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あれこれ非二元エッセイ

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いまここに「ない」ことに夢中になってみるのを止めてみる。

大概、ぐるぐるしている思考って
いまここに「ない」ものについてであることが多いです。

過去の記憶、思い出、、、
昨日や今朝の出来事というフレッシュな
「記憶」でさえ、、、

それは、もう、いまここにありません。

この動画でおつたえしていることも
それは、いまここに「ない」ということに

ฅ(º ロ º ฅ)ハッ

としてみるということです。
ぐるぐる…思考できてしまうのも、
それがいまここに「

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悟りと願望実現でモヤっとしたとき。

悟りと願望実現でモヤっとしたとき。

「 悟りとは探求が終わること…なのに引き寄せとか願望実現ってどういうことですか?それって「探求」終わってないじゃないですか… 」

これも探求中によく湧き上がる疑問であるようにおもいます。

それゆえに一般的にいうと「引き寄せと悟り」って相性が悪いというか、、、悟りやノンデュアリティ系の人たちからは願望実現的なものってバカにされがちであるようにおもいます。

でも、この疑問がわきあがってくる視点と

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悟りはない…ってことが「左脳さん」にはわからない。

悟りはない…ってことが「左脳さん」にはわからない。

今日は、ウェルカムレイン☆サヤカ的
非二元ノンデュアリティ論です。

これについては一冊目のKindle本「これ以外のなにかはない」で絶叫させてもらっている内容です。

悟りは「いま・ここ」にない…別の“なにか”としてしまう、、、それが悟りノンデュアリティ非二元あるある

(だから、あらゆる探求が起きてくる、あるあるです。)

オデコの上のメガネが「ないない」という悟り探求 

一冊目のKindl

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自分で自分の太陽になってあげるんだよ。

自分で自分の太陽になってあげるんだよ。

最近また「北風と太陽」の例え話をお伝えすることがあったので、こちらのテーマで書いてみようとおもいます。

北風と太陽のお話について、、、

「 ある時、北風と太陽が力比べをしようとする。そこで、通りすがりの旅人の外套を脱がせることができるかという勝負をすることになった。まず、北風が力いっぱい吹いて、旅人の外套を吹き飛ばそうとする。しかし、寒さを嫌った旅人が外套をしっかり押さえてしまい、北風は旅人の

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ありがたいなぁ…愛おしいなぁという味わい

ありがたいなぁ…愛おしいなぁという味わい

https://youtu.be/qs070DHDdsM?si=du6v-EbzQJO3Recz

感謝…という「感覚」を知らない。

というのは、、、感謝すべき瞬間に「ラッキー♪」ぐらいの感覚しか知らない(味わえない)というのはある意味、致命的なかんじがします。感謝という感覚・感性を人生をとおして受け取れていたなら、、、それだけで人生を豊かに生きていけるようにおもいます。

ツイッター(x)でも

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「じぶん」という魚は、ストーリー性という水の中でしか生きられない。

「じぶん」という魚は、ストーリー性という水の中でしか生きられない。

『非二元エッセイ』なんてYouTubeチャンネルをやってますので、たまには非二元ぽいタイトルの記事を書いてみたいとおもいます!

探求における内観力

↑これがなにかと大事だとおもっているのですが、

いまここでなにがおきているか??
(いま「じぶん」はなにをしているのか??)
ということに気づく、、、という気づきです。

( その思考は、なにをしているのか? )

思考に気づく…とも言えますが、

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そのような「ストーリー」がポジティブでもネガティグでも ある・スクリーン・大前提

そのような「ストーリー」がポジティブでもネガティグでも ある・スクリーン・大前提

左脳さんは「大丈夫」でありたいんです。

でも、それも「わかった、わからない」とおなじように変動しつづけます。

左脳さんは「幸せ」や「わかった」「ポジティブ」を保持して「大丈夫」だと「安心」したがっていますが、それはネガティブ⇄ポジティブを行ったりきたりしつづけるような性質のものです。

全体性 というのは、ニュートラルなハードディスクみたいなもので、好きだから…とか嫌いだから…というような理由

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プロフィール、最近、、、??

プロフィール、最近、、、??

「noteのほうも更新してください」という、ありがたいメッセージをいただいたので、本日ツイートした内容について久しぶりに記事にしてみたいとおもいます。

「 最近どう? 」

とおなじく、自己紹介を求められてもなにを言っていいのか…困ってしまったりします。その「最近」と呼んでいるものも「プロフィール」も、、、

いまここにはない、なにか
(過去の記憶などの思考)だったりするからです。

この「じぶ

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ノンデュアリティ・悟り探求していた人が「 右脳意識になると、こうなる。 」

ノンデュアリティ・悟り探求していた人が「 右脳意識になると、こうなる。 」



前回のつづき

もし、非二元・ノンデュアリティ・悟り的な
探求が起きている場合には

そういう探求が終わると、、、
( =右脳意識になると、、、)
非二元・ノンデュアリティで語られているようなことが

「 どーでもよくなります 」

コトバ・思考的理解の重要性が落ちる
= 左脳ではなく右脳優位になるからです。

非二元・ノンデュアリティ・悟りについての描写も
「なんでもいいよー」になってしまう

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ホントウソって…どっちもおんなじ。

ホントウソって…どっちもおんなじ。

それをホントだと信じた…
それをウソだと信じた…

それによって起きてくる
現象=ストーリーがある。

その「ストーリー」によって
わたしたちは 運ばれていきます。

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左脳さんって裏付け・根拠がないと信じれない
逆を言えば、それがあると「まるっと信じちゃう」

そんなふうに左脳さんは

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Kindle新刊のお知らせ「 人生はストーリー 」

Kindle新刊のお知らせ「 人生はストーリー 」

先日2冊目のkindle書籍を発売しました!

そして、おかげさまで

形而上学・存在論【ベストセラー1位】
・ Amazon有料ランキング2部門にて獲得
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

タイトルは、、、、

「 人生はストーリー 」

非二元・ノンデュアリティ視点からみた
「思考で出来たス

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(わからない・空白)というデフォルト

(わからない・空白)というデフォルト

わかった・わからない
…… と言っているのは誰???

“思考・左脳さん”が静かなとき、それも含めて、

なにもない。

(わからない・空白)というデフォルト…

ここを(空白)のままにできなくて、
ここを(仮)でもいいから埋めておきたくて…
埋めたところでそれ、ぜんぶ(仮)なんだけども
(わかった・わかっている)ということにして
安心したい思考・左脳さんの動きです。

いまここにないものについて

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とはいえ、、、フツーなことはフツーなまま。

とはいえ、、、フツーなことはフツーなまま。

なにも起きていない…っていう感覚を「だれも生まれてもいない」と表現・例えてみたりするのだろうけど、ストーリー性、連続性がない…という

右脳域からの事実。

けれど、おもしろいのは、左脳域からはそのことに気づくことができなかったとしても、左脳と右脳が別々のなにかを見ているわけではなくて、

ここにあるのはこれ・ひとつ…

それぞれの認知や解釈が変わっても
「事実そのもの」はおなじひとつ。

だか

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腑に落ちるまでは「終わらない」から腑に落とす

腑に落ちるまでは「終わらない」から腑に落とす

どこにいてもおなじ=満たされている

…というのは、左脳過剰の日常はコンテンツが中心なのだけど、右脳から知覚される日常は「ここが中心・ここはいつでも変わらない・普遍」だからなのだとおもう。*そんな体感・知覚についておしゃべりした回がこちらです。https://youtu.be/S2Bv9A1dexM

コンテンツは無常、、、

ポジティブ・ネガティブどちらにも固定することはできない、移り変わる、、

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