TOKYO MXとnoteがコラボして、「#君のことばに救われた」というテーマで投稿コンテストを開催します。
(全3,333文字) 皆さんおはようございます。 毎週水曜日の朝、仕事に関連する記事を投稿している、かけうどんです。 今日は、私が過去に1度だけ本気で仕事を辞めようと考えてしまった瞬間を例に、『仕事を続ける尊さ』について少し考えてみたいと思います。 過去の仕事の記事はこちらにまとめております。 本気で仕事を辞めようと思った時に救われた一言(1)私が本気で仕事を辞めようと思った瞬間 かなり昔のことですが、今も鮮明に覚えています。 ある案件で大ポカをやらかしてしまったと
昨日、友だちと会った。 ここずっと、BAD入っていて 相変わらず鬱っぽくって、と話していたら リリー・フランキーの 『鬱は大人の嗜みですよ。それくらいの感性を持ってる人じゃないと、俺は友達になりたくない』 っていう言葉を教えてもらった。 私もそう思うって、 なんにも感じない、深く考えていないような人と 友だちにならないと思う、魅力感じないと思うって とにかく落ちていたから。 私には染みた。 自分もそうかもしれない。 自分のことや周りの人のこと、考えて考えて う
オッサンは今無職 サラリーマン時代を 振り返ると思う事があります ミスや失敗は誰でもあります 不思議とミスが続く事があります ミスがミスを呼ぶといいますか もうドツボにハマった感じで😰 そんな時、オッサンは何したか? もちろん多少は、落ち込みます でもそんな時は、自分を 客観的に見るようにしました 少し離れた所から自分を 見るようにすると、 不思議と気が楽になりました 客観的に見ると、このミスから 何が学べたのか! 自分は、何処が間違いやすいのか と見ることができて、 そ
🕊️そのものごとが起きたとき、どうすればいいか を 事前にけんとーしておけば大丈夫👌 🕊️不安の85%以上は起きない! とってもこころづよいことば💎✨
◉誰かの何気ない一言が、わたしの一生の心の支えになったアダルトチルドレンとして生きていると、日々生きづらいと感じることが多いですよね。 そんなとき、「自分を支えてくれる心の支えがあったら」と思うことはありませんか? いくら頑張っていても苦しくてたまらないとき、一生の心の支えになるものがあったら。 「心から信頼できる相手もいないし、そんな支えなんて、あるわけないじゃない」 あなたはそう言いたくなるかもしれませんね。 でも、実はあるんです。 それは『誰かからの何気ない
自分の無力さを感じることはありませんか? 人の役に立ちたいと思っていても、誰かのために何かをしたいと思っていても、自分の無力さに打ちひしがれてしまうことがあります。実際に僕自身も、人の役に立ちたいと思っても、何も出来なかったこともあります。その時は、凄く落ち込んでしまい、かなり自分を責めてしまいました。こうして、毎日のように誰かの役に少しでもなりたいと思い「note」を書いているときも、自分の書くスキルのなさに心折れては、自分は何の役にも立たないのではないか。無駄な努力をし
私は幼い頃からことばが好きで、そして嫌いだ。 私は誰かが発したことばを、何日も考えてしまう。だからことばにトゲの多い人と話した後は、刺さったトゲを1本ずつ観察して、自分なりに調査や考察をしたうえで解毒する作業が必要になる。時間をかければ解毒はできるけれど、傷跡が消えることはない。 そうやって、家族、友達、元カレ、先輩、上司、いろいろな人につけられた癒えない傷跡は、ある日突然、再び誰かのことばのトゲによって生傷へと生き返り、もとの傷より濃く、深く、跡を残すこともある。 「
私は長年、言葉の殺傷能力のほうに長年関心を持っていた人間である。 何故なら、たった何気なく一言冗談で言ったつもりの言葉が相手にとっては刃-やいば-になり、そこから口も聞かない関係になることもあった。 逆に驚くほど傷つかされたこともある。 そして気に病んでしまうことさえあった。 わたしはそのくらいに言葉を発するということは責任重大であり、常日頃の課題であった。 そんなネガティブなイメージだった言葉の発信に対して最近は何故か少しずつポジティブに捉えらえられるようになってきている
こんげー、わたげの本音です。 今回は、自分で書いた記事に 心を救われた話です。 毒親の体験談や分析、 対処法などを発信していくので、 SNSのフォローをよろしくお願いします。 x:https://twitter.com/watabokuhonne youtube:https://www.youtube.com/channel/UCa0_qZbAruLJPxRYPp2l-ng 私が救われた自分の記事は、 こちら。 この記事のタイトルで察するかもしれませんが、 私は死
人として一皮むけること。 仏教ではこれを「悟りを開く」と言うことがある。 悟る条件、人として一皮むける条件とは何か。それはおそらく次のような場合においてよく表れている。 ある課題に長けた人というのは、同じ課題で躓いている人と比較して、自分が今、どこでどういう訳で躓いているのかがわかる。 何かに長けるとは、凡人よりもその事柄について見通しを遠くまで立てることができるということだと思う。 途中でやり方がわからなくなったり、あるいは先の未来に希望が見えなくなったりすると、凡
休職をしてから4ヶ月。 うつ病を患い、再起不能かと思っていたあの頃から2日後に復職を控えるまでに回復することができた。 この4ヶ月間、私は人の言葉と優しさに沢山救われた。 私をここまで生き延びさせてくれた大切で宝物のような言葉たちを絶対に忘れたくないので、ここに記しておきたいと思う。 本当に幸せで恵まれていたと思うことは、この休職期間に寄り添って背中をさすってくれる友人がいたことだったと心から感じている。 過度に私を丁重に扱わず、いつも通りのおふざけと茶化しで笑わせてく
説明は後まわし。 早速タイトルに書いた言葉を共有します。 『〇〇(名前)が新しい職場で長く元気で働けるように祈ってるからね。 今は辛いけど、生きてたらいい方向に絶対動くから。 一緒に頑張ろうね。 絶対幸せになろうね。』 友人からもらった言葉です。(転載許可済み) 私は適応障害で休職し、復帰するも職場が合わず再び病んでしまい、最終的に退職することになりました。 退職するまでの数カ月間ずっとストレスが続いてる状態だったのです。 そんな高ストレス状態だったときにもらったので
めっちゃくちゃ久しぶりに暴走族を見ました。 フォン、フォン、フォーン ズド、ズドドドドド パタン、パタン、パタ、パタタタタ スパ、スパパパパ ビィィーーーーーーーン ウォン、ウォウォ、ウォン、ウォウォ パー!パー! うるさすぎて、イヤホンの音も全く聞こえません。 50台くらいでしょうか。 昔の仮面ライダーのバイクのような ハンドルらへんの頭と透明のカバーがグーんと伸びたやつや 座席の後ろがグイーーーんと伸びたやつなど 「ザ暴走族」というバイクを走らせていました。 ピ
言葉より、行動を見る よく聞く言葉だけれど、 やはり先行して言葉が先に在ると 私は思うのです。 私もきっと発してから 行動していることが多くて 時と場合によっては 行動して時が経ってから話すこともあるのだけれど、。 最近凄く嬉しい言葉を貰ったんです。 本当にひょんなことから それが全部偽りだったと後から気付くのですが。 もうね、泣きました。 私が普段から素直に生きすぎているからなのか そんなことって、と最初は思いました。 その時は抱えきれず 信頼できる友人にぽつ
私は2024年現在、学生の女。 もうそろそろで学年が上がり忙しくなる時期。 だが、そんな時でも私が永遠と推すことを誓った(変な意味ではない)推しがいる。 それは「にじさんじ」所属の二期生、「剣持刀也」(k.t)と言う男だ。 なぜここで、しかも初投稿で此奴のことを紹介するのか。 それは単なる私の経験を聞いてほしいだけ。 今見てくれてる人はここから長くなる話だから 時間がなければページごと消してもらって構わないです。 では早速ですが、私が「剣持刀也」と言う男に救われた経
わたしの周りには、 たとえどんなささいなことだとしても、 いつもちゃんとことばにして 伝えてくれる人がたくさんいる。 ことばを大切にしているのはもちろん、 思ったことをちゃんとことばにして 伝えてくれる人が、たっくさんいるのだ。 わたしは以前まで 相手からどう思われるのかを 気にしてしまったり、 なんだか恥ずかしくなってしまって、 思ったことはなかなか言えない性格だった。 しかし、そんなわたしだったのが、 ある友達にあこがれて、 すこしずつ変わることができたのだ。 遡
私も夫も、真面目だと思う。 うーん、どちらかといえば融通が利かない。 これはこうあるべきだ!が結構強かった私。 そんな私を救ってくれた言葉がある。 「世の中いろんな人がいる」 夫の言葉である。 言葉自体は大したことないのだけれど、 (夫よ、ごめん) 私には、目の前が一面青空になるくらい、 清々しい感情をくれたのだった。 この言葉の効果を初めて感じたのは、 ママ友との関係でモヤモヤしていたときだった。 「世の中いろんな人がいる」 って言葉は、夫から言われたこともあ
休日は予定がないと不安になるタイプ。 学生時代から土日も部活や実習があったからだろうか。 いや、でもコロナ禍で自宅待機を余儀なくされた時、 一日中家にいてもるんるんでおうち時間を満喫してた。 あの時が心身ともに1番健康な時だった。 きっともやもやしたものがなかった。 世界中が同じ境遇だし、 何かと比べる自分もいなかったのだろう。 久々に平日にゆっくりしようと 何がある訳でもないのに今日は有給にしていた。 少し身体を休めるために使おうと。 そんなことを思っていて
ここ数か月、noteが書けなかった。 書く心の余裕がなかったのもあるけど、いろいろなことが重なり自己肯定感が過去最高になくなり、「自分の書いた記事になんの意味があるのか」「誰が読んでくれるのか」なんてことを思ってしまって、書く気になれなかった。 自分のために書いていたはずなのに、「スキ」の数=自分を認めてくれる数にいつの間にかすり替わっていた。 こわいこわい。 最近気づいたことだけど、私は自分が思っていた以上に承認欲求が強いらしい。誰かに認められることで自分の価値を見出
私には 私のことを「必要だ」と まっすぐな瞳で言ってくれる人が この世の中に、ひとりだけいる。 だんなさん。 入籍したのはつい最近。 でも、かれこれもう6年くらい、一緒に人生を歩んでいる。 ただ、その6年、私の中ではかなり波乱の日々だった。 まず、自分の家族と関係を絶った。 ずっとずっと苦しめられていた家族と離れる決心をして、スーツケースとリュックサックを持って、家を出た。そこから帰っていない。 そして、社会人になって、ずっとなりたかった職業に就いたけれど、うつ病や
私がもやもやしている時、あるストーリーをあげた時をきっかけに推し友と長文のDMをずっとやりとりしていて。その子はいつも素敵な言葉をかけてくれる子で。人としてすごく大好きな子。 わたしがモヤモヤしているとき、好きを発信することを迷ってしまったとき、その子は私がくぅちゃんに向ける好きを凄く素敵だと言ってくれた。誰にも言えず辛かったこと、気持ちのやり場がなかったこと、それをよく耐えたねって、感情的にツイートもしないでよく耐えたねって言ってくれた。 その子のおかげで、私はずっと好き
もう10年以上も前の話になるのですが、 帰宅の山手線内で起きた出来事。 その日は帰るのが遅くて、 終電に近い時間帯だったこともありギュウギュウでは無いけど、そこそこの人がいた車内。 私は扉に1番近いところに座っていて、 目の前には男性が立っていました。 多分、30代とかでラフな服装だったと思う。 忘れもしない西日暮里駅に停車した時。 立っていた男性が扉が閉まる直前に 突然目の前にち○こを出して、颯爽と降りていった。 私は「え???」となったが、突然すぎて何も反応でき
【逆に助かった秋元康】 行為中に、 「君の名は!?…希望。」
自分は「誰かの言葉に救われた。」という経験がない。 そうした気持ちになったことがない。 共感してもらえた喜びだとか、 受け入れてもらえたという安心感だとか、 スッと気持ちが楽になった経験だとか、 自分の内面の傷が癒されていく感覚だとか、 そんな経験をしたことがない。 精神科にかれこれ2年ほど通っていて、医師やカウンセラーと話す機会もそれなりにあった。 あるいは、精神科にかかる前から自分の生き方に違和感を持っていたので、何度かカウンセリングを受けたこともあった。
以前、記事で取り上げた 父親が先日で71歳になった。 アラフォーにもなって 父親のことを熱っぽく語るのは どうかと思うのだけど、 去年のはじめ、 軽度の脳出血で倒れ入院してから、 ずいぶん、 親のことを考える時間が増えた。 父親には、2つの名言がある。 一つは、 大丈夫だよ もう一つは、 今日も元気だ、おならがくさい。 である。 少し話は脱線するが、 国語の授業で、 評論文を生徒と一緒に読んでいると、 筆者が論証を強固にするために、 著名な人物の言葉ばかり
【ぶち壊しちゃった新海誠】 行為中に、 「君の名は!?」
こんばんは。 友人から、後輩の日本語使用に関する相談があり、とても興味深かったので、こちらでも共有します。 なんとなくイライラ 後輩が何も考えず、語尾に「よ」を言うことを気にしていました。 Qこの書類できた? Aできましたよ。 Q出身はどこ? A〇〇県ですよ。 Q〇〇のこと、わかった? Aわかりましたよ。 うーん、何が悪いかはわからないけど、 後輩から言われるとイラッとする感覚はおわかりいただけるでしょうか? 「よ」の用法 「よ」は、主に終助詞として使われてお
自分の思ったとおりにならない。 思ったような成果が出ない。 このままでいいのだろうか… フリーランスという働き方を目指す中で、未来に不安を抱くこともある。 常に不安を抱いているわけではないけれど、ゆらゆらと、不安、希望、恐れ、自信。 いったりきたり。 落ち込みそうになりそうな自分を励ましながら「できる」と信じて進む日々。 ✳︎ そんな中、何気なくテレビを見ていると、 ある方が、 そのようなことを話していて、目から鱗だった。 うまくいかないことがあれば、自動的
逃げていく 言葉達が 私の手から すり抜けて お前の力では 私達の力は引き出せない お前には まだまだ 修行が足りないと 逃げていく言葉達 振り返りもしないで 風に乗り 途方にくれて 空を仰ぐ とんとん 誰かが肩を叩いた 生まれたばかりの 言葉が そこにいた その言葉が初めて 発した言葉に 涙した 「出会ってくれてありがとう」 溢れる涙を拭きながら 「ありがとう」 私も返したんだ 手のひらに残った小さな言葉 私は優しく撫で続けた
こんにちは〜! ここ最近仲良くしている方の話をします HAPPY は伝染するって話です🌷🤍 出会った時はとっても現実主義でした 楽しいこと好きだけどどこか冷めているような 例えば 私はゆめふわわなところがあるので 話している時に11:11を見たりすると "え!素敵なことが起こる!"とすぐに言います が!!!! "え?そういうの何も思わない、毎回思うの?" とばっさり言われてしまって驚きました いやあ、これに始まり色んなことを どこか諦めているというか期待
お袋の言葉、○○で良いなら… するな!
2024/04/30 4月も最後の日。 手帳を開いて4月やったことを思い出してて、振り返る。 (誤字多め…) 4月は濃いめの1ヶ月だった気がするな。 そんな中でもやっぱり一番は ザ・マジックのワークを28日間続けたこと。 1日1日決められた事をやるのって、意外と楽しい。 感謝することの大切さ、生きてるってそれだけでありがたいと思えて、前向きにもなった。 4月中旬頃の、義母が亡くなりそのことによって考えることも増え、今をしっかり生きたいなって思うようにもなった。
梅雨明けの熱帯夜、 海沿いのアパートで暮らす20代の文学少女は、今宵ひどく落ち込んでいた。 絶望に飲み込まれないように、 真夜中に部屋を出た。 絶望の縁を歩きながら思いのままに話す彼女の独り言は、 僕の心にはとても美しく映った。 〜彼女の独り言〜 明るくなるまで歩こう、 部家に戻るには通路の電気のところに大量のカメムシがいるんだよね。 それをねくくり抜けて… 嫌だなぁ、 だから、朝になるまで戻りたくない。 近場の海沿いだけど… そう、 私は今ここがもうすでに冒険です
ああ、嫌な夢だった。 いや、果たして夢だったのであろうか。 皆んなが嘆き悲しんでいる。 皆んなって誰だ?もうそれすら分からない。 だが、ともかく俺は足を止めた。 分かっているのはあと一歩前に出たら確実に死ぬという実感。 ただ、それだけだ。 何故目の前に並んでいた人は大戦下の特攻服のような物を着ていたのだろうか。 確実に死ぬというのに彼は出て行った。 その時聞こえた胸が砕け散ってしまうような悲痛な叫びだけが、耳に焼きついて離れない。 果たして朝は来るのか? 俺は
遅桜 スロースタートな 桜だね… 君の言葉で 僕は、生きてる
僕が好きじゃない君が好き 君が僕を好きになったら 僕は君を好きじゃなくなる だから君は僕を好きにならない だから僕は君を好きなままでいい 僕は君が好きなままで痛いけど 君が好きじゃない僕にはなりたくない 君が好きじゃない僕になるなら 消えたくなるから愛しあったまま逝きたい
2024年2月から2024年3月の原稿のなかから、 届けたいことばを選び、並べ直し、 絵を追加して再編しました。 からだは、とっくに動いている。 「いい天気だから動きたい」んじゃない。 熱とか不要な物質とか、投げ出したくて うずうずしてる。 その人のことを知りたければ、食べている一品を見よ、だね。 犬が、鼻でものを選り分けるように、 鳥が、口ばしで泥のなかの虫を探し出すように、 人は、「手」で感じ考えて 好みの商品を選ぶ。 ただ写真に撮られるって、 いつまでたって
ここ数日、なんかすさんだ気持ちになってるのですが、なんとかやっています。 うまくいかないというよりも、相手が何を考えてるのかが全くわからず、なんだそれ?なある意味諦めな気持ちになることが多くあり、仕事は1人でできないと信じてる自分からすると救いようのない情けない気持ちになるのです。 そんな時間が過ぎている時、 すごくご無沙汰な方からメッセンジャーで通知がきました。ほんとたまたまなんでしょうが、小さなことではあるものの僕のことを気にかけてくれたお誘いでした。 しばらくお会
バタバタしていて気持ちに余裕が無かった今日、ある人が心配の声を掛けてくださって。 誰も見ていないと思っていても、見てくれている人はいるのかな、なんて思ったり。 「小さな親切 大きなお世話」なんて言葉もありますが、あのときのあの人のささやかな言葉に私が癒やされたことは確かな話で。 たかが言葉、されど言葉。 大切にしていきたいものです。
今日もお読みくださってありがとうございます! 飛蚊症かと思ったらほんとに蚊がいて、むしろうれしくなった夜です。 今日は家族の病気の精密検査結果日でした。 まず、行った検査の結果説明と、病気の説明と治療の選択肢の説明がありました。 高齢でもあり呆然としていた本人に代わってメモを取りました。 聴覚からの情報が苦手なくらた、病気の用語がわかるだけでも事前に予習して行ってよかったです。 まずはどこで治療するかを決めてください、と言われました。 もちろん今の病院でもできるけれど
川口市出身の自称読書家 川口竜也です。 かれこれ1年以上noteを継続投稿している。未だに自分が目標に掲げている「言葉を届ける人」に向かっているのか、わからなくなる時がある。 役に立ちました!共感しました!というコメントを頂くことがあるけれども、それって言葉を届けていることに含まれるのだろうか。 ライターとして仕事をしているが、これはある意味情報を届けている感覚が強い。 もちろん、この記事を読んだから実際にサービスを使ってみようと思ったのなら、ある意味この記事(言葉)
昨日の夕方 生きていることの意味を考え始めてしまって そんな思考をとめたくて 早々と眠りについた。 (note「命が消えるとき」参照) 案の定、夜中に目が覚めてしまった。 それとほぼ同じタイミングで、だんなさんが帰ってきた。 1日働いて、終電に揺られて帰ってきた彼。 翌日も1日お仕事。 いつもならすぐに寝て明日に備えるのに、なぜか私とおしゃべりをしてくれた。 世間のニュース 今日の仕事であった面白い話 そろそろ…と考えている引っ越しの話 などなど。 気づいたら4時
25日目のお題は「今日1日にあった感謝したいこと」。 今日に限らず毎日なのだけれど、それは「推しの曲に救われたこと」。 私の推しの名前は山本彩(やまもとさやか)さん。 名前だけでピンとくる方がどれくらいいるのかわかりませんが、元AKB48で、朝ドラ主題歌「365日の紙飛行機」のセンターにいた子と言えばお分かりいただけるでしょうか。「あさーのそらをみあーげてー」で始まるあの曲ですね。(早口) ちなみにこの説明は厳密には間違っているのですが、語り始めると長くなるので割愛し
HSPや繊細さんという言葉が、炎上キーワードになってしまっているのは残念な限りです。 ブームになってからは、その一言で、それまで和やかに会話をしていた相手が一瞬で心を閉ざすという状況が数回あり、相当気を遣うようになりました。 長期間、その性質からくる困りごとから悩まされてきた自分としては、この言葉で検索することで、自分の生活や人生を改善できる有益な情報にアクセスできるようになり、とても助かっているのですが、免罪符代わりに使う人が多いことがとても残念です。 人それぞれが元
日記のように使おうと思っているこのnote。 でもやっぱり、この日のことは書いておいた方がいい気がするので、後付けになっちゃうのですが書きます。 この前の日曜日、サンボマスターのライブに行きました。 そこで、幸せな呪いをかけられました。 順を追って、書いていこうと思います。 まず、ライブに行こうと思ったきっかけは「THE FIRST TAKE」の動画を観たことでした。 画面越しなのに、目の前で言われているようなパワーとエネルギーの強さに、家で大泣き。 この人たちの音
「自分の力でなんとかしようとしなくて大丈夫。自然にゆだねて、まかせて」 占いYouTubeを見ていたら、そう声をかけられた。ぷしゅ〜と私から空気が抜けた気がした。 もはや笑えるくらい嬉しくない出来事が立て続いて起きた。揉め事に巻き込まれたり仕事のトラブルが起きたり、心が落ち込むような相談が届いたり。隔日ペースで発生するそれらを受けて、2週間のうちに何度も泣いていたら体調を崩した。しばらく感じたことのなかったような頭痛に見舞われ喉が痛み、ぞくぞくしたかと思えば熱に変わった。
人は人に支えられて生きている。 当たり前のようで、意外と気づかないこと。 私は人に感情をぶつけるのが苦手だ。 高ぶった感情を向けられたときのしんどさを知っているから。 怒りや悲しみ、苦しさ、しんどさといったマイナス感情は、ぶつける側もぶつけられる側もしんどい。疲れる。だから苦手。 でもある時、あまりの苦しさに耐え切れず、人に少し内面を吐露してしまったことがあった。 相手は信頼している人ではあったが、「やってしまった」と思った。 こんなこと言われても困るよな... めん
2024年の年明けは、2つの衝撃的なニュースで始まった。能登半島地震、そしてJAL機衝突事故。被害にあわれた方へ、お見舞いする気持ちはあるものの、自分には何もできないと、2つのニュースからあえて逃げていた。 正月休みに読んでいた、北の達人コーポレーション 木下勝寿さん著書の「売上最小化、利益最大化の法則」97ページに、こんな文章がある。 自分で生み出した利益は、世の中に提供した付加価値の総和であり、お金を稼ぐことで社会貢献ができる。 この文章に出会い、自分には何もできな
こんにちは。 4年目、電験2種にチャレンジ中です。 思い返ってみると電験に人生救われた気がしてたので、書いてみようと思います。 何故、電験を始めたのか 電験の前に、電気業界を目指した理由からですかね。 離婚前に何か手に職をつけて食べいかないといけない。 という危機感はあったのですが、 特にやりたい職もなく。 就職支援で奨学金?が出る職業にも興味がなく。 サービス業は向いてないと、お客に言われた。 工場作業は毎日同じ事の繰り返し、すぐに飽きてしまう。 そんなネガティ