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「7日間ブックカバーチャレンジ」第6日目…『東海道中膝栗毛』

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facebookからの轉載。本日執筆。

日本最初の職業作家と言はれる、十返舎一九著。享和2(1802)年~文化11(1814)年刊。思想・哲學から離れ、古典文學から、誰もが知つてゐる作品をと思ひ選んだ。


2人のふざけた男が、江戶を出發し、伊勢で神宮を參拜し、大阪まで旅をするといふそれだけの話。道中、駄洒落を言ひ、狂歌を詠み、一々騷動を起こす。


狂氣を感じさせるほど、ふざけてゐる。が、それこそが最高に面白い。安つぽいリアリズムを遙かに超越してゐる。當時の多くの庶民から愛された作品だが、作中には古典からの引用も多く、著者は唯者ではないことを感じさせる。


「ただ氣になるから讀んでみたい」「その名を知つてゐるから、もつと內容を知りたい」といふ感じに、古典は氣輕に手に取るのでいい。「敎養のため」「箔をつけたい」等の分別を交へると、古典が遠のいてしまふ氣がする。


學校の古典敎育を受けた人が、その後、どの程度古典に親しんだだらう。單なる古文の解釋ではなく、古典を身近に感じさせる敎育はされてゐたのだらうか。そもそも、敎師は充分に古典を讀み、親しんでゐたのだらうか。
この作品を選んだ時、ふとそんなことを思つた。ただ、道樂として讀める古典。これは、そんな古典にふさはしい作品だと思つたからである。


私は、大好きな泉鏡花がこの作品を愛讀してゐたと知り、初めてこの作品を手に取つた。また、學生時代に落語や歌舞伎をよく觀てゐたので、自然に江戶文學が好きになつた。江戶文學からは、時に今以上に自由を感じたり、人間らしさを感じたりもする。


餘談だが、これ以外では、平賀源內の『風流志道軒傳』も江戶の紀行文學の隱れた名作だと思ふ(日本版『がリヴァー旅行記』といふ人もゐるらしい)。但し、妄想の旅行ではある。


以前どこかで、好きな紀行文學作品を勝手に3つ選んだ。この『東海道中膝栗毛』とスウィフト『ガリヴァー旅行記』とマルキ・ド・サド『食人国旅行記』である。後者2つは、やはり妄想の旅行である。が、優れた旅行記であるのに、妄想であるかどうかといふことは、全く關係ないことである。


それでは、バトンは某舞踊仲間のめぐさんへ。絕對に受け取らないでせうが。


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