チャイカ『私はどこで間違えなかったのだろう。』 人は、凍えるような寒さに際して、天地を「愚かだ、間違っている」とは思わない。 ただし、天変地異的な隣人に対しては、意向に沿わない場合に、強く罵ったり殴ったりして言動を変えてもらおうとする。 これは「間違い続けることが正しい」例だ。
「鬼やらい」って言葉があったなと思い出して、源氏の葵上だったか?が雛人形を女童にぐちゃぐちゃにされて泣きべそかいてる場面がふと。中国から伝わって平安期は大晦日の行事だったとネットには。ふぅーん。そうだったっけ? 追)コメント欄に正誤あり。 かわこさんありがとうございます♪
「嫌い」を、感じてはいけないものだと「ジャッジ」していた時はそこから学べなかった。自分はそれは違う、自分はもっとこうがいい、自分にそれは必要ない、と、少しずつでもはっきりとでも自覚すること。全ての現象はニュートラルだけど、それをどう使うかは自分次第で、いいも悪いもない