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謝罪 おくゆかしさ

さてコロナ感染など、被害者が「すみません」と謝罪する文化に関して、国内でも賛否論が一部で出ているようです。

そんな議論を色々観ていたら思い出した事があります。

昔、sorryの使い方で注意を受けた事があった。

So sorry,,,,excuse me ,,,thank you,,,,などなど、、なんでもかんでも「すみません」と表現してた事。

日本語はなんでもかんでも「すみません」なんですよね。

これって全て謝罪で「すみません」と言っている訳じゃないですよね。意味合いで行けばお礼の意味も含まれたり、感謝の意味が含まれたり、様々意味が含まれた「すみません」なんですよね。

言う側は「すみません」と言う単語を使いますが、日本語の文化は言う側聞く側で察知し合う文化がる。

日本語は「察知し合う」と言う思考を要します。

コミュニケーションの方法論といえば良いのかどうかわかりませんが、例えば英語と米語も伝え方、聞き方が変わってきます。雑破に言えば、米語はストレートなコミュ、英語は間接的な言い回しのコミュが多いんです。

ですので、英語は周りくどい、その点米語はストレートで良いと言う人もおります。これって文化の違いなんですよね。英語に慣れていない日本人から見れば英語と米語の違いすら知りませんので、一緒じゃね?と思うのですが、やはり文化が違うので同じような言語を使っていても、アメリカ、イギリスで単語の意味合いが違ったり するんですよね。

昨今議論になっている「大変申し訳ございません」

この言葉には「奥ゆかしさ」が含まれているような気がします。謝罪だけじゃなく、お礼や感謝も含まれての言葉じゃないかなと思います。

感染した病人が謝罪、病人に謝罪要求する国、そう言うと日本てとんでもねぇ国だなと世界は驚愕してしまいます。

勿論、人間社会なのでいろんな人がおります。面白おかしく責め立てる人間も実際におりますし、叱咤激励の意味で怒る人もいますし、いやいや逆にお大事にねと思っている人もおりますし。

で「申し訳ございません」と言う側

こちらも「みんなも気をつけているのに、ミスっちゃいました」「みんな不安なのに、不安の種を一つ増やしてしまいました」と言うような「申し訳ない」も含んでいると思います。この意味合いなら世界どの言語でも存在すると思います。

英語圏だって言いますよsorryと。

みんな寝ずにあるプロジェクト成功させるために踏ん張っている、自分の不注意もあり病気した、怪我した、プツンと緊張の糸を切ってしまった、なんて時、誰だって仲間に「sorry」と言いますよ。当然言われた仲間は「何言ってんの、心配しないでゆっくり休んで」「あなたは病人なんだから、、」と言いますけどね。

これは謝罪要求ではなく、仲間への素直な気持ちです。sorry と言いますが、仲間への素直な気持ちなんです。単純に謝罪と言う判断ではないと思いまいす。このsorryに対して誰もおかしいんじゃない?とは批判しませんよ。人間として仲間としての素直な気持ちを表現した「sorry]なんですよね。それに対し謝罪する必要なし!!なんて批判は出ません。

ましてや複雑な言語の日本語。単純に「申し訳ございません」が謝罪だけの意味合いかと言えば、違うと思いますね。

その言葉を発する人の様々な意味が含まれての「申し訳ございません」だと思います。

ですので、周囲が単純に判断して「謝罪義務の是非」など議論しても仕方がないと思いますよ。

そんな事で議論し合うなら、もっと日本文化の奥ゆかしさとか「聞き取る美的センス」とか議論した方がよっぽど良いと思います。

日本は病人に謝罪要求する国

その真意はどこにあるのか?

日本はなんでもかんでも「申し訳ございません」

その真意はどこにあるのか?

是非を議論するのではなく、日本言語の美、日本文化の美を議論して欲しいものです。

考える事は面倒で難しい、だから直ぐに判断してしまいがちですが、もっと深く考えてその中にある真髄、本質を見るようにして行ったほうが良いと思います。

直ぐに判断する事は一定のレベルに達した大人にとって非常に簡単な事なんです。単純に判断してしまう事柄の真髄を見出そうと深く考える事が大事だと思います。

是非プロの歌手や作詞家の方々には、これを機に「日本語の美」を多くの方に考えてもらえるようなきっかけ作りをして行ってもらいたいものです。

日本は緊張、調和、目に見えないものを見る、耳に聞こえない音を聞き取る、そう言った美が古来から伝承されています。

まさに「申し訳ございません」も単純にSORRYと訳さずに、深く深くその言葉の美を見出していただければと思います。

騒ぎ立てるだけの幼稚な会話はもうよしましょう。



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