高松藩屈指の天才 平賀源内は草間茶屋に通い詰めた。歌舞伎役者の二代目 瀬川菊之丞に惚れ込み、関連本も出版した。 十返舎一九の『東海道中膝栗毛』、 弥次喜多の二人の関係は喜多八が矢次郎兵衛の馴染みの蔭間だった。 ↓ https://bizconsul.net/2023/12/19/135335/
『東海道中膝栗毛』の作家として名高い十返舎一九。 大の酒好きでもありましたが、実は当時の作家は貧乏の代名詞。酒代も満足に稼げませんでした。 しかし、一九はやはり大物。家財を酒代のために全て売り払うと、壁に紙を貼り、家財の絵を描いて悠然としていたとか。 これぞ究極のミニマリズム…?
拾ヶ堰を作るにあたっては、当時、安曇野を訪れていた十返舎一九の存在がうまく利用されていたのではないかという説。 https://genbou.blogspot.com/2020/02/blog-post_27.html