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失敗?それは君のせいじゃない。ただ運が悪かったんだ。

まず最初に私がこの場を借りて言いたいことを端的に言いましょう。それは、「失敗したとしても、それは君のせいではない、運が悪かっただけなのだ」ということです。逆のケースだと、成功したのは君の実力じゃない、運が良かったのだ、ということも言えるわけです。

「いや、何をいまさら」「そういうケースがあるのは常識だ」と言われる人がいると思いますし、いやいや、やはり本人に問題なければ失敗はしないだろう、と考える人もいるでしょう。

私が言いたいのはそのような細かいことではなく、みんなの根本にある思考そのものがおかしい、ということなのです。私たち全員が真実でない大きな錯覚に取りつかれているのです。

それは、いわゆる「決定論」です。つまり「原因」から確実にひとつの「結果」が生まれるという考え方です。これはニュートン力学の考え方です。たとえば、ある質量の物体にある大きさの力がかかれば、その物体は確実に計算通りの動きをするのです(もちろん摩擦などすべて考慮する前提で)。これは近代科学を支えているひとつの大原則と言えます。つまり科学の進展によってすべての世界は解明できるし、また未来の予測も可能である、という考えです。

19世紀になって経営や経済という社会科学が発生し発展してきましたが、その時代の世界は完全に決定論が支配していました。したがい、自然に社会科学分野の常識も決定論がベースになっているのです。

この決定論は数十年前から強い反論を浴びることになります。量子力学を含む新たな自然科学の研究やこれらの議論により現在では、ニュートン力学はある一定の安定の中で成立するだけであり、真の世界は、複雑性、カオス、確率に左右されており、とても不確実であることが自明のものとなりました。同時にニュートン力学を基本概念とする決定論は過去のものとなりました。つまり、特定の事象のもと特定の行動を起こしても、その結果は一定ののものではなく、常に不確実なのです。つまり原因と結果は結びつかない。社会の確実性、決定論は完全に失われたのです。

ここで私たちは、ひとつの問題に直面します。つまり、私たちが生きるこの世界は「原因と結果が結びつかない世界」であるという前提に立たなくてはいけなくなったわけです。どうでしょうか? ほとんど180度、コペルニクス的な転換に感じませんか?

しかしながら、これが真実なのです。そうすると、経済や経営、あらゆるビジネス、金融、政治手法に至るまで、すべての理論を見直さないといけなくなりました。しかし、現実はまだ決定論が支配していた時代のままなんです。

実際に、この不確実性はさまざまな形で私たちが経験しています。ひとつは科学的な予測の限界です。たとえば未だに地震の予知はまったくできません。リーマンショックのように何年かに一度起こる経済危機も全く予測不能です。また忘れたころに襲っている新型コロナなどのパンデミック。これらは実は一般的に言われているよりはるかに頻繁に起こっているのです。

専門家や学者は、株価や為替の動きを予想しますが、これがほとんどと言っていいほど当たらないのはみなさんがよく知っている通りです。有名な社長が書いた(自慢気な)本を読んでそのとおり実行したら成功すると思いますか?

決定論はすでに過去のものです。私たちはこの不確実である世界にいることを今一度強く意識する必要があります。失敗したからと言って悩んだり、責任を感じる必要はありません。原因と結果が結びついていない以上、原因を特定することは理論上できないのです。

一方で、それではあまりに無責任ではないか、という意見もあると思います。それに答えるとするならば、確率的にものごとを考えることで対処するしかないということです。つまり成功するために出来るだけの努力をしたのであれば、それは成功する蓋然性を高めただけで、その結果として成功するかどうかは分からないということです。

これは決定論とは大きな違いです。もっと分かりやすく言うと、可能な限りの有効な手段をとっても、運が悪けりゃ大失敗するし、逆に何にもしなくても運が良ければ、結果は上々ということなのです。これが真実なのです。なぜならば「世界は本質的に不確実である」からです。

これから、その不確実な世界の姿、そしてその世界に合わせて、今後私たちがどのうように思考を変えていく必要があるのか、またどのような行動をとるべきなのか、じっくり考えていきたいと思います。それは、過去ではなく現在、そして未来、私たちが幸福に生き抜くために必ず必要になることだからです。








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