これまでずっと未邦訳であった『ヘブライ語文法綱要』も、全集の中には含まれているとのことです。


 スピノザ自身の著作は、じつはあらゆる領域にまたがっています。代表作『エチカ』は倫理学と呼ばれますが、このテクストの中には、現代における脳科学や精神分析における最先端の知見がすでに取り込まれていたりします。

 なので、心理学者や医学者などが、驚きのあまりに、こぞってスピノザを語り出しはじめたように見受けられます。今度、精神科医によるスピノザ本が、新しく出るようです。

『神、そして人間とその幸福についての短論文』(以下『短論文』)は、『エチカ』の前進ともいうべき作品でしょう。この著作の中に、すでに『エチカ』の哲学体系の根幹をなす思想の萌芽がみられ、この書も『エチカ』同様の領域にカテゴライズされると思います。

 面白いのは、この書では、『エチカ』では一切出てこなかった「悪魔について」という章が『短論文』ではみることができます。

『デカルトの哲学原理』『形而上学的思想』は文字通り、哲学、形而上学です。『知性改善論』も哲学という括りになると思いますが、『神学・政治論』なんかは、政治哲学でもあり、最初の聖書批判としての文献学とも言われています。

『政治論(旧題:国家論)』は文字通り政治哲学になります。その他、日本語訳はまだありませんが『ヘブライ語文法綱要』は、これも文字通りヘブライ語の文法解説で、語学ともいえるわけです。

 國分先生もどこかで言っていましたが、スピノザがもし長生きしていたら、『エチカ』の延長で、『物理学』とか『医学』『論理学』なんかを書いていたかもしれません。それくらいスピノザの知識は、当時のオランダで一級品でした。スピノザと会話するため、当時の知識人や政治家たちの訪問があとをたたなかったほどです。

 あの天才ライプニッツでさえ、スピノザに会いたくて会いたくて、なんとかアポをとりつけ、邂逅を実現するのですが、スピノザにあしらわれたという、思わずクスっとしたくなるエピソードを残しています。スピノザの博識っぷりと、彼独自の思想は『往復書簡集』で知ることができます。ライプニッツとの書簡も残っています。

まずはスピノザの生きた時代、人となりを知る

 
 私が哲学者の著作を読むとき、いきなりは向かいません。まずは、入門書的なものを読むか、その哲学者が生きた時代背景、歴史を把握しようとします。スピノザも同じで、やはりなぜ『エチカ』のような本が書かれたのか、それが哲学史的にどのような位置づけにあり、意義を持っているのか、それを知ったうえで、実際の著作に向かう方が、理解が違うと思われます。

 そして、それをできるだけコンパクトに、かつ、ネット情報よりも濃く深い形で知りたいという方のために、まずは清水書院から出ている『人と思想』シリーズのスピノザの巻をお勧めします。著者はスピノザ研究の大御所、工藤喜作先生(故人)です。

『人と思想58 スピノザ』(工藤喜作)

一七世紀のヨーロッパにおいて最も繁栄し、信仰において最も自由で、寛容な国と見なされていたオランダ。スピノザはこのオランダにユダヤ人として生まれたが、聖書研究によってユダヤ教に批判的となり、ついには教団から破門される。その後、いかなる教会・宗派にも親しまず、自由な哲学者として独自の道を歩む。人間の自由、それは社会的には言論・思想の自由、市民の自由であり、哲学的には人間の救済を意味した。この時代に、自由を哲学的思索の全面に展開し、倫理・宗教的深みに達したのは彼のみである。

本書帯文より

 スピノザという人とその思想の要約は、この帯文にだいぶ詰まっています(笑)

 本書の構成も、「スピノザの時代」「スピノザの生涯」「スピノザの思想」と、十七世紀オランダの歴史背景、そこでユダヤ人として生まれたスピノザの幼年期から晩年までを綴った伝記、スピノザの主要概念である「神」「精神」「感情」「隷従」「自由」「宗教と政治」が概略的に紹介されていて、とてもわかりやすいです。

 スピノザ哲学が、後世にどのような影響を与えていたか、という文章で締め括られており、スピノザが生きた時代、人となり、思想のコア部分の要約を、一気に把握することができます。

 私も工藤喜作先生のこのガイドブックにより、十七世紀オランダがどういう政治情勢にあり、宗教と文化はどうあったか、その中で「ユダヤ人」のコミュニティはどのようにあったのか、スピノザはどんな少年だったのか、どうしてユダヤ人コミュニティを「破門」させられてしまったのか、などの理解を深めました。

 ちなみに、十七世紀オランダで、スピノザの同時代人である知識人、文化人はたくさんいました。国際法の父であるグロティウス、自然科学を代表する人物としてはホイヘンス、歴史上はじめて顕微鏡により微生物を観察し、「微生物学の父」と呼ばれたレーウェンフック、理科の教科書にも出てくる、ボイルなんかは、書簡でスピノザにけちょんけちょんにされていたりします。

 地層を研究していたニコラウス・ステノは、のちにカトリックの聖職者になり、スピノザの『エチカ』写本を教会で隠し持っていて、それがつい最近バチカンで発見された、という逸話の持ち主で有名です。

 芸術方面では、画家のレンブラント、フェルメール。フェルメールとスピノザの逸話も有名です。
 
 スピノザは、レンズ磨きで生計を立てていたことでも知られますが、自然の光のもとに真理を見ようとしていたスピノザと、光の画家とも呼ばれるフェルメール、顕微鏡で事物の細部をみようとしたレーウェンフックには、明らかなかな共通点があります。

 それが、近代の夜明けともいわれる、十七世紀オランダの、知的雰囲気だったのでしょう。

スピノザ思想の前後関係を知る


 さて、そんなスピノザの人となりを知ったら、今度は、彼の哲学史的な位置づけ、他の哲学者との差異、比較を、ある程度知っておくことをお勧めします。その方が、スピノザ哲学の理解が深まるというのは、私自身の経験上からくるものです。

 上記にも書きましたように、スピノザ哲学は、そのカバー領域が多義に渡っています。大きく分けると四つの側面と、広がりがあると私は考えます。(※以下は私の考える勝手な分類です。研究上どういわれているのかは、特に定まってはいないと思います)。

⑴ 哲学、倫理学
⑵ 政治哲学、法学
⑶ 科学、精神分析学、心理学
⑷ 文献学、言語学

 このうち、主流な研究、メインストリームは、⑴と⑵になってくるのですが、⑴と⑵によって、スピノザに関連する登場人物が変わってきます。

⑴ 哲学、倫理学 → デカルト、スピノザ、ライプニッツ

⑵ 政治哲学 → ホッブズ、スピノザ、ロック、ルソー
 

 まず、⑴の流れですが、これは17世紀「大陸合理論」と呼ばれる、括り方ですが、デカルト、ライプニッツは超重要人物なので、スピノザとセットで読むことをお勧めします。読まないまでも、その哲学史的な位置関係、差異を把握しておくことは、十七世紀哲学への理解が変わるものと思います。

 それを知るための入門書がつい最近刊行されました。解説が上野修先生ということもあり、本当にわかりやすいです。

『哲学史入門Ⅱ デカルトからカント、ヘーゲルまで』:NHK出版新書

日本における哲学の第一人者が集結し、全3巻で西洋哲学史の大きな見取り図を示す! 今回は、デカルトからドイツ観念論までの近代哲学。時代のうねりのなかで、人間の知性の働きを突き詰めた哲学者たちの思索に迫る。

本書帯文より

 われらが、上野先生が、第1章「転換点としての十七世紀」で、デカルト、ホッブズ、スピノザ、ライプニッツについて、その特性と差異、哲学史的な流れを説明してくれています。ここでホッブズが、出てきますが、上記ではわかりやすく、⑵の括りとしました。上野先生は、十七世紀哲学のご専門でもあるので、この四者が並ぶわけです。

 さらに、この本書が、信用できる最新の研究であるということがわかるのが、続く第2章での「ドイツ観念論」の扱いです。そこにはスピノザ受容と、スピノザ思想との格闘があったということがはっきりと言及されています。他の哲学入門書は、このあたりがスルーされているように見受けられます。(勘違いでしたらすみません・・)

 もし、「十七世紀哲学」自体を把握されたい、という方がいれば、上野先生の以下の著作が、おすすめです。デカルト、ホッブズ、ライプニッツの思想を把握することで、スピノザ哲学と彼らの<差異>についての理解が深まり、それによってスピノザ哲学の解像度をいっそうに高めてくれます。


参考文献:スピノザと十七世紀の哲学者たち

『哲学者たちのワンダーランド 様相の十七世紀』(上野修)
『デカルト、ホッブズ、スピノザ 哲学する十七世紀』(上野 修)

 さらに、⑵の流れですが、これは政治哲学の領域になります。『エチカ』というよりは、『神学・政治論』『政治論』が扱っている領域になりますが、この流れにおいて、おすすめの入門的な著作は、國分先生のものがお勧めです。

近代政治哲学——自然・主権・行政』(國分功一郎

我々がいま生きているこの政治体制は、近代の政治哲学が構想したものだ。ならば、政治哲学やその概念を検討すれば、今日の民主主義体制の問題点についても、どこがどうおかしいのか理論的に把握できるはずだ!人間が集団で生きていくための条件とは何か?“主権”の概念が政治哲学の中心におかれる中で、見落とされたのは何だったのか?近代前史としての封建国家を出発点に、近代の夜明けから、その先鋭化・完成・自己批判に至るまで。ホッブズ・スピノザ・ルソー・ヒューム・カントの順に、基本の概念を明快に追っていく。

本書紹介文より

 スピノザの政治哲学を知るには、まずホッブズを知らなければならないと思います。なぜならスピノザは、明確にホッブズを下敷きにして『政治論』などを書いているためです。

 彼の哲学は、デカルトについて書きながらいつの間にかデカルトを批判的に脱構築していくように、政治哲学においても、ホッブズを下敷きにしながら、いつの間にかそれを乗り越える方向へと持っていくのです。

 これが、ホッブズとスピノザの差異を見えにくくしている部分で、長らくスピノザの政治哲学は、ホッブズの亜流と見做され、大学などでは論及もされていませんでした。

 実際に、私が大学生であった1990年代は、近代政治哲学は「ホッブズ、ロック、ルソー」が源流ということで教えられてきました。今はどうなっているかわかりませんが、少なくともこれは「ホッブズ、スピノザ、ロック、ルソー」とすべき、というのが最新の潮流ではないでしょうか。

 このあたりを國分先生は、本書でしっかりおさえてくれています。本書においてはさらに遡って近代政治哲学の原点をジャン・ボダンに位置付けます。「ボダン、ホッブズ、スピノザ、ロック、ルソ」さらには「ヒューム、カント」が語られます。

スピノザ哲学に触れたい方のための入門書


 日本におけるスピノザ入門書は、講談社現代新書がすでに三冊も出しています。いずれの書も、スピノザ哲学に触れてみたい、でもいきなり『エチカ』を読むのには抵抗がある、時間がないので、サマリで理解できればよい、というライト層のニーズに応える最適なガイドになっています。

『スピノザの世界』(上野 修)

神は制作者ではない。神にも人間にも自由な意志は存在しない。
すべての事物を必然ととらえたスピノザ哲学の魅力!

本書帯文より

 まずは、スピノザ研究の泰斗、上野修先生による入門書です。タイトルの通り、スピノザの世界観について、主に『エチカ』と『知性改善論』を中心にして知ることができます。

 スピノザにおける「真理」とは何か。「神あるいは自然」という考え方はどういったものであるか。スピノザの用語でよく出てくる「実体」であるとか「無限知性」とは何か、「神の存在証明」が『エチカ』ではどうなされているのか。

 そしてそれらの考え方が、哲学史上においてもいかに異質であったか、それゆえの革新性を教えてくれます。

 ここなんか、現代のわれわれにはなかなか理解できないですよね、でもこうやって読むとどうでしょう。こう考えると、そのすごさがわかるでしょう、と上野先生が手解きしてくれるので、読者はいったん一つ一つに立ち止まらず、一気に読んでみることをお勧めします。

『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』(國分 功一郎)

私たちはまだ、「自由」を知らない――。
覆される常識の先に、ありえたかもしれないもうひとつの世界が浮かび上がる。気鋭の哲学者による、心揺さぶる倫理学(エチカ)入門。

本書帯文より

 日本の一般層にもスピノザの名を広めた貢献者として、國分功一郎先生の名を挙げる必要があるでしょう。本書は、國分先生が出演したNHKのテレビ番組『100分de名著』のスピノザの回をテクスト化したものに新たな章を加筆したものとなっています。

 國分先生のわかりやすい解説により、一般の方のスピノザへの関心が一気に高まったというのは疑いようがありません。なにせ、それまでは、デカルトやカントに比べれば、スピノザは本当にマイナーな哲学者の一人でしたので。

 本書は、上野先生のものとは異なり、ご本人も、『エチカ』は第三部から読んでもいい、と公言しているように、第三部である「感情」についての項目にフォーカスがあたっています。

 上野先生が、スピノザの無限知性、実体、神、精神という点にフォーカスを強めにしているのに対し、國分先生の場合は、「組み合わせとしての善悪」「人間の本質としてのコナトゥス(存在を維持しようとする力)」「必然性に従うということが自由」であるという概念に力点を置いています。

 このあたりのフォーカスが、複雑な社会を生きるわれわれの、病める、迷える日常、あるいは人生とクロスして、スピノザ哲学にはもしかしたら、今の私たちの悩みを解決してくれるのではないか、すっきり嵌まる考えを教えてくれるのではないか、となり、今日のブームへとつながっていると思われます。

 繰り返しますが、スピノザのこの第三部からの広がりは、免疫学、心理学、精神分析学、体育学などに広がっています。もしよろしければ、こちらへの寄り道もどうぞ。

参考文献:スピノザ×「心理学」、「脳科学」、「免疫学」、「保険体育」

未完のヴィゴツキー理論 甦る心理学のスピノザ
感じる脳――情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ
免疫から哲学としての科学へ
スピノザ『エチカ』から保健体育を問い直す

『スピノザ 人間の自由の哲学』(吉田 量彦)

不自由な今こそスピノザを!政治的閉塞に被われた現代社会に風穴を開けるもっともラディカルな思想。平易な文体で綴るまったく新しいスピノザ哲学の入門書。

本書帯文より

 最後に紹介するのは、講談社現代新書のスピノザ入門書シリーズ最新作であり、吉田量彦先生によるものです。吉田先生は、光文社の古典新訳として『神学・政治論』を翻訳されており、とにかくこの新訳がとかく読みやすいのです! 

 岩波書店、畠中尚志さんの訳が悪いというわけではありません。しかし、『神学・政治論』はこれまで、ずっと旧訳、旧字体のままきており、現代人には読みにくい日本語のままできていたのは確かでした。しかし、吉田先生の仕事により、読みやすく、そして理解が一気に高まったのです。

 そんな吉田先生のスピノザ入門書は、前述の上野入門書、國分入門書を意識していたようで、ちょっと違う角度からの入門書となっています。味わいも異なります。

 スピノザの生涯についても、これまでのさまざまな文献を駆使して丁寧に叙述されていて、そして、上野先生、國分先生の入門書とは異なり、ご自身が訳された『神学・政治論』にフォーカスしての入門書となっています。

 アメリカの政治哲学者として著名な、レオ・シュトラウスによれば、スピノザは、「最初のリベラルデモクラシーを唱えた人物」(『政治哲学とは何か』)ということです。

 その発端が、この『神学・政治論』になります。聖書批判、キリスト教会の体制批判を通じて、言論の自由、哲学すること(思想)の自由が高らかに宣言されます。

本書は、哲学する自由を認めても道徳心や国の平和は損なわれないどころではなく、むしろこの自由を踏みにじれば国の平和や道徳心も必ず損なわれてしまう、ということを示したさまざまな論考からできている。

『神学・政治論』序文より

 スピノザ政治哲学の神髄が、この本書にはあります。
(より厳密には、続く『政治論』も重要)

 しかし、この著作が、当時のキリスト教会から発禁処分を受けるほどのスキャンダルをもたらし、それまで天才哲学者として、学界、政治家からもてはやされていたスピノザは、とたんに「危険人物」という扱いをされ、「腫れ物」になってしまうのです。

 一体なぜ? 当時、もっともリベラルな国であるとされていたオランダでさえ、スピノザに対する扱いは、このようなものでした。それはなぜなのか。そして、スピノザは、自身がそのような扱いになることは想定外だったらしいのですが、このような状況になってまで、なぜ『神学・政治論』を世に出す必要があったのでしょうか。

 それも、ずっと書き続けていた『エチカ』の執筆を中断してまでそうしたのです。そのあたりの事情、背景を、『神学・政治論』の訳者である吉田先生が、懇切丁寧に解説してくれています。

 スピノザの『エチカ』を読んだ方は、ぜひ、ネクストアクションとしては、この『神学・政治論』に向ってほしいです。そうすれば、なぜスピノザが、「最初のリベラルデモクラシーを唱えた人物」とされるのか、その一端を知ることができると思います。

 それでは、本日はここまでとします。冒頭でライトに行くと書いたにも関わらず、ついつい長文となってしまいました(笑)

 最後までお読み頂いた方にはお礼申し上げます。次回また、機会があれば、違う形でお会いしましょう。


<関連記事>



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?