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40歳になるまでは大目に見てください なんでも書きます パソコンで読まれることを想定し…

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40歳になるまでは大目に見てください なんでも書きます パソコンで読まれることを想定しています

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ひとがほつれる

 数学の問題を解きたがらないのは、結局のところ、そして究極的に言えば、数学者だ。なぜなら、あらゆる数学的問題を解いてしまったとき、数学者たちはすることがなくなるのだ。もはや仕事はない。役目は終わった。いずれ数学者という言葉自体が時代遅れのものとなるだろう。  数学者たちが嬉々として数学的問題に取り掛かれるのは、結局のところ、そして究極的に言えば、どうせすべてを解くことはできないだろうと諦めているからだ。そして、できるとしても、しないだろう。どこかで気づく。いつのまにか、自分は

    • 「トイレだと顔が良く見える」はウソ 本当ならみんな校舎裏じゃなくて多目的トイレで告白してる

      • 「思想の自由を守り続けよう」と言うことにより、まるで思想の自由が生まれていたかのような幻想を作る

        • お医者さん「変なところありませんか?」 ぼく「せ、性格とか……」

        ひとがほつれる

        • 「トイレだと顔が良く見える」はウソ 本当ならみんな校舎裏じゃなくて多目的トイレで告白してる

        • 「思想の自由を守り続けよう」と言うことにより、まるで思想の自由が生まれていたかのような幻想を作る

        • お医者さん「変なところありませんか?」 ぼく「せ、性格とか……」

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        記事

          空は躁鬱ですかね 明るくなったり、暗くなったり

          空は躁鬱ですかね 明るくなったり、暗くなったり

          ひこうき雲は空のリスカ跡

          ひこうき雲は空のリスカ跡

          シェフの気まぐれサラダを頼んでみたらぜんぜん出てこなくて、すみませんまだできないんですか?って聞いたら「作る気分じゃないそうです」って返ってきて気まぐれすぎるだろと思った。

          シェフの気まぐれサラダを頼んでみたらぜんぜん出てこなくて、すみませんまだできないんですか?って聞いたら「作る気分じゃないそうです」って返ってきて気まぐれすぎるだろと思った。

          次の発表のための準備

          一章  あらゆるものには全体性と部分性がある。たとえば、机は、四本の脚と一枚の板が全体であり、脚それぞれと机が部分である。なぜこの二つが絶対にあるのかというと、我々は、二つ以上のものがあるとしなければ知覚(と、それに絶対に伴う思考)が不可能だからだ。われ思うゆえにわれあり、という言葉がまさにそれを表している。「思うわれ」がいる時点で「ゆえにあるわれ」もあるのだから、「われ思う」だけでもいいではないか。いや、それどころか、思わなければわれは存在できないのだから、「われ」だけで

          次の発表のための準備

          最近油絵を描いていなかった方のこれしかなかった絵画への文学的に優秀な批評!

           最近は、なんであれ作品について書く機会があまりなかったので、こうして練習に書こうと思います。  まず、これを見て思ったのは、正気と狂気の表現が同時かつカオスになされているということ。それだけなら多くの作品が当て余るかもしれないが、ここには、人間、それどころか動物や天使・悪魔さえいない。感情は人間と切り離せないはずなのに、この作品ではそれがなされている。その謎、いや、妙技は、この白線、芸術的というより数学的に描かれているような白線が成している。  背景の、雨のような黒い線

          最近油絵を描いていなかった方のこれしかなかった絵画への文学的に優秀な批評!

          京都人のヘタクソ皮肉と障害者手帳

           京都の方は皮肉がお上手だとか、そういう噂をネットでよく見ていたのですが(リアルで聞いたことはありませんよ、話す相手がいないので!)、いやいや京都の方は皮肉が下手です。ただの悪口、いや、生まれてきてしまったことへの懲罰ですかね。それが得意です。  精神障害者手帳というものがあります。名前の通り、精神障害者の方が取れますし、発達障害者の人も取れます(これは不思議です!発達障害は脳の構造の少数派なのですから、身体障害のはず)。これはF級からSSS級まであって、ゴブリンやオークを

          京都人のヘタクソ皮肉と障害者手帳

          Cogito ergo sum と I think, therefore I am の文法的な違いが存在論的に重要です

          Cogito ergo sum と I think, therefore I am の文法的な違いが存在論的に重要です

          時間について

           ゆううつな気分をいつもだれかが抱いている。もしかしたらゆううつがあなたを包んでいるのかもしれない。ともかく、そんなとき、ぼーっとしたくなる。時間を過ごしたくなる。  腹痛のとき、体がものすごくひどかった。頭では、この腹痛がいつか終わるのだと分かっていた。ただ、便座の上で、時間が過ぎるのを待っていた。  ところで不思議なのは、「時間を過ごす」という行為はない。ぼーっとする、腹痛に耐える、そういう行為はある。だが、時間を過ごすことそのものはない。なんらかの他の行為の結果、後

          時間について

          愛という影について

           愛の面白いところは、愛そのものは探してもどこにもないというところだ。愛は常に逆算される。言動と物品からチラッと見える。M・Hが言ったんだっけか、探そうとすると隠れてしまう。これは存在についての言及だったはずだが、愛もそうなのだ。  たとえばだ。愛してると言われると、愛してると言うということは私を愛しているのだろうと考える。しかし、実際にはたぶらかすつもりなのかもしれないし、気の迷いかもしれない。花束を渡されても、デートに行ってもそうなのだ。愛しているならこういうことをする

          愛という影について

          セックスと信仰について

           陰茎をこする。私手で私の棒をこするのだ。これはいわゆるマスターベーションなのだろうが、なぜそうなのだろうか?神殿の階段に腰掛けること数回目、そう考えていた。裸体と、裸体を想像する自分について考えていた。  私の棒を私の手でこすると、気持ちがいいのは私の棒だ。私の手は気持ちよくない。私の棒を人工の膣に入れても(これの最も卑猥なところは、子宮も卵巣もないということだ)、つまりオナホールというものにぶちこんでも、やはり自慰なのだろう。出し入れをしてもセックスにならない。  で

          セックスと信仰について

          毒を食らわば彼女まで

           「きて」  たった二文字の言葉が俺を狂わせる。いや、たって二文字の言葉で惹きつけられると見込んでいる彼女が異常なのかもしれない。だが、まあ、実際に行くのだから、異常ではないさ。握っていたビールのジョッキを手放して、ガラスが地面に散らばり、しゅわしゅわとビールが鳴く。客の驚嘆の声、同僚の叱咤、なにも聞こえない。制服姿のまま走り出した。この繁華街から彼女の家までは30分かかる。だが、45分で着くとLineをするのだ。そうすれば、急いで早く来てくれたのだと、彼女は喜ぶ。  汗

          毒を食らわば彼女まで

          欠落依存症 - 診断

           人間が好きなんです。しかし、個人はそうでもない。というか、人間は好きじゃなかったみたいです。人類が好きなんでしょうね。人類はいろんなところにいます。ゲームをすれば、それを作ったのは人類。自然的である山を登っても、そこには標識やら手すりやら舗装された道があって、つまり人類の痕跡があるわけですよ。僕が好きなのはゲームとか、「作られたもの」なんです。それで、そこには逆算して人間の存在を感じられるんです。だから、人間が好きなんだと思ってたんですけど、いざゲームを作る人と会ってみたら

          欠落依存症 - 診断