毒を食らわば彼女まで

 「きて」

 たった二文字の言葉が俺を狂わせる。いや、たって二文字の言葉で惹きつけられると見込んでいる彼女が異常なのかもしれない。だが、まあ、実際に行くのだから、異常ではないさ。握っていたビールのジョッキを手放して、ガラスが地面に散らばり、しゅわしゅわとビールが鳴く。客の驚嘆の声、同僚の叱咤、なにも聞こえない。制服姿のまま走り出した。この繁華街から彼女の家までは30分かかる。だが、45分で着くとLineをするのだ。そうすれば、急いで早く来てくれたのだと、彼女は喜ぶ。

 汗だくで、息を切らしながら、彼女のアパートにたどり着いた。引き戸を開けると、彼女が目の前に突っ立ていた。抱きしめた。キスをした。彼女曰く、キスはもっともいやらしいらしい。セックスは生物的な理由で行われる合理的な行動がだが、キスにはなにもない。

 なめくじのようにキスをしていると、なにやらおいしそうなにおいが漂っていることに気づいた。

 「ごはん、作った。おなかすいてる?」

 食卓には、白ごごはん、味噌汁、焼き魚、緑色のサラダ、きんぴらごぼうがあった。ただ、さきほど賄いを食べてきたので、食欲がわかない。おいしそうだと思いながら、食べたいとは思わなかった。

 「食べたくないよね。私の料理なんか。ごめんね、呼んじゃって。たった二言で、あなたのやさしさに付け込んで、ごめんね。ごめんなさい。ごめんなさい」

 茶色いテーブルが、すこしばかり色を濃くした。僕は、白ご飯をかきこんだ。味噌汁を飲み干して、米粒を流し込んだ。サラダを飲み込むように嚥下し、きんぴらごぼうを噛みまくってから小さくして飲み込んだ。賄いを食べた後だから大変に気持ち悪かった。

 「無理して食べなくていいんだよ」

 僕は焼き魚の頭と尻尾と突き合わせのレモンを無理に貪った。そして、彼女の趣味が陶芸であることを思い出した。

 「君が作ったの?」

 「うん」

 僕は茶碗を、味噌汁のお椀を、焼き魚のお皿を、きんぴらごぼうの小鉢をかみ砕き、一気に飲み込んだ。破片が喉や食道、胃に突き刺さり、大量の血が噴き出した。僕は死んだ。死ぬまでの一瞬の瞬間、、彼女は目を潤わせていたきもするし、頬んでいた気もする。だが、どっちでもいい。手料理を食べられたこと、それが至高の幸福だった。

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