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「変わってる」とは、「善悪」や「正誤」ではなく、単なる「多寡」である  ~『醜いアヒルの子』に学ぶイジメ問題が少しは楽になる生き方~

ある日の夕食時、娘が「私ってよく友達に、「変わってる」って言われるんだけど、やっぱりヘンなのかな?」と聞いてきた。つまり、仲間内で「変わり者」と思われている、ということなのだろう。

もともと、『醜いアヒルの子』論者?である私は、娘に対して「ヘンかどうかというのは、良いか悪いかとか、正しいか間違っているか、ということではなく、そういう個体の数が多いか少ないか、というだけのことだ」と答えた。
「ヘン」=「間違っている」、あるいは「ヘン」=「ダメ」といことではなく、最も多数派を占める平均値付近の人間達とは違う特性を持つ、ということに過ぎないのだと。
 
統計学の正規分布でいうと、平均値の周辺が最も分布が多く、平均値から1標準偏差(σ)以内に約3分の2(正確には68%)が集まる。そしてその外側にあたる3分の1の内の更に半分が上位16%(6分の1)で、あとの半分が下位16%になる。このどちらの人達も中央の平均的な集団から見ると「自分たちとは違う」という意味で「ヘン」なのである。

正規分布

 100人が受けて平均点が60点で標準偏差が20点のテストで例えると、40点(=60-20)から80点(=60+20)までの間に68人が入り、80点以上が16人、40点以下も16人ということになる(正規分布の場合。偏差値で表すと、60点が偏差値50、80点が偏差値60、40点が偏差値40になる)。そうすると、平均的な68人から見ると、下位16人に対しては文字通り「ヘンな(馬鹿な)ヤツ」という目線で見るだけでなく、本来は成績優秀な上位16人に対しても、自分たちとは頭の出来が違う「ヘンな人」ということになるのだ。

ここにイジメの本質があり、イジメの対象となるのは、自分より劣っている相手だけでなく、自分より優れている相手も同様である。正規分布の「右か左か」の違いに過ぎず、「優劣」も「正誤」もない。ただ単に、「自分とは違う」という「差異」だけが根拠になる。いわゆる「ハブる」というやつだ。

 16人に対しての68人は4倍以上の人数なので圧倒的に少数派となる。だからその集団内では「ヘン」すなわち「少数派」ということになるのだが、当然、母集団が変われば多数派の分布もまた変わる。先程のテストの例えでいえば、中学では上位集団に属し、平均値集団からは「ヘン」と思われていた層も、上位の高校に進学すると、そこでは中学の上位集団の出身者ばかりなので、高校では平均値集団になる、というのと同じである。 

だから、たとえ「アヒルの集団」の中では醜くても、「白鳥の集団」の中に行けば普通になるので、属する集団を選べば楽になる。この『醜いアヒルの子』の寓話では、「アヒルより白鳥の方が優れている」という人間目線の前提が根底にあるが、本来、アヒルと白鳥に生物学的に優劣があるのかどうかなど分からない。あくまでこれは、集団の優劣ではなく、特性の違いに過ぎないのだ。だから自分と近い特性を持つ集団に属せば、それがどんな集団であれ、少なくとも周りと比べて「自分はヘンなのかな?」と思い悩むことはなくなるはずだ。


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