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柝が鳴る~蔦重と写楽~⑥

 第6話
 残暑のはずが、額の汗が引き、背筋さえうすら寒い。蔦重は両腕を組み、番頭・勇助の報告を聞いている。惨憺たる売り上げに耳をふさぎたくなるほどだ。
「それじゃ、擦り増しするどころじゃねえな」
「はい。中には売れてるのもあるんですが、総じて予想外に低調で」
 5月の反省を踏まえ、蔦重は満を持してこの夏の興行に臨んだ。座元、役者らの不評を買い、資金提供は半減。そのため高価な雲母刷の大判は計8図に抑えた。その代わり、大判の横幅を約半分にした細判計30図、店頭価格は大判の半額で8文とし、店頭売りに主力を置いた。座元らの引き受け分が減ったための苦肉の策だった。
「店先じゃ、客らが好き勝手なことを抜かしてまして」
「どんな悪口を言ってやがるんだ」
「もう大首絵に見切りをつけちまって、蔦重の屋台骨は相当、傾ているんじゃねえか、とか、それに……」
 勇助は言いにくそうに眉を顰めた。
「それに何だってんだ。話の腰を途中で折るんじゃねえ。はっきり言わねえか」
「その、つまり、これじゃ豊国の二番煎じじゃねえか、って」
 既成を壊し、新機軸を打ち出すため、新進の写楽を起用し、役者絵28枚を大首絵で揃えた。用意周到、鳴り物入りの大首絵からの撤退、豊国の得意とする立ち姿への転換は失敗に終わった。二番煎じの酷評は、批判はあったものの写楽の役者大首絵への期待感の表れだったのか。
「この先、役者絵はどう致しましょう」
「どうもこうもあるか。秋の顔見世興行で挽回しなきゃしょうがねえ」
「まだ写楽を使うんで」
「当たりめえだ。他に誰がいる。私は写楽に賭けているんだ。そうだ、早めに写楽にきちんと話さなきゃいけねえな。八丁堀までひとっ走りしてくれ」
 勇助は席を立ち、写楽の元に向かった。
 写楽は八丁堀の阿波藩蜂須賀家の中屋敷内に住み、蔦重の耕書堂から程近い。奢侈禁止の風潮の中、武士の身分で錦絵を手掛けるのは穏当を欠く。しかも蔦重は3年前に洒落本発刊でお咎めを受けており、幕府の目が光っている。そのため、写楽は人目を忍んでは通いで蔦重宅を訪れ、奥の座敷で筆を走らせていた。
 半刻後、写楽は姿を見せた。9日ぶりの来訪である。夏の興行の版下絵作業から解放され、顔色は冴え、険しさも幾分、消えている。
「突然、呼び立てて申し訳ねえ。一仕事終えたばかりで恐縮なんだが、秋の顔見世興行の打ち合わせをさせてもらおうと思ってな」
「誠に有難いお話ですが、5月の興行に続き、今回も売れ行きが芳しくないようで、なんとも心苦しい限りでございます」
「写楽、いや斎藤様がご心配することはねえ。売れる売れねえは版元の責任だ。次回も健筆を奮っていただきてえ」
「蔦重殿のご指示で不慣れな立ち姿に挑み、精一杯描いたつもりです。手前味噌かも知れませんが、どの図も胸を張れる仕上がりだと思っております。それが二番煎じと謗られては、果たしてどのように描けばよいものやら。次は顔見世興行だけに荷が重い気もしますが」
「何を弱気を口にして。類まれなる画才が開花したばかりじゃねえか。一年の門出となる顔見世興行だからこそ、写楽の本領を発揮する絶好の機会と思っているんだ。3度目の勝負、版元として何としても成功を収めてえ。どうしても力を貸してくれえ」
「私の腕をそれほどまでに信じて頂き、光栄至極にございます。ついては一つ、お願いがあるのですが」
「お願いとは何でえ。言ってみな」
「もう一度、大首絵を描かせてもらうわけにはいかないでしょうか」
 写楽は両手を畳につけ、腰を深く曲げた。
                        第7話に続く。
 


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