前田愛『成島柳北』の世界1
馴染みのないというか、日頃まったく縁のない難解な熟語が、前田愛『成島柳北』(朝日選書)の引用文に頻出するのに難渋する。だが、それを調べているといつの間にか謎解きのような楽しさに嵌っていることも少なくない。おまけに誤植を見つけたり、ということから……。
柳北が柳橋芸者との歓楽を共にする一人、「杉恒簃」は「柳北の従兄にあたる杉本忠達のこと」であるとし、つづいて引用する栗本鋤雲「知人多逝」(『匏庵遺稿』)に、杉本忠温は「老羸(ろうえい)を以て死す、年五十九歳」とある。はてさて、忠達と忠温の関係はおくとして、「老羸」とはいかなることか。ルビの「えい」という訓読みから辞典を引くと、「嬴」(みちる)や「贏」(あまる)は出てくるが「羸」という漢字は見当たらない。それではと、部首の「羊」(ひつじへん)から引くと「羸」の音読みは「るい」とあリ、「弱る、弱々しい、やせる」などの意味がある。「老羸」とは「年とってからだが弱ること」の意であり、とすればルビに「ろうえい」とあるのは「ろうるい」が正しい。
この「羸」がふたたび顔を出して惑わせる。柳北は、初めて単身で柳橋の船宿に妓と密会し、「未ダ覚メズ揚州春夜ノ夢ノ句有リ」と日記に記している。著者の解説によると、この一句は「晩唐の風流詩人杜牧の名句『十年一覚す揚州の夢。羸(あま)し得たり青楼薄倖の名』(「遣懐」)を踏まえたもので、歓楽の世界の扉口に一歩踏みこんだ柳北の昂奮が、思いのほかの率直さで吐露されている。」という。ところで、「羸(あま)し得たり」とはどういう意味か。この「羸」の訓読みは「つか(れる)、や(せる)、よわ(い)」である。「あま(し)」と訓読みするのは、前出のとおり「贏」ではないか。
さらに、もう一つ誤植を見つけたかも。柏木如亭の『吉原詞』が紹介されるなかで、「撃析(げきせき)声声 夜正に長く」とあるのだが、「撃析」とは何か、まったく分からない。やむなく辞書を繰って辿りついたのは「撃柝」(げきたく)である。すなわち、「撃柝」とは「拍子木を打ち鳴らすこと、また打ち鳴らす人」の意である。「析」と「拆」は「ヽ」一つアリかナシかだから間違いやすいのかも。ちなみに、揖斐高編訳『江戸漢詩選』下(岩波文庫)を開くと、まさしく「撃柝(げきたく)声声(せいせい)」とあった。このへんで誤植談は切り上げたい。
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