kyousei

日常のこと、アートのこと、心に関すること、人間研究の考察について書きます。

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考えることがなぜ大切なのか

ぼくは人の健康に携わる仕事の中で、何千人もの人と接してきた。心を制御することが簡単ではないことは承知している。 生きていく中で、負荷(ストレス)を避けることは不可能だと思う。 ストレスを解消するといっても、それは一時的なものでしかないことは誰でも知っている。 ポジティブシンキングや自己啓発も根本的な解決にはならない。本当の苦悩は、カラ元気や自己暗示ではどうにもならないのだ。 苦悩の原因は、思い込みや期待だ。 これは私たちが生まれ持った脳の機能による「推論」と「現実」のズレ

    • 心の健常は「更新」

      悩みを抱える人を毎日のように観ていると、そんな人には共通していることがある。 心を更新出来ない、更新しない、更新する気がないなど同じ状況に留まろうとするのである。 それは厳密には誰にでもある心理傾向なのだが、固定されたかのように思い込んでいると心の病にまで進んでいくこともある。 たとえば食事が不味いという状況を変えるならあなたならどういった対処をするだろうか。その対処法はいろいろあるはずだ。 心が病に陥りやすい対処法は「我慢して食べ続ける」ことである。食事をする度に「不味いな

      • 難しいことを考えるからといって生き方まで難しくなるとはいえない

        「難しいことを考えると頭が痛くなる」「ややこしいことを考えるのは嫌」という話はよくあるが、実際は頭も痛くなることはないし面倒くさくもない。 また、難しいことを考えるからといって生き方が難しくなるということはない。 難しいことをしっかりと考えることができれば、これまでのややこしい問題は容易に解くことが出来て解決策もすぐに見つかるようになる。 それはこれまでしっかりと考えることなく惰性に流されながら生きていた生き方を変えたからに他ならない。 考えるという分野はまだほぼ手つかずで

        • 難しいことを考える

          「考え過ぎて…」という人もいるが、それは本当に考えているのだろうかと思うことがある。 「あーでもないこーでもないと考え過ぎる」というよりは「いろんなことを思い過ぎて」という方がより正確だと思う。 「考え過ぎる」ということをさらに考えてみるとこういった表現になる。 簡単なことは誰がやっても簡単なのだが、難しいことは誰がやっても難しい。これは思考も同じだし仕事でも趣味でも同じである。 難しいことに出会ったら逃げたくなる心理は誰にでもあるが、そこからさらに考えるということを考え

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        考えることがなぜ大切なのか

          人間の可能性のこと

          可能性については多くの人が関心を示すのではないだろうか。 「あなたには可能性がある」と言われると悪い気はしないはずだ。しかし、どんな可能性があるのだろう。 「あなたには大金持ちになる可能性があるが、そうなる蓋然性は低い」というのも含むからだ。 可能性は希望とも関連する。このnoteで知り合った人がコツコツと投稿して、評価され、作家デビューとなると、「実はねこの人ずっと昔から相互フォローしてんだよー」と自慢するのは間違いない。時には自分自身も頑張って記事を書いて作家デビューし

          人間の可能性のこと

          正解と真理について

          正解を求めたがるのは試験勉強の影響が大きい。そして間違うことを極端に恐れる。試験勉強によってそれを学習してしまったのだ。 英単語の意味がわからないのではなく忘れてしまっただけなのに不正解になる。漢字テストでは読めるのに書けない、これも忘れてしまっただけだ。その正解は辞書で調べればすぐに分かる。 本当の間違いは辞書で調べようとしないことだ。試験勉強は間違いを訂正するという習慣もなく点数で表され一喜一憂する。 勉強での本当の正解は、間違いを訂正しながら学び続けることではないだろ

          正解と真理について

          判断について

          私たちが判断を迫られる時は「損か得か」の状況がほとんどかもしれないが、「正しいか間違っているか」という場合もある。「信じるか信じないか」という源になるものだ。 政治家の公約はほとんどが嘘だと気づいているが、「損か得か」をうまく盛り込む人もいる。 誰もが「得をしたい」という心理につけ込むやり方なのだが、その心理のせいでコロッとやられる人もいる。「後から増税しますよ」とは言わない。「なぜ言わなかったのか!」と憤ってみても「あなたが訊かなかったからだ」と返されて終了だ。 私たち

          判断について

          専門家と素人と現実

          巷では「専門家が言っていたから」と信じる理由とする話はよくある。 しかし、「私は専門家です」と言うのと「私は専門にやっています」と言うのとではだいぶ意味合いが違う。 人は誰しも学ぶことで間違う確率は下がるといえども間違うのである。 「あいつの言ってることは素人だから」と歯牙にも掛けないような話でも正しいこともある。 学問は探究する価値があるから学問だ、という言い方もある。探究には間違いはつきものであり、失敗は早くした方がいい。正しさに近づくからである。 私たちの日常生活に関

          専門家と素人と現実

          自分で調べ自分で考えているか

          あなたは自分で物事を考えているときっぱりと言い切ることができるだろうか。 自分では考えているつもりでも、何も考えずに「あぁそうなんや」と思わされてはいないだろうか。 ほとんどの人は情報と宣伝を混同していると言うと間違っているだろうか。 私のことを「何をそんなに熱くなっているの?」と思うかもしれないが、世の中は奪う者と奪われる者に大別され、奪う者の力は強大である。 ビジネスに携わる人ならマーケティングの力が人間の心理を掌握しコントロールしようとすることを知っているはずだ。 「

          自分で調べ自分で考えているか

          正解に至る道は長くて遠い

          現代は急ぎ過ぎる時代であると言えば大げさだろうか。これまでよりもいろんなことが簡単にわかるようになったのは確かだ。 欲しいと思えばすぐに手に入る。これも便利である。しかし、よく考えてみると消費する機会がおそろしく増大したということに気づく。 たとえば欲しい本が見つかるとすぐに手に入り、読み終わらないうちに次の本を手にしている。わかっているのにそれがやめられない。 年配の本当に頭のいいという人と話しているとじっくりと学んでこられ、熟慮する能力が高いことに気づかさられる。 少な

          正解に至る道は長くて遠い

          承認欲求に振り回されない心

          今日も理性(思考)について書いてみようと思う。 「あの人は承認欲求が…」とよく見聞きする。 「あの人は食欲が…」「あの人は金銭欲求が…」とはほとんど問題視もしないし敵視もしない。 しかし、承認欲求は関心の的になるようだ。承認欲求は単なる心の欲求なのに心理学的なお話かのように思い込んでいる人は多い。しかし、その欲求には他人の心を揺さぶる何かがあるのだろう。おそらく、その根底にある心の働きが気に食わないのである。 常に心の動きには理由がある。 「あの人が承認されることを求めてい

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          理性vs利己的遺伝子

          向上心のある人や能力を伸ばしたい人、成績が気になる人、他人の評価を気にする人、私たちは他人と自分を比較しながら生きていく環境の中にいる。 リチャード.ドーキンスが「利己的な遺伝子」と名付けた私たちの行動の源は、「生存と繁殖」を有利にするように働く。 その働きが私たちが生きる環境の中で占める割合は最も多いように思える。 能力と思われている優れていることは繁殖の機会を増やすことでもある。 大企業といわれる会社で働くことは、男女共に生涯手にする資本が多くなるというだけではなく、優

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          ずる賢い奴になるな

          私はこれまでたくさんの人を観てきたので、どうしても運だとかツキだとかがあるように思えて仕方がない。もしかすると思い込みかもしれない。 はっきりしているのは、ずっとうまくいくということはないということだ。だからこそ、何とかうまくやれないかといろんなことをやるのだ。 ズル賢さもそういった戦略の一つであるが、それをよしとしないのが人間である。 家族にズル賢く立ち回る者がいれば、賞賛する人もいるかもしれないが、多くはたしなめるはずだ。理由は説明不要だと思う。 運やツキに見放された

          ずる賢い奴になるな

          悪口に正義なし

          「悪口はどっちもどっち」という記事を以前に書いたが、ここへきて少し訂正が必要になってきた。 悪口を言う人は確かにどっちもどっちなのだが、悪口には正義がないということも特徴である。 悪口を探す人は、劣等感や嫉妬心に支配された人で、努力することを嫌い、向上心がなく、改善することを相手に求めるが自分を改善させようとする気配がないという特徴もある。 先日、他人の批判や否定をする人に出会った。 「こうするべきだ」「おかしいと思わないか」と熱く語るので真剣に話を聞いていたのだが、しば

          悪口に正義なし

          人間は似たり寄ったり

          人間の心理には「自分は特別である」といったものがある。 頭はそこそこ悪くないし容姿だってまあまあいけてるくらいは誰でも思うだろう。 他人には間違いがよくあるが自分はそれほど間違っていないとも思う。 そう思うことが人間の心理傾向にはある。それを乗り越えるのは理性なのだが、それを使えずに本能に従うのが人間なのである。 私たちが大してものを考えずともうまく生きていけているように思えるのは、意外にもそういった心理傾向に守られているからでもある。 「あの人すごいな」「あんな人みたいにな

          人間は似たり寄ったり

          生きるために学ぶ

          なぜかわからないが、学びについての記事を書くと、いつものことながら反応が薄い。 「学ぶ」ことを試験勉強のように思い込んではいないだろうか。 私は学ぶことで心の煩悶や苦悩から解放されることを知っている。 人間には能動的推論が自動的な働きとして備わっているが、その推論は経験に依存しがちで間違うことが多い。 もし、あなたが自分の将来像を想像するとどんなふうになるだろうか。また、過去に抱いた自身の理想像はどれくらい現実化しただろうか。 現実と理想との不一致は苦悩や煩悶を生み出す。「こ

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