磨知 亨/Machi Akira
新聞社の非正規記者だった江上はリストラで職を失った。奇しくも65歳の誕生月だった。余生をどう生きようか。遠隔地の地域おこし協力隊の試験に挑戦するが、あえなく落選。自分探しの旅に出て、ある女性から生きるヒントをつかむ。ようやく老後の生きる術を見つけたのも束の間、病魔に襲われる。
足利ゆかりの刀工・堀川国広にまつわる足利のこぼれ話を集めてみました。足利領主・長尾顕長の墓、刀剣の生き字引・田部井勇さん、足利の文献・資料、足利の鉄などを随時、紹介しています。
小学4年生の上清水遊は川にガサガサに行き、外来魚の席巻に心を痛める。ある時、ニホンイシガメを助けようとして溺れ、60年前の世界に入り込む。その世界では悪魔が人間の欲望を刺激し、生態系の危機が爆発的に進もうとしていた。遊は悪魔を抑え込む禁断の秘薬を手に入れようと、仲間と絶滅動物の調査、神のいる天空に上るための旅に出る。遊ら調査隊の前には、悪魔の執拗な攻撃が待っていた。
文政12年秋、浮世絵師・葛飾北斎は版元・西村屋与八から依頼された錦絵揃物「富嶽三十六景」の創作に悩み苦しんでいた。読本の挿絵、北斎漫画で絵手本のそれぞれ新境地を切り開いたが、細工師、曲芸師、人真似・敷き写しの雑音は止まない。ある日、与八の持参した古書「百富士」にも、「人真似させる気か」と激怒。親友・柳亭種彦に説諭され、北斎は絵師最後の勝負として富嶽図に向き合うことを決意する。
江戸時代の浮世絵師・喜多川歌麿は栃木県栃木市と深い関りがあります。当時、 同市内の豪商・善野家を訪れ、大作「雪」「月」「花」の3部作を仕上げました。 3作とも畳2~3枚分と巨大で落款はなく、作品の中に善野家の家紋を入れるなど謎に満ちています。天下の歌麿が地方都市で描いた思惑を小説でまとめました。
第4話、 (歌麿を調べてほしい) 江上にとって予想だにしない誘いだった。 市長の末永は栃木市生まれで、歌麿には関心を持ち続けていたという。歌麿の栃木市滞在説は心ある市民の間では広く浸透している。浮世絵専門誌や郷土文献などで度々取り上げられ、話題になってきた。2年前の肉筆画「女達磨図」の発見で市民の関心もにわかに高まっている。 「世界的なアーティスト、歌麿がこの栃木市と深く関係がある。謎めいていて夢、ロマンがある。どうにか幻の『雪』をはじめ新たな埋もれた作品、史料を発掘し
第3話、 緊急課題は再就職だ。社が次の職を紹介しない以上、自力で探さなければならない。9月末退社後、理想的には空白期間を置かず10月から働きたい。 幸い年次有給休暇は2年分40日が残っている。週休2日の公休、夏季休暇などを合わせると、7月から退社までのおよそ3か月間、仕事探しに充てられる計算だ。それでも適職が見つからなければ、雇用保険を受給しながらハローワーク通いとなる。家族を安心させるためにも、一日も早く次の職を決めたい。 年休申請すると、編集幹部の矢菅に本社に呼び
第2話、 「そう、決まったの。もう覆らないの」 妻の映見は沈んだ声で、聞き返す。 「役員会で了承されたんだ。九月末で退社だ」 「そう……」 無言の時間が流れ、映見は静かに電話を切った。夫・江上の説得を受け入れたものの、家計を預かる妻として10月以降、定期収入が途絶えることに言い知れぬ不安が募るのは無理がない。 江上が早期退職の意向を伝えた後、映見は何度も足利から彼の単身赴任先の栃木支社に車を走らせ、問い質した。 「何、考えているの。奈々子も太郎もまだ大学生よ。学費はど
第1話 ファックスの着信音が妙に気にかかった。 所管する警察からの事件事故をはじめ、市町、企業、一般からの情報提供が昼夜を分かたず舞い込み、事務所内に着信音とともに記録紙が送り出される乾いた音が催促するように鳴り響く。 江上はキーボードを叩く手を休めた。椅子を回転させ、真後ろにあるファックス複合機の受信トレーに手を伸ばした。 表題に、 ーー社員の皆様へ 選択定年制特別措置のお知らせについて と、ある。 (本気なのか、会社は) 江上は口元を歪めた。 通知には抜
最終第26話、 キーボードの手を止め、耳を澄ました。 居間の窓辺に近づき、庭を見渡した。玄関脇の梅の古木から聞こえたような気がする。 中程の枝先で、1羽の小鳥が花芽を盛んについばんでいる。朝日を受けた逆光に、雀より1回り大きくずんぐりした体形に、特徴的な太く短い嘴がシルエットとして浮かび上がっている。 「フィー、フィー」 口笛に似た鳴き声が響いた。 「どうしたの、双眼鏡なんか手にして。何かいるの」 「おいおい、静かにしろ、逃げちまうじゃねえか。ウソがいるんだよ」 「
第25話、 渡良瀬川の堤防をカラフルなウエア姿の若い女性がリズミカルな足取りで走り、老年の夫婦が言葉を交わしながら、時間を惜しむようにゆっくり歩調を合わせている。柴犬らしい子犬を連れた親子連れの姿も見える。 (俺はいつになったら……) 病院の個室から、江上は胸に手を当て、ささやかで平凡な日常生活の大切さに思いを巡らせた。 房州楼で意識を失った翌日、彼は主治医の春日部医院に駆け込んだ。春日部は肺の精密検査の必要がある、との見解で、その場で、西田総合病院の院長・西田への紹
第24話、 卓上の七輪から秋一番の香りが立ち上っている。高根の花だが、せめて年に1度くらいはその芳醇な香りを鼻腔で感じたくなる。 女将の芳野は菜箸で、2等分に裂いた一切れを小皿に取り分けた。 「熱いうちに召し上がって。少しずつ裂いて頂くと、香りを楽しめますから」 「女将、今年はどこから仕入れた、この松茸は」 「信州からですわ。それより、2人とも冷めないうちに」 江上は手で裂いて、口に放り込んだ。 「本当、秋って感じですね」 「まったくだ、酒が進んじまうな」 市議の猪
第23話、 「どうしたの、もう起きる時間じゃないの。どこか体の具合でも悪いの」 妻の千香が寝室の引き戸を開けた。カーテンは閉め切ったままで、常夜灯も付いたままになっている。いつもの起床は朝7時前なのに、8時を過ぎても起き出す気配がなく、彼女は夫・江上の様子を不審に思った。 「ねえ、どうしたの。何か言ってよ」 「うーん、ちょっと起きようとしたけど眩暈がしてさ。それに夜、あまりよく眠れなかったから」 「大丈夫なの。夜も随分、咳き込んでいたようだったし」 「旅疲れじゃないかな。
第22話、 雨模様で白く霞んだ富士山が車窓一杯に広がりはじめた。ぴんと張った一本の糸の真ん中を山頂までつまみ上げたような均整の取れた稜線が山麓に向けて緩やかに伸び、裾野には家並みや田畑、ゴルフ場などが城下の家臣屋敷のように広がり、その人々の営みを従えるように傲然とした佇まいを見せつける。 旅の際、これまで何度も漫然と見過ごしたその姿を、江上は食い入るように見詰め、脳裏に焼き付けた。 車内アナウンスは新富士駅を過ぎたことを知らせている。 (悩むことは贅沢なのか) 江上
第21話、 「あの本の作者って江上さんだったんですか」 金屋はだし巻きの箸を止め、左隣の江上に顔を向けた。 「現職の記者だったので、実名はどうかと思って。それでいい機会だったのでペンネームにしたんです」 彼女は両手で徳利を持ち、江上の盃に注いだ。 2人は木屋町通りにある小料理屋・お多福のカウンター席に腰を落ち着けている。電車で京都駅に到着後、一度ホテルに戻り、高島屋で待ち合わせた。彼女がネットで調べ、この店に予約を入れておいた。 女将は40歳前後で、しもぶくれ顔に笑
第20話、 自転車の前のカゴにノートを開いて載せ、時折、老女の道順を記したメモを見ながらペダルを漕いだ。10分も走ると、安土川に架かる百々橋を渡り、左手の緑深い丘陵地の所々に石垣が見えてきた。安土城跡だ。 「ジャケットと荷物は預かりましょうか。結構、天守まではありますよ。今日は暑いですから」 受付の女性の親切に甘え、江上は手渡した。 大手道は石段の急な坂道が続いている。石段途中の日陰で小休止する人の姿もちらほら見える。天守までは30分かかるという。 この日は琵琶湖東
第19話、 窓外を稲刈りを終えた田園風景が流れていく。里山を背景に農家の集落、鎮守の森が点在し、やがて線路と並走する幹線道路に車が行き交い、沿線にはスーパーや衣料品、家電量販店など大型店舗も見える。 結婚以来、独り旅はいつ以来だろうか。 結婚後、仕事や子育てに追われ、旅行といえば年1回、夏休みの家族旅行だった。秋田からフェリーで北海道に足を延ばし、飛行機で屋久島に渡り、家族4人楽しい時間を過ごした。子供二人が独立後は妻と春、秋の2回、イギリスや香港、フィンランド、京都
第18話、 庭の片隅の柿の老木に、たわわに果実が実っている。小粒だが甘柿だ。明日にも熟して食べ頃になるだろうと思うと、ヒヨドリがやってきて必ず先を越される。 「じゃあ、私は会社に行くから。分かった?2、3個でもいいから取っておいてね」 妻の千香が、ソファにいる江上の耳の傍で声を掛けた。 「うん、うん」 彼は両耳のイヤホンをつけたまま、生返事した。テキストに目を戻し、また英文を追い始めた。 退職後、彼は英会話の独習を始めた。NHKのラジオ放送で基礎英語から中級向けのビ
第17話、 壮観というしかない。 北斎の描いた行道山の姿が、精緻な組子細工で畳3畳分もの屏風に生まれ変わっている。コマと呼ぶ2、3㌢の木片を組み合わせた部材は約6万個にも上り、2年の年月をかけ、コツコツと仕上げた。 「ついに完成に漕ぎつけましたね。大変な作品で。驚きました」 「そうかい、でも、まだ完璧じゃねえなあ」 「何か、気に入らないところでもあるんですか」 「いまちっと、北斎の原作に似せられねえかと思ってさ」 建具職人の田辺は腕組みをし、点検するように作品を見回し
第16話、 「あら、お久しぶりです、江上さん」 支社に電話を入れると、庶務の藤田が明るい声で応対に出た。いつも愛想がよく、にこやかな表情が目に浮かぶ。 「お元気そうだね。コロナが流行っているけど大丈夫?」 「ええ、元気だけが取り柄なので。それにワクチンもきちんと打っていますから」 「宇都宮はコロナ感染者も多いけど、支社のみんなも元気にやっている?」 「幸い、誰も感染してませんよ。支社長以下皆さん、毎日、お仕事してらっしゃいますよ」 「それはよかった。ところで、今日の新聞を
第15話、 パソコンを立ち上げ、モニターに買ってきたばかりのウェブカメラをセットした。数回、画像と音声をチェックし、本番に備えた。 「第一印象は大切よ」 妻のアドバイスを素直に聞き、江上は紺と黄のレジメンタルのネクタイ、白シャツ、ダークグレーのジャケットを羽織っている。 就職のための面接は大卒後の日栃、10年前の日新以来3度目。13年前、日栃を早期退職後の歌麿調査のための市民団体、それに日新の時も先方からの依頼だったので、就業を前提の顔合わせに過ぎなかった。 地域お