ウェルカムレイン☆サヤカ

ウェルカムレインは(意味:めぐみの雨)という屋号です。三脳バランス研究所で、非二元研究室長を担当してます。 https://lit.link/wrsayaka

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    Kindle書籍 『これ以外のなにかはない:悟りというのがなんなのかはわかりませんが』

    タイトルは 『 これ以外のなにかはない 』 悟りというのがなんなのかはわかりませんが あるでも「ある」 ないでも「ある」 ないじゃなくて「ある」に気づいて「ない」だけ 幸せ、成功、スピリチュアル、悟り… ここには「ない」なにかを求める 「 しあわせ探し=探求 」 の構造・カラクリについて解説 “これ” って特別な“なにか”なのだろうか。 なのでサブタイトルにもしている… 「 悟りというのがなんなのかはわかりませんが 」 というか、そもそも、悟りなんてない??

      • 探究という旅のおまもり

        たとえば、 「わたしは神だ!」 というのは、意識の焦点がアタマにある状態(思考との一体化が強く、自我がオレオレと前面に立っている状態)のときに起きる現象なんだろうとおもいます。 おなじく「悟った!」もそうです。 ちょうど、そのような動画をアップしました。 「33:左脳がやっている小さな悟り、右脳でおきている大きな悟り」 なので、意識の焦点がアタマより下(ハート・ハラにある状態)は大事だなーっておもいます。  それもこれも「自分ごと」にしない  というのは、この旅

        • 次のチャンスは…10年後かもしれないし、明日かもしれないし、もう二度目はない…かもしれない。

          その間の10年間、それについて認められず受け入れられず、無知なまま、その気づきの欠損のような感覚を抱えたまま、そしてそれは現実にも現れてくる。 それは、なぜだか、わからないけど、 どこか世界・人生とうまくいってないような感覚、、、 ( そのヒントがその誰かの口から漏れていて、知ることができたんです。 ) でも、その10年は無駄な10年ではなくて、それも必然だったのかもしれない。その10年がなければ気づけなかった…と、同時に「そのときに気づくこともできた」のかもしれない。

          • 自信と信頼の違いは 「じぶん」と「いのち」の違い

            今朝メールセッションのやりとりで出ていた話題。 こちらでもまとめてみたいなとおもいました。 先日のこちらの記事とも関連してくるんですけど、 「 ドーパミン中毒と右脳域なシアワセ 」 ドーパミンは「自信」というかんじです。 興奮したり落ち込んだりというような 気分や思考と比例して上下するような自信です。 一方で「信頼」は オキシトシンやセロトニンのように ゆるゆると静かに穏やかにありつづける どーんと揺るがないベースのようなもの なにか「特別なこと・いいこと」があった

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          • あれこれ非二元エッセイ
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          • 右脳左脳とのじゃれ愛
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            ドーパミン中毒と右脳域なシアワセ

            中毒性のあるような対処方法は、、、 ・ 一喜一憂 ・ 気分が上がったり下がったり、、、 ・ そのような浮き沈みがあって安定しない (なので、継続的な中毒行動を繰り返さなくてはならない) というようなイメージがあります。 まっすーさんの記事【誰もがドーパミン中毒になる時代】 というのも、、、 中毒性のある対処方法には 「学び・学習・気づき」がない・少ない。 発散して一時的に「からっぽ」になるけど → また溜まってきたら → 発散する →その繰り返し そのたびに発

            視点があがると必ず「ひとつ」に気づく。 だから「愛」に気づく。 視点・波長・気づき、、、なにに気づいているかがそのままそれ。気づいているものがそのままそれ。

            色即是空、、、湖、、、お皿

            【人生変わる】最先端量子科学の仮説が解き明かした 「死後の世界」『死は存在しない』by 田坂広志 こちらのYouTubeを拝見したのですが、 「 湖のたとえ 」 手前味噌なのですが、わたしがよく使っている 色即是空 空即是色の例え 「 お皿と料理の例え 」 と重なるようにかんじました。 ▶︎ 現実世界=湖面の上 (色・お皿の上のいろいろ・コンテンツ・無常) ▶︎ 0ポイントフィールド=湖面 (空・お皿そのもの・普遍性) ▶︎ 出来事=風 (ひとつ・全体性が使用

            発散ではない選択…ハートから耳を澄ませる( ˘꒳​˘ )

            いつもの喫茶店にお茶しにきたら、隣のおじちゃんたちがずっーと「矢印が下がる」ようなおしゃべりをしていて「発散」をしておりました。 非言語なマインドフルネスなワークを持ち合わせていないと 「発散するしか術がない」 ので、愚痴ったり批判したりお酒をのんだり騒いだり…というような動的な方法で、発散=リフレッシュするしかしようがありません。 お酒やスマホなど あらゆる中毒&習慣化している繰り返し行動は このようなメカニズムで起きているような気もします。 それをやっているとき

            悟る必要はない…ということの粋な表現。 「 一体性が劇的のストーリーを通じて一体性によって認識されるんです。もちろんそういうストーリーが現れる必要はありません。一体性が劇のストーリーを通じて自分自身を一体性として認識する必要などありません。単なる壮大な娯楽です。」ネイサン・ギル

            悟るという「 状態変化=人間の進化 」の話

            悟りと悟る…のハナシは分けて話したいんですけど、、、 (これとそれってまったく別の話なので…) たとえば、 おなか・胸に意識が落ち着いている(=思考と適切な距離が取られている)と…たとえば一瞥体験のような一時的な体験に終わらずスコーンとPNSEロケーション4(自動思考ゼロ)にも行っちゃったりするのかも…っておもったりしています。 ハラが意識の焦点のフックのような役割をする フックにしっかりと固定されていれば、そう簡単に左脳・思考との一体化に戻るってことは起きない…そん

            悟っているのか?いないのか問題(探究あるあるシリーズ)

            動画、更新しました!! 今回は久しぶりの「探究あるあるシリーズ」です YouTube   非二元エッセイ 今回はサムネイルを4パターンぐらい、、、どれにしようかなと迷いました(そこ?!)そういうどーでもよいところを、あーだこーだやっているのが楽しい カラフルなコラージュを作っているような… 動画作りの楽しさはそこかな( ˘͈ ᵕ ˘͈  ) ウェルカムレイン☆サヤカ

            ストーリーという「風」

            うっかり忘れがちなことが 「わからない」ということ。 わからないままに「面白いね」といったり「それは違う」といってみたりしているんだけど、でも、よくよくみてみると「わからない」 で、たぶん、どんなにわかったとしても「わからないまま」 左脳さん右脳さんの話でいうと「わかった…とおもっているとき」は左脳優位だったりもして、逆に「わからないなあ〜(ぽかーーん)」としているときのほうが右脳優位で、ある意味「直接的て、ダイレクトに、そのままに気づいている=わかっている」というこ

            うっかり忘れがちなこと 「わからない」ということ。 わからないままに「面白いね」といったり「それは違う」といってみたりしている。でも、よくよくみてみると「わからない」

            自動思考と悟りについて言えば、 「悟った」 というコトバを【左脳さんの声だと気づくことが出来る】というのは、とてもジミーーなことなんだけど、ずっと響いてくる「おまもり」のような視点。それはある意味、永遠に「誰かが悟る…というアイディア」と一体化することがないということ。

            お風呂に入るとき脱衣所で服を脱いで、それから…お風呂にはいる。 いったん、ここまで「わかってきたこと」を置いて、非言語・コトバを用いずに、ただ耳をすませる…というのは、それと似ている。 言語・理解は持ち込めない。

            自我はありませんが、そこに「わたし」はいます。

            赤ちゃんと目があって、その赤ちゃんが ニコニコーーっと笑ってくるですよ。 かわいい… そのままの意識がキラキラと、 ただ笑ってくるんです。 まだ、そこに自我はありませんが、 けれど、そこに「わたし」はいます。 赤ちゃんのとき、そこにはまだ 言語・思考はありませんでした。 けれど、そこに「わたし」はいました。 これ、おなじことなんですけど、、、 いまも「そう」なんですけど、、、 思考・言語がなくても「いた」んですね。 思考・言語よりも先立っていて、 だから、思考