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前田愛『成島柳北』の世界1

馴染みのないというか、日頃まったく縁のない難解な熟語が、前田愛『成島柳北』(朝日選書)の引用文に頻出するのに難渋する。だが、それを調べているといつの間にか謎解きのような楽しさに嵌っていることも少なくない。おまけに誤植を見つけたり、ということから……。 柳北が柳橋芸者との歓楽を共にする一人、「杉恒簃」は「柳北の従兄にあたる杉本忠達のこと」であるとし、つづいて引用する栗本鋤雲「知人多逝」(『匏庵遺稿』)に、杉本忠温は「老羸(ろうえい)を以て死す、年五十九歳」とある。はてさて、忠

    • 〈本と読者をつなぐ心〉の行脚録

      久方ぶりに能勢仁さんにお目にかかり、ご著書『本と読者をつなぐ心』(遊友出版)をご恵贈いただいた。卒寿をこえてなお出版人として著作をものする熱力に敬服するばかりである。 まず《世界の書店》を訪ねて、30年間に58か国、700書店を行脚した脚力に圧倒される。心にとまったいくつかを点描すると、まずイギリス・ロンドンの老舗、巨艦書店のフォイルズ書店は、鹿島守之助に「こんな本屋を日本にも作りたい」と思わせた書店であり、実現したのが八重洲ブックセンターである(今は街区の再開発計画にとも

      • 戦場ヶ原・小田代原をめぐる

        男体山を登りながら、眼下に見晴らした戦場ヶ原への憧憬が心をかすめてから、はや5年近くが過ぎていた。このところ低山でもかなりキツく感じだした老耄にとって、あるいは格好のウォーキングコースかも、と思って出かけた。 赤沼バス停から戦場ヶ原自然研究路へ入った。湯川に沿って歩いていると、川でマスを釣る人を何人か見かけた。羨ましい。木道を進むと、両脇の湿地にレンゲツツジが艶やかに咲き、ワタスゲの白い綿毛も見ごろなのか。しばらく進むと、川底が「赤い川」を渡る。たしか男体山の山頂付近は赤褐

        • 本阿弥光悦の芸術と出版事業

          本阿弥光悦は書画から漆芸、陶芸に至るまで声望の高い総合芸術家である。先の「本阿弥光悦の大宇宙」展(東京国立博物館)で購った玉蟲敏子・内田篤呉・赤沼多佳『もっと知りたい 本阿弥光悦 生涯と作品』(東京美術)を読んで、とくに「出版事業と宗達との共作」の章に刮目した。以下、その出版活動のあらましを抜き書きしておきたい。 〈日本の出版文化史上において、文禄二年(一五九三)の『古文孝経』と慶長十三年(一六〇八)の『伊勢物語』の刊行は記念碑的な出来事とされている。(中略)近世初期の出版

        前田愛『成島柳北』の世界1

          日連アルプス周遊記

          きのうの朝、土曜日なのに、高尾行きの快速はなぜか通勤ラッシュ並みの混雑。とうとう高尾まで立ち通しだった。 藤野駅から日連大橋を渡ってしばらく歩くと、日連アルプスハイキングコースの入口。ここから標高410mの金剛山山頂までは、九十九折の急登が続いてキツかった。というか、老耄のちょぼちょぼのエネルギーを早々と使い果たした気分である。 ここから十数分歩くと、「峯山頂へ1分」の標識が立っていて、1分ならと分岐を左折した。陣馬山、生藤山、雲取山、三頭山などが目に入り、山頂からの眺望

          日連アルプス周遊記

          灰屋紹益『にぎはひ草』抜き読み記

           夜も涼し     よもすすし  寝覚めの仮庵   ねさめのかりほ  手枕も      たまくらも  ま袖も秋に    まそてもあきに  へだてなき風   へたてなきかぜ 吉田兼好は、アタマの文字を上から読めば「米賜え」、オワリの一字を下から読めば「銭も欲し」と、米と銭の無心を折りこんで和歌を詠んだ。沓冠のレトリックである。その兼好に比べれば、「我とめる身にはあらざれども、よね(米)あり、ぜに(銭)あり、民のかまどのにぎはひある人まねして、心のいとまさらになく、心身

          灰屋紹益『にぎはひ草』抜き読み記

          大田南畝『仮名世説』の光悦像

          大田南畝は「本阿弥行状記」を見た数少ない人の一人である。「本阿弥光悦が行状記といえる書を、人に借りて読みしが、光悦の芸、一としてその妙手にいたらざるはなし。(中略)文あり武あり、人となり一時の傑というべし」と賞嘆する南畝『仮名世説』の一節が、先の正木篤三『本阿弥行状記と光悦』に引かれていた。 その『仮名世説』(『大田南畝集』有朋堂文庫)にザッと目を通してみると、もう一か所、光悦を俎上に載せているので、ここに抜き書きしておきたい。 「本阿弥光悦は、(了寂院と号す。)晩年洛北

          大田南畝『仮名世説』の光悦像

          正木篤三『本阿弥行状記と光悦』抜き書きの賜物

          最近、あまり馴染みのないジャンルの本を読んでいると、老いのせいもあるのだろうが、気に留めた個所がアレッという間に記憶から消えていく。やむなくその都度抜き書きしていると、不思議なことにというか、嬉しいことに、その本の叙述する世界にいつの間にかスッカリ嵌っていることに気づいた。「本阿弥行状記」中巻・下巻にざっと目を通したくて、正木篤三『本阿弥行状記と光悦』(中央公論美術出版)を手にして、心に響く個所を自分流に書き留めながら繙き、抜き書きの効能を体感したのである。 《中巻》の冒頭

          正木篤三『本阿弥行状記と光悦』抜き書きの賜物

          益子の雨巻山を山歩する

          いまは昔、シルクロードを旅して、敦煌へご一緒した荒田秀也画伯から、絵画展「道のア・ラ・カルト」のご案内を頂戴した。なんと会場は陶器の町・益子である。西域の情緒に惹かれて、会場のワグナー・ナンドール アートギャラリーを訪ねた。おまけに真岡鉄道は初めてなので、ちょっぴり「乗り鉄」気分も味わった。 あわせて雨巻山の山歩を思い立った。雨巻山は益子町の最高峰、と言っても標高533.3mの低山である。登山口まで1時間余り歩いて、大川戸ドライブインでお昼の腹ごしらえ。三登谷山尾根コースを

          益子の雨巻山を山歩する

          本阿弥光悦の「小宇宙」―『本阿弥行状記』を読む

          本阿弥光悦の母・妙秀はとんでもない“肝っ玉かあさん”であり、『本阿弥行状記』(日暮聖・加藤良輔・山口恭子訳注、東洋文庫)は、その妙秀の“武勇伝”から始まる。先の《本阿弥光悦の大宇宙》展にふれて本書を手にし、一知半解をおそれず、以下はその現代語訳からつれづれに抄録した光悦の「小宇宙」である。 光悦の父、すなわち妙秀の夫・光二が織田信長公からあらぬご勘気をこうむった際には、妙秀は鹿狩りを楽しむ信長に夫の無実を直訴して許されるのである。秀吉の時代のこと、盗賊に蔵を破られ、預かりも

          本阿弥光悦の「小宇宙」―『本阿弥行状記』を読む

          金冠山から富士山を眺望する

          修善寺温泉には目を瞑って、金冠山へ向かった。だるま山高原レストハウスでバスを降りると、駿河湾の彼方に富士山が聳えていた。しばし見惚れてから、伊豆山稜線歩道へ入ると、急登もなく、さながら緑の芝生に覆われたゴルフコースのようである。春の陽光を浴びて歩くと、稜線脇に咲くマメザクラも歓迎してくれているかのようだ。金冠山の山頂に立つと、駿河湾の向こうに絵のような富士山の眺望がひらけた。 つづいて達磨山へ向かう。舗装された緩やかな坂道を下り、戸田峠から稜線歩道に入ると、いきなり長い木段

          金冠山から富士山を眺望する

          官ノ倉山・石尊山を山歩する

          久しぶりの快晴で、黄砂も気にならないので、官ノ倉山を歩いた。山頂に立つと素晴らしい眺望がひらけるというよりも、深い森の山歩きが楽しく気分爽快である。海なし県の埼玉は大高取山、仙元山などの低山でも森林資源に恵まれ、管理がしっかりしているのだろうか。もう一つ、駅から登山口まで長くて、しかも歩くほかない場合が多く、のどかな里をテクテク散策するのも悪くない。 官ノ倉山は標高334mの低山にもかかわらず、急登が多く、立ち止まって休む時間がいちだんと多くなった。石尊山から下る鎖場にはデ

          官ノ倉山・石尊山を山歩する

          中野孝次『本阿弥行状記』の読み方

          先の「本阿弥光悦の大宇宙」展へ出かけて、光悦筆の「立正安国論」や「如説修行抄」など、また小野道風写経「紫紙金字法華経開結」の光悦筆による「寄進状」などを目の当たりにして、光悦の法華信仰は如何なるものか、いささか興味をそそられた。 という次第で、まず手にしたのは中野孝次『本阿弥行状記』(中公文庫)である。だが、中野孝次が原典の『本阿弥行状記』を翻案し、灰屋紹益『にぎはひ草』まで持ち出して、小説に描こうとしたのは“清貧の思想”ともいうべき生き方のようだ。やはり、まず原典に当たる

          中野孝次『本阿弥行状記』の読み方

          長淵丘陵をめぐり赤ぼっこに立つ

          奥多摩方面は久しぶりである。「赤ぼっこ」という名称の珍しさに惹かれて、長淵山ハイキングコースを山歩した。 宮ノ平駅から多摩川をこえ、ハイキングコース入口から山道に入るのだが、要害山の山頂までの上りはキツかった。立ち止まっては深呼吸して、わが身をひたすら励ますほかない。要害山の山頂を越えると少しラクになった。天狗岩は急階段を下った先と分かって、躊躇なく回れ右した。 赤ぼっこからの眺めは素晴らしい。説明板には、「関東大震災の際、この付近の表土が崩れ落ち、赤土の露出した山となっ

          長淵丘陵をめぐり赤ぼっこに立つ

          「本阿弥光悦の大宇宙」と法華信仰

          「本阿弥光悦の大宇宙」展は大盛況、同時に「中尊寺金色堂」「江戸城の天守」展もあって、雨模様もなんのその、東京国立博物館の入場券販売窓口は長蛇の列であった。 本展の〈第1章 本阿弥家の家職と法華信仰―光悦芸術の源泉〉には、「本阿弥光悦肖像」「本阿弥行状記」や国宝の「刀 無銘 正宗(名物 観世正宗)」などの刀類はもとより、重要文化財の光悦筆「立正安国論」――日蓮が北條時頼に奏進した建白書――や「始聞仏乗義」――門下の富木常忍の母の3回忌に際して送った書状――、さらに小野道風写経

          「本阿弥光悦の大宇宙」と法華信仰

          彩の国の仙元山にあそぶ

          昨秋はせっかく剣山に出かけながら、足腰の衰えは如何ともしがたく、山頂には立てなかった。以来、百名山などに憧れるのはヤメにして、大高取山、松田山、烏場山など近場の低山を歩き、少しなりとも衰耄をセーブしようと発心した。というわけで、きょうは彩の国の仙元山めぐりである。 仙元山遊歩道の入口まで20分余り。林のなかのゆるやかな坂道を上ること40分ほどで山頂に着く。杉に囲まれた山頂からは、北側の眼下にわずかに小川町の街並みが眺められるだけ。休むベンチもないので、そのまま青山城跡に向か

          彩の国の仙元山にあそぶ