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感情に良いも悪いもないんだよ。ポジティブが良くてネガティブが悪いってこともない。


ポジティブが良くて、ネガティブが悪いといった印象が世間にはあるよね。
もちろん、物事は楽観的に捉えていた方がうまくいきやすい面はある。
だけど、無理にネガティブを排除してポジティブになるって少し不自然だよね。

プラス思考もマイナス思考もOK!そっちが自然。

「ポジティブが良くてネガティブが悪い」にはポジティブが正解で、ネガティブが誤りみたいな「正誤」を感じる。当然、正誤は大切だけど「正誤」で判断すると後悔することが増える恐れがあるのよ。だって、正誤は時代で変わるものだから。
例えば、新型コロナが出てきてからそれ以前と正誤は変わってしまったよね。マスクの使用ひとつとってもそうだし、自宅に居ること、人との付き合い方もコロナ前とは違う。

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正誤を異様に大切にする人やいきすぎた正誤には共通するものがある。
それは、正論や正しさを盾にして、自分を守りたいといった思い。

人が間違った際に、正論を振りかざして鬼の首を取ったみたいなものの言い方する人がいるけど、人は間違うものだよね。完璧な人などいない。
なのに、正しさをかざしてじゃないと話ができないって言うのは、自分の弱さを正しさで隠そうとしているのがうっすら見える。
マウンティングする人やパワハラする人と変わんないと思うのよ。

つまり、本人が『誰かに見せるための人生』をやっている可能性がある。
『誰にも後ろ指さされないための人生』をやっているのかもしれない。

となるとね、
自分が「どうしたいか」という意志を本人が見失っている恐れがある。
自分の「意志」がわからないから「正しさ」に頼りたくなる。

だとしたら、寂しいね。
せっかく、その人で生まれてきたのに、その人を発揮しないなんてもったいないよ。

あなたがあなたの意志を大切にしないで、あなたはあなたをどこで感じるんだろう。

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自分の意志に正直になることが大切でね、2013年から売れ続けている本、『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』の「嫌われる勇気」というのは、「嫌われても」自分の人生をあゆみなさいという意味の『嫌われる勇気』じゃないのかな。

自分に正直に生きるって勇気がいること。だから練習が必要なのよね。
練習するほどうまくなっていく。最初は、自己中心的なwantでもいいんだよ。「あいつ、わがままだよなぁ〜!」で許されている人も実際、いるじゃない。やっていくうちにだんだんと社会や周りと折り合いがつけれるようになっていくし、自己中心的なwantで誰かに迷惑をかけたとしたら、その罪悪感は未来、だれかの間違いを許せる許容力につながっていく。

まぁ、母があなたたちにこうやって伝えていることも、時代が変われば間違いだったという可能性も大ありだけど今、「あなたたちに伝えたい」という私のwantを大切にしてみました。

それに今、母は正誤以上にもっと自分のwantを大切にすることを実践しているのよ♪ 明日はひな祭りでしょ。当然、娘のあなたを思って我が家にも雛飾りをしているけど、すぐに雛飾りを片付けるつもりはないよ。雛飾りを出しっぱなしにしていると娘のお嫁入りが遅れるって昔から言うんだけど、世間の正誤とは違う母の意志「娘の嫁入りは遅くていい」を大切にしています!
(娘よ、怒らないでね🙏)


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