老いと死
ひさしぶりに実家に帰ったら、父(80歳)が目の覚めるようなTシャツを着ていた。蛍光グリーンで10歳は若く見える。どこぞのサッカー選手かと思った。
「どうしたのそれ。すごいカッコイイね」
と、よくよく聞いてみれば…
母の目がかなり悪くなって…夫婦で出かけた時に、すぐ見つけられるようにド派手な色の服を着させられているとのこと。
目が悪いっていうのもかなりヘビーで、左目はほぼ見えないらしい。…なんだけど「派手な服着てくれると見つけやすくていいんだよね。若く見えるしちょうどいいでしょ」と母はあっけらかん。
悲壮感がない
年老いてからのユーモアと軽さは必須だな…と思った。
新聞の投書欄にも見かけた。悲壮感がなくて軽いつぶやき。【年老いて、足腰が弱くなって、歩くのもおぼつかない。だけど、どうしてもどうしてもアイスコーヒーを飲みに行きたい。これは冒険だ。なんとか喫茶店に辿りついて飲んだアイスコーヒーの美味しかったこと】というような内容だった。(冒険とは洒落てますね)と思った。
*
老いを重ねて、いよいよお別れの時について…
お気に入り十返舎一句の辞世の句で締めくくります。
「この世をば どりゃ おいとまに せん香の 煙とともに 灰左様なら」
(ぼちぼちこの世をお暇しますね。線香の煙とともにハイ! サヨウナラ)
悲壮感がなくて、軽い
しかもなんと!一九は死装束の頭陀袋(ずだぶくろ)のなかに、花火をたっぷりと仕込んでいて、火葬の時に花火があがったという逸話が…。
悲壮感がなくて、ユーモアがあって、軽い
すごくいいな、と思った。
※この文章を書きながら思い出したミュージックビデオです。
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